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2020/05/18

「禅の知恵に学ぶ」山川 宗玄 <9>

<8>からつづく

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「禅の知恵に学ぶ」 NHKこころの時代~宗教・人生~ <9>
山川 宗玄  (NHKシリーズ) ムック C 2019/03 出版社: NHK出版 ムック: 160ページ 
★★★★★

 何時かはやるだろうと思って待ち構えていたが、この番組の再放送が始まった。前回は、録画を撮っておいて、何度か見るというスタイルだったが、結局すべてを削除してしまった。今回、また月1の半年にわたる放送となるのだろうから、また録画しながら、何度か繰り返しみていくことになるだろう。

 率直にいって、素晴らしい世界ですよね。この世界で完結するなら、それ以上のことはないだろう。もう文句のつけようのない世界だ。されど、最初からこの世界に縁のあったわけではない我が身としては、いくら誘惑され、魅了されたとしても、この世界には、カチッとハマる、なにかが足りない。

 別番組で、「禅×21世紀」という、同じNHKの番組があった。そちらもなかなか素敵な番組ではあったが、やっぱり、私は降りる。素敵な世界を見せつけられる、ということと、我が身がその世界にいる、ということは全く違う。例えば、能の世界がとても素晴らしいなぁ、と思いつつ、いくらあこがれてみても、いまさら正座もできない我が身においては、その世界を心底楽しむことはできないだろう。茶道もしかり、ピアノや、絵や、仏像彫刻においてもしかり。

 若い身であるなら、やり直しも効くが、ここまでくれば、それは無理。むしろ、背伸びせず、物まねせず、こびず、ひがまず、まずは、これまでの自分が歩んできた道を、更に歩いていくしかないであろう。

 禅は禅として、悪いものではないが、難なしとはしない。ここで敢えて上げ足を取るつもりがないが、21世紀のグローバルな精神性、と言った場合、決して、日本的な禅が唯一の解決策だ、なんて安穏としてはいられない。むしろ、パラパゴスに陥った形式的な伝統や、古い資産の上で、訳も分からず、ただ踊っている、というのが、伝統的な禅だったりはしないか。

 全部が全部だとは言わない。しかし、完全無欠な道ではないことは確かでである。そういう目で見て行けば、完全無欠な道ではないし、唯一残されたたったひとつの可能性ではないにしろ、わがOSHOの瞑想の世界は、個人的には、伝統的な禅を超えている、と見ているのである。

 その広がり、その現代性、リアルタイム、本質性、なまなましいドキュメンタリティ、その中にどっぷり浸かって生きてきた我が身を、いとおしいものとみなすことは、決して逆立ちした、奇妙な世界ではない。ありのまま自然に。窮屈な道元禅でもなければ、自由闊達な臨済禅でもなかろう。南方禅のビパサナに宗旨替えしたとて、だからどうしたというのだろう。

 この番組を見続けることは、それほど苦しいことではない。されど、むしろ我が身の、希少さ、いとおしさ、存在感、そのようなものが、日増しに増してくるように思えるのである。

 芋虫も蟻さんもいて僕の庭   把不住

<10>につづく

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