「把不住述懐」<36>パンデミック
当ブログ76番目のカテゴリ名は「邏の巻」とすることにした。一字の漢読みは「ら」であり、画数は、シンニュウ偏としては一番大きい23画である。訓読みは「めぐる」であり、警ら隊などの警邏などに使われる程度だ。各所をチェックするという意味らしい。警ら隊とは、あまりにも当ブログらしくないネーミングだが、パンデミックのこの時代、地球全体を、グローバルにチェックする、というニュアンスにおいては、けい邏も、ありではないか。
思えば、この把不住述懐もなんと一年のブランクがあった。いろいろ項目を作っているので、あちこちに書けるので、別段にこのコラムでなくてもよかったのだが、邏の巻の第一番目には、このコラムでスタートするのが一番いいかな、と考えた。その理由はいくつかあるが、まずはいよいよ、時代も、どん詰まりに来たかな、という予感が強くなってきたからである。
「大河ライフワーク(仮題)」というものをスタートしてみた。いよいよ当ブログ全体をまとめ始まったのであり、私の人生のまとめでもある。これは一つのライフストーリーであるし、また孫たちへの伝言である。そこまでは早すぎるかもしれないが、私の友人たちへの自己紹介であり、経過報告であり、最後のメッセージでもある。
今度のパンデミックは65才以上の高齢者と、持病持ちを狙い撃ちしてくるという。その領域に到達しているわが身としては、感染後に突然肉親との面会も遮断され、人工呼吸器を、若い生命に譲ったあとは、人知れずさっさと火葬されて、あっと言う間に埋葬される、という事態に遭遇しない、という確証はない。準備が必要だ。
ここまで書いてきたのだから、気の利いた友人なり、親族なりは、この「大河ライフワーク」を見れば、私の大体のストーリーはつかめることだろう。まだまだ誤字脱字が多く、最初からそういう意図でまとめられたものではないので、読みにくかろうが、読みにくいは私だって同じことだ。
まとめるとすれば、肉体としての私と、私が師事したOSHOと、私が生きたこの地球について、という三つの大きなテーマとなろう。一言で言えば禅ということになろう。
これまで文章化をためらってきた、私自身の中の大事件を、小説(ある日突然に)というストーリーにまとめるかどうかは、まだ決定はしていない。プライバシーに大きく関わるないようであり、また、特段に他者に知らせたいとも、思っている内容である。されど、秘文として、いずこかに秘匿しておくのも悪くないかな、と思っている。
素晴楽堂日記は、早い話が、厚紙を短冊風に切って、ありあわせの筆で、日々書き続けている俳句(らしきもの)のことである。最終的には、この中から一句が私の遺言となろう。
このようにお尻を切った形で、いままでの乱雑に書き残されてきた雑文たちを、それなりに整理整頓していくつもりである。友人たち、親族たちに、なるたけわかりやすい形まで集約されることを願っている。
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