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2020/05/28

MMSについて <1>

 

 

 この単語ひとつによって、分かるもいるだろうし、私のようにほとんど分からない人もいるだろうし、まったく関心がない人もいるだろう。それら一切を差し置いて、今のところの結論を先に述べておく。

 「よく効く」も、「毒」も、断定するには「時期尚早」である、と。

 そう判断することが、もっとも現在的な「科学的」態度である、と結論づけておく。

 SNS上での多少のやりとりの中で、常に言葉足らずになり勝ちであり、また、十分な相手に対する配慮不足ということもある。そう気をつけていても、私の発言が誰かの逆鱗に触れているのかもしれないのであり、私自身も、第三者の不要不急な配慮の欠けた発言に、いささか戸惑ったりするのである。

 私自身は、この議論がゆっくりと、互いのエビデンスを突き合わせて、深まっていくことを期待しているが、現状はどうやら、それを許さない状況だ。

 片やAという意見があり、片やCという意見があり、私は例によって、その中間に入ってBという立場をとりながら、両方の言い分を聞いてみたい、と思っておった。その目的はやや達成したが、今のところ、まったく持って十分ではない。

 現在のところ(2020/05/28/04:50)、両論は並行を辿っている、というよりは、断裂した、と判断すべきであろう。一部の意味のない誤解中傷により、私はBの立場を降りた。したがって、この両論は、重要な橋渡し役を失った、と見るべきだ.AとCが激しくせめぎ合い、議論は成立しなくなった。

 私は正確には、どっちが勝っても負けても、どうでもいい。はっきり言って関心がほとんどないからだ。MMSのSとはサプリメントの略らしいが、ソリューションのSでもあるらしい。私は、個人的には、このソリューションが自分の体調の解決策にフィットしているとは判断しない。そもそもが、この分野には程々のお付き合いで、いい加減だからだ。

 最初のMはミラクルであるという。奇跡。このネーミングがややこの集団性のマニアック性を浮き立たせているのではないか。二番目のMはミネラルであるという。ミネラルという単語の意味はほとんど知らない。知らない人間がとやかく言うべきではないだろう。キチンとした信頼すべき専門家の説明と判断を待つべきだ。

 つまりこのミラクル・ミネラル・ソリューション(サプリメントとも)の熱烈なる使用者(一部には信者とまで揶揄される)がいる一方、科学的なエビデンスがない以上、そんなものを体内に入れるべきではない、と主張する科学的態度を強硬に主張する流れがある。

 私には分からない。分からない以上、私は今のところ「手を出さない」ことを決定している。実験的に自分の体を試すわけにはいかない。私は大体において血圧降下剤ですら、医師に勧められてからでさえ10年以上も慎重な態度をとってきた。薬を常用する前に、他にすべきことがたくさんあったからである。

 このサプリメントやらに対して、私はほとんど関心がないし、科学的根拠を求める気すらない。ただ、一方が「すごい効く」として信者グループを形成し、片や「毒」として、その危険性の警鐘を鳴らしている以上、その人々の心理や態度には関心がある。

 どう関心があるか、というと、これまた微妙だが、ひとりひとりをデータとして見ているわけではなく、ひとりひとりを存在感のあるパーソナリティとしてみているからである。ひとりひとりをたった一つの分岐点だけで二分するほど私は器用ではない。あの問題について彼はこう言ったが、こちらのテーマについてはこういう意見を持っているんだな、程度の関心はあるのである。

 私は私自身を判断してみると、こういう真理を極めるための議論には多いに関心があるが、ある程度の方向性が見えれば、あとはひっそりと退去する態度が多いようである。この人生、多々そういう態度であった。良くも悪くもそうであった。良く働いたこともあったし、悪い方向に働いたこともあった。いずれ、そのような態度が多かった。

 ただ、今のところは、なんとも今回のやりとりの「結論」はあやふやで、不安定なものである。両者とも、自らの意見をいいつつ、よりクリスタライズした方向に結論を導くよう、必要ならBの立場の人間をうまく使うべきだ。嘲笑したり、邪魔者扱いをしてはならない。

 一方は10年も使用してきてこれだけ効果が上がっているし、多く認知されているではないか、という。片やそれを医薬品なり効能のある存在と認めるとするなら、そのエビデンスを提示せよ、と引き下がらない。平行線を辿るだけではなく、対話は断裂したように見える。

 ややいいかげんで逃げ腰のBの立場をとる私としては、これはサプリメントであり、医薬品ではないので、それぞれの嗜好性、個体性に影響されるかぎり、ひとつひとつのエビデンスまでを求める必要はないのではないか、と判断する。ただ、オーバーな表現にせよ、その摂取方法の錯誤によって死亡者があったかのごとく報道されたりするのであれば、多いに注意喚起が必要である。

 まぁ、両者の対話が深まらない(ように私には見えている)以上、私もなんだかスッキリしないし、明日になれば、今日のことは大概忘れてしまうので、今日のことは今日のうちにメモだけしておく。なんらかの方向性が見えてくれば、このメモ自体を削除することはありうる。

Bとは、Bhaveshの頭文字である。

<2>につづく

 

 

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