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2020年4月

2020/04/28

アフターコロナ提言<1>

世界はどう変わるだろう。
変わってほしい方向性。

1)ベーシック・インカム 格差の是正
2)ソーシャル・ディスタンシング 過密都市の終焉
3)ビックデータの共用公開 GAFA解体
4)地産地消  自給率の確保
5)テレワークの推進  職住一致(近接)
6)スポーツの非商業化  オリンピックの終焉
7)ひとつの世界政府  WHO、国連を乗り越えて

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つづく

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2020/04/27

小説「ある日突然」(仮題)<6>

<5>からつづく

小説「ある日突然」(仮題)<6>

 オレは、決して書類の印鑑が抜けていたから調べられているわけじゃない。なんとかのカシがあったとか、そういうことは言いがかりだ。詐欺とか、そういうものではない。これは殺人事件なのだ。殺人事件の容疑者として、調べられているのだ。いわゆる別件、というやつだろう。

 しかし、逮捕もされていなければ、拘束もされていない。あとで連絡する、と放免されてしまった。これって、なんだ? ひょっとすると、これって、泳がされているのか。怪しい動きをしたら、そこから更に調べてやろう、という魂胆なのだろうか。おいおい、なんなんだ。

 日にちははっきりしてきた。ちょうど一年前のXデーだ。その日、オレは、何をやっていたのだ? んなことわかるわけないだろう。営業日誌付けているわけじゃないし、日記なども付けているわけじゃない。領収証の類などはすべて持っていかれちゃったからなぁ。なにで調べよう。

 そうそう、そういえば、何かの役に立つかなぁ、と思って、買い物をした時のレシートや領収書の類は取ってある。いや取っ手あると言っても、単に机の引き出しを一つ、無造作にレシートボックスにしているだけだ。ほとんどごみ箱じゃないか。だが、この数年分はあるはず。いつかは捨てようと思っていたのだが、忘れていた。

 レシート調べを始めてみれば、これが割と楽しい作業であることが分かった。ずいぶんと買い物をしているものだ。ほとんどは酒類とつまみの類だが、ホームセンターでの買い物も多い。結構DIY部品を買い込んでいるからなぁ。そうそうあの作業もしたし、この作業もした。結構ネジや釘の類は安いよな。それに比すれば、道具はなかなか高い。いいものを買おうとすると、値が張る。いつも廉価版やワゴンセールの道具しか買えない我が身を嘆く。

 で、だんだんと整理ができて、意外と他にあったのは、医療費関係である。歯医者に行ったり、薬局に行ったり、熱出したりしたからな。年取ってきたせいか、一旦体調を崩すと、二三回、続けてクリニックにいくことも多くなった。で、あの日は、と。で、見つかった。あの日のレシート。それは、クリニックのレシートだった。

 ん、あの日、私は、風邪をひいていたのだ。そして、なんと一週間、仕事を休んでいたのだ。そうそう、熱が39度以上もでて、とてもとても仕事などやっている体力はなかった。筋肉ががちがちいたんでね、一週間、とにかくひどい目にあったのだ。あの日? あの日のことなのか・・・?

 ああ、だめだわ、あの日、誰もおれのアリバイを証明してくれる人はいない。女房だけだ。オレがうんうん唸って寝ていたのを見ているのは女房だけだ。だって、わが家の二階でほとんど寝たきりだったのだ。しかもインフルエンザだということで、女房も、飯を部屋に運んでくるだけで、ひょっとすると、食事の時間の合間の数時間なんて、二階の窓から抜け出せば、女房だって、アリバイを証明できないことになるだろう。

 おい、本当か。じゃぁ、とにかく、あのクリニックに行った日の時間、ほとんど午前中の10時前後なのだが、クリニックに証明してもらえばいいじゃないか。そう気づいて、立ち上がろうとした時、ガーン、私は、強烈なことを思い出してしまったのである。

 先日、署に行って、取り調べを受けていた時、あの若造が、ワザと部屋のドアを開けっぱなしにして、ボスの机が見えるようにして、そのボスの傍らに坐っていたのは、あのクリニックの医者ではないか。彼はチラッと私を見た。私だって、チラッとみて、あああいつか、とすぐわかった。

 あ、つまり、これは面通しという奴ではないか。署では、あの日、私がクリニックに行ったことをすでに調べ上げていて、その行った本人が、私そのものであるかどうか、確認を医師に迫っていたのではないか。ガツーン、そうに違いない。ほえぇ、そこまで調べ上げているのかよ。

 そう思い出せば、なんだかだんだん、ドツボにハマり始めている自分が、蜘蛛の巣に引っかかった蛾のように思えてきた。まずいぞ、マズイ。あいつらに対抗できるほどの、アリバイを準備しなくちゃ。気づいてみれば、びっしょり冷汗をかいていた。

つづく

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2020/04/26

素晴楽堂日記 19

<18>からつづく

 

蒼穹を仰ぐ他なし蟄居かな   把不住

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<20>へつづく

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2020/04/25

小説「ある日突然」(仮題)<5>

<4>からつづく

小説「ある日突然」(仮題)<5>

 あと考えてみれば、いくつも腑に落ちないことがある。まず、そもそもの私の「かし」は、書面に印鑑(認印可)が押していないことだけである。本当は詐欺罪で逮捕だ、などと脅かされるほどのことなのか? それに、何月何日は何をしていたのか、と特定の日だけを突っつき込んでくる。なんで? なんでその日だけなの?

 それにあの言葉も気になった。本屋好きだろ? 帰りに本屋によって、この言葉を調べてみな。なんだよそれ。ひょっとすると、私は以前から、後を備考されていたのではないか? 確かに私はロードサイドで、書店があれば、ほとんど立ち寄る癖がある。ほとんどは週刊誌とか、ゾッキ本の最近の動向を感じているためではあるが、時にはアダルト本コーナーに目がいかないわけでもない。

 こいつら、オレをじっと観察していたのだろうか。気味悪いなぁ。署からの帰り足、兄弟に電話した。こういう事情だ。自分でもよく分からん。今後、自分の身に何がおこるか分からないので、とにかく電話しておく。同情される。人権という奴があるんだ。無理やりはできないだろう。うん、そうは思うが、もうすでにここまでの段階で、私にとっては、もう無理やりというしかないだろう。

 家に帰っても、重要な書類は持っていかれているし、道具もない。とにかく仕事はできないのだ。他にやることとと言えば、自分がなぜこんな境遇に陥っているのか、ということを究明することだ。いくつかのヒントがある。奴らは、私が壁に新聞の切り抜きを画びょうで貼っていたことに、異常に関心を持っていた。そして、あの、特定の日時に関心を持っているようなのだ。

 とにかく、その日の記述のありそうな、新聞記事をパラパラと見始める。今でこそ宅配新聞は購読していないが、当時の私は、情報元として複数の新聞を読んでいた。そして、古新聞も、一か月とか、時には数か月を物置に保存しておいたのだ。パラパラすれば、なにかヒントがつかめるかも。

 トップニュースの大文字とか、経済面の小難しそうな記事とか、文化面とかには、あまりその情報はなかった。あるとすれば、三面記事、しかも地域版だ。それも、最近のビックニュースではなく、いくつかの事件のその後についての追加情報だった。その中に、ほとんど、これだろう、という記事を見つけてしまった。

 それは、一年前の殺人事件である。もうあれから一年になる。まだ未解決の難事件だ。テレビでも全国版で当初は大きく何回も報道されたが、それから数週間、数か月すると、あっという間に忘れされてしまっていた。そうそう、そういう事件もあったよな。あれ、どうなったの? あ、まだ解決していないんだ。難しいのかな。

 その事件というのは、こういうことだ。ある山中の下校道路で、女子高校生が通学用の自転車とともに行方不明になって、それから数日後、その現場から十数キロ離れた、まったく違ったエリアで死体で発見された、というものだった。遺留品も多く、土地勘のあるものでなければ、犯行できない手口だそうで、それほど難しくなく犯人は見つかるだろう、という事件のはずだった。それが、なかなか手がかりが見つからなかったのだ。

 その新聞記事は、その経緯を書いていて、たしかに難事件だが、警察はもうすでに、重要な手がかりをつかんでいて、あと数日で犯人は逮捕されるだろう、という内容の報道だった。ふ~ん、そんなものなのかな。その犯行の日付が、あれ、そういえば、署でやたらと奴らがこだわっていた日付で同じじゃないか? なんか、おかしくないか?

 ひょっとすると、オレはこの事件の重要参考人として、別件で調べられているんじゃないか? あ~~ん、んなことないだろうが、万が一、ってこともあるぞ。確かに、オレはあの山道を数度通ったことはあるが、土地勘があるなどというほどのことはないがな~。死体が遺棄されていたエリアも、まぁ、行ったことはないが、住所を聞けば、だいたいわかることはわかる。

 それに、自転車ごと運ばれた、っていうから、犯人はおそらくワゴン車の所有者だ、ということになっている。えええ、オレは確かにワゴン車の所有者ですけど。それがどうしたの。自転車ごときは丸ごと確かに運ぶことはできますよ、だけど、それがどうしたの。そのワゴン車は、ごく最近、友人が欲しいというから、譲って、新しい車を買ったばかりだよ。

 ん、ひょっとすると、あの車はどうしたんだ、って奴らが聞いてきたことに、このことは関係しているか? 証拠隠滅でもしているかのように見られたのだろうか? それに身分不相応に、確かに新車を現金で買ったよ。だけど、そのほとんどは母親が、介護の代わりに出資してくれたんだよ。もちろん借金だ。ちゃんと返さなければいけないんだよ。

 え、俺って、ひょっとすると、突然金回りが良くなったように、見えていたりして。いや、そんなことはない。たしかに新車が来たので、出資者の母親を乗せて、家族ともどもディズニーランドに遊びに行ってきたよ。だけど、それがどうした。んなことは、どこの家庭でもやっているだろうよ。

 だけどなぁ、疑いの目で見てみれば、なるほど、いろいろと、オレはあるモデル像にハマってくるよ。オレを犯人に仕立て上げようとすれば、確かにそうなるかも。ええ? たしかにコンビニなんかに立ち寄って、アダルト本などを不用意に手に取って、パラパラする時だってあるよ。だとすると、私をなにかの変質者に仕立て上げることだってできるよ。ええええ、なんなことないだろう。

 あやしい、なんかあやしい。

<6>につづく

 

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2020/04/24

素晴楽堂日記 18

<17>からつづく

 

部屋の児を空から覗く鯉のぼり   把不住

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<19>へつづく

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小説「ある日突然」(仮題)<4>

<3>からつづく

小説「ある日突然」(仮題)<4>

 いやはや、すっかり犯罪者扱いである。少なくとも、これまでの人生で、こんなに屈辱的で、理不尽な対応を受けたことはない。いい加減テンパった感情になったあと、ほっと一息したタイミングで、ボスがやって来て、一生懸命にやってきたんだよなぁ、とつぶやいた。

 虚をつかれたように、私の涙腺が緩んだ。そうだよ。やってきたんだよ、一生懸命。書類にカシがあったんだよ。本屋で調べてみな。分かるから。間違いがあったということだよ。カシ? そろそろ終わりかな、と思ったのだが、次の段階があった。別の部屋に案内され、各指の指紋を取られた。ああ、これで、私は変なことはできないな。

 そして写真も取られた。真正面と横顔。なんとも悲しかった。哀れだった。これで私が何事かあったら、この写真が使われるんだな、と思うと緊張した。緊張したが、ここはリラックスして、笑顔を作ってやれ、と思ったが、まずまずの顔しかできなかった。少なくとも、カメラのレンズの向こうに愛を送るような気分で撮影を終えた。

 もうこれで帰っていいという。かれこれ3時間か4時間が経過したはずだ。疲れたよ。帰りに書店に拠って、カシを調べてみよう。署から自宅までの10数キロのバイパス国道には、書店は一か所しかない。大き目な書店ではあるが、専門書の類がそろっているわけではない。

 インターネットの後の時代なら、すぐに調べてみただろうが、そんな便利な道具がある時代ではない。書店の棚には、それほど関連のありそうな本はなかったが、一冊だけあった。カシとは瑕疵と書くのだ。こんな字、読むこともできないし、書くことなど、ますますできない。こんな文字、オレに何の関係があるのだろう。

 自宅に帰る途中。兄弟に電話した。こんなことがあったよ。なんだかよくわからん。う~ん、これは人権問題だな。知り合いの弁護士でもいないのか。弁護士なんか縁がないが、まぁ、探してみるかなあ。しかしよくわからん。 

 自宅に帰っても、書類や道具を持って行かれているので、仕事ができない。精神状態も最悪だ。朝早くは今日一日くたくただ。もうふて寝するしかない。女房は、なんかよそよそしい。普段からの行いが決してよくないので、こういう時、女房どのは、やや硬化している。この男、何をやらかしたのだ。彼女さえ、こちらを疑ってくる。ええ、それは困るなぁ。

<5>につづく

 

 

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2020/04/23

素晴楽堂日記 17

<16>からつづく

 

Social Distancing
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<18>につづく

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素晴楽堂日記 16

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2020/04/21

素晴楽堂日記 15

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「ビワの葉療法のすべて」難病を癒す医者知らずの家庭療法 神谷 富雄

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「ビワの葉療法のすべて」難病を癒す医者知らずの家庭療法
神谷 富雄 (著)  1988/12 出版社: 池田書店 単行本: 204ページ
No.4406 ★★★★☆

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2020/04/18

禅機

 いよいよ図書館が完全にしまった。予約や返却などはできていたのだが、今日から緊急事態に対応して閉鎖となった。もちろんこれは緊急事態だ。いつまでも続くわけではない。手元に読み残している本もたくさんあるので、図書館がしまっても急に困りはしないが、いっそこのまま図書館は無くなってしまうのか、と危機感を持つ。

 この状態は、5月の連休明けまで続ける事を期待されている。あと三週間、本当にあと三週間で、回避できるのか。今の感じでは、このまま夏休みまで続くのではないか、とさえ、心配になって来る。いやいや、本格的なワクチンができて来るまでは、1年、2年とかかるのではないか、とさえ思える。

 このパンデミックの中で、国民一人10万の補助金の提供の話題が持ち上がっている。このことが決定されるまでも右往左往しそうだが、このパンデミックでは、一回二回の補助金では役に立たないだろう。継続的に、ベーシック・インカムが必要になって来るのではないか。

 このパンデミックは、結局、この地球と人類にもたらすだろうか。自宅待機、ソーシャル・ディスタンティングをあと2年は続ける必要があるとのことである。すごい禅機である。瞑想しよう。瞑想を学ぼう。瞑想の雰囲気を作り出そう。

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小説「ある日突然」(仮題)<3>

<2>からつづく

小説「ある日突然」(仮題)<3>

 町中から、会計事務所の友人が、デイバックを背負って、バイクでやってきた。彼は私より何歳か年下だが、頭は私よりもうちょっと左に考え方が偏っている。私が今朝、自宅でこのような状況に陥っていることに状況的に理解している。しかし、直接的な原因は何か、それについては、私同様、理解はしていない。

 お互い顔を引き寄せて、何事か伝えようと思ったが、あの下っ端野郎が、じっと専門的な臭覚を持って見つめているので、何もできない。彼が持ってきたわが社の書類を受け取ったのみとなった。彼は不承不承、バイクで帰っていった。

 奴らは、書類の中の、なにかを探している。何かを裏付けようとしているかのようだ。一体、なんだ。2時間あまり、家の中をガタガタやった挙句、その中のいくつかの書類と、事務機器を、段ボール5つほどに詰め込んで、古びたバンで帰って行った。バンの後ドアを上げて段ボールを積みこむ時、近くのおばあちゃんが、興味深そうに、こちらを見ていた。おそらく、ばあちゃんにも、事情はよく分からないだろう。

 彼らが帰る時、午後何時に、署に来るようにと言い残していった。なんだ、これで終わりではなくて、これからまた始まるのか? 少なくとも、即逮捕されるほどでもないのだな・・? 自虐的に笑った。

 地域の中核的な警察署は、隣の隣の町にある。車で30分ほど。わざわざ行くってのも、なんだかなぁ。約束の時間より30分ほど前についてしまったので、署の入り口にある応接セットのようなものに腰かけて時間稼ぎをする。ちょっと見ると、署の看板の脇に、大麻取締署みたいな看板も小さくかけてある。

 あ~ん、これかぁ・・・。だからあいつらうちの灰皿がどうした、とか聞いてきたんだな。ばかだなぁ、いまさらそんなことやってるわけないじゃん。だいたい煙草も吸わないんだから。ばかばか・・・。いろいろな思いが巡る。でないとしたら、なんなんだ・・・?

 時間が来て、二階に上がり、テレビで見るような、いわゆる取り締まり部屋みたいなところに通された。なにやら呪文みたいに、黙秘もできますよ~、みたいな儀式も行われたが、こちらは別段、黙秘すべきことなど、思いつかない。そもそもが、もともと秘密など持てない性格なのだ。どんな質問でもお答えしますよ、モードである。

 立ち会うのは、3人のうちの若造の一人。部屋には大きく窓があって、外の駐車場が見える。パトカーやらバイクやら警察官の通勤用の自家用車などが見える。おそらくここは、それほど重要な部屋ではない。せいぜい面接室だ。型どおりの木製の机と、パイプ椅子がいくつかある。名前、経歴、いろいろ聞かれる。

 背広を着ていったので、胸についているバッチについて聞かれる。これはボランティア活動のバッチですよ。これはおそらく関係ないでしょ、とその場で外して、ポケットに入れる。いろいろ細かいことを聞かれているうちに、自分のライフストーリーが浮き上がってくる。もし、おいらが将来立派な人になって、人生の歴史を聞かれるようになるとしたら、少なくとも、この聞き取り調書が、公的な自己史になるな、なんて不謹慎なことを考える。

 あなたは訪問販売法に違反している。書面にカシがある。?? 訪問販売法? しかもカシ? 瑕疵ってのはわからないだろうが、間違いがあるということです。????? ほう・・・・・。なんだ、なんだ・・・?

 どうやら、私がお客さんに渡した書面に間違いがあったらしい。いや、私から言わせれば、間違いというほどではない。単に、一個、認め印が抜けていただけである。んんん・・・・? そこを突破口にして、やつらはいろいろ聞いてくる。覚えていることもあるし、覚えていないこともある。

 去年のこの日、君は何をしていたかね。そんな~、一年前のことなんか、知らねーよ。覚えているわけないだろう。でも、この書類とこの書類が残っている限り、この日のことも思い出せるのではないかね。

 う~ん、たしかに、あの日はあの人と会ったし、次の日はこうだったな。で、当日は? あ~、ホント、何にも残ってね~。こいつら、ここを突いてきているんだな・・・。よくよく思い出そうとしたが、どうも思いつかない。しかし、それにしても、なんでこいつら、ことさら、この日についてだけ、詳しく、根っこ掘りをしてくるのだろう。

 おい、これって、別件じゃないのか? オレはまなじりを決して、若造をにらみつけた。ちょっとひるんだようだったが、突然、パイプ椅子から立ち上がり、面会室(取り締まり室か)のドアを開けて、でて行った。ちょうど、そのドアが開いた時、向こうのボスの机が見えた。そして、そこにいたのは、ボスと、見たことのある顔だった。

 あれは医者だよ。我が家の近くのかかりつけ医院の院長だ。なんで彼がここにいるんだ? ましてや取り調べ室のドアを開けたままにして、彼と私が、直接お互いが見えるようにしたのはどうしてだ? やがておもむろに帰ってきた若造に聞いてみた。あのクリニックの院長、なんでいるの? ああ、患者さんがちょっとしたトラブルがあってね。本当にそうか。どこか、言い訳臭いぞ。

 これは、いわゆる面通しという奴ではないか。私を確認させたのだ。なんで、彼が私を確認しなければならないんだ。おかしい。おかしいことだらけだ。ますます謎は深まる。

<4>につづく

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素晴楽堂日記 14

素晴楽堂日記  13 目次

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素晴楽堂日記 13

素晴楽堂日記  13 目次

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素晴楽堂日記 12

素晴楽堂日記  12 目次

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素晴楽堂日記 11

補遺 素晴楽堂日記  11 目次

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2020/04/17

「アイ・コンテイン・マルチチュード」 ボブ・ディラン

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https://www.youtube.com/watch?v=pgEP8teNXwY 
「アイ・コンテイン・マルチチュード」
Bob Dyran  2020
No.4405 ★★★★★

 

意訳

今日明日そして昨日も
花は朽ちていく すべてがそうであるように
すぐ後をついて来て バリーナリーに行くよ
君が来てくれないと気が変になる
私は多くを含んだ人間

この心臓は告げ口が好き ミスター・ポーみたいに
壁には骸骨 君の知り合いたちの
乾杯しよう 真実に 私たちの言ったことに
乾杯しよう 君がベッドを共にする男に
私が風景画を描く 裸体画を描く
私は多くを含んだ人間

赤いキャディラック 口髭は好きだったことがない
キラキラと指輪を指に輝かせ
次は何だい 言ってくれ どうすればいいんだい
この魂の半分はベイビー 君のもの
でも若い奴らと一緒とはいかない
私は多くを含んだ人間

私はアンネ・フランクのようさ もしくはインディアナ・ジョーンズ
もしくは英国のバッドボーイズのローリング・ストーンズ
私はまっすぐ端まで行く 果てまで行く
失われたものがある場所へ
私は経験を歌う ウィリアム・ブレイクみたいに
謝りたいことも 少しある

すべては流れる何もかも同時に
私は罪のブルヴァードに住んでいる
速い車で飛ばし ファースト・フードを食べる
私は多くを含んだ人間

ピンクのペダルプッシャー 赤いブルージーンズ
可愛い女性たち クイーンたち
私は4丁のピストルとナイフを持っている
私は矛盾だらけ
いくつもの気分を抱えてる
私は多くを含んだ人間

欲深い老狼め この心を見せてやろう
でもすべては見せないよ
お前を乗せ 川を下るお前の頭に値段をつけて
これ以上何が言えよう 私は眠ろう 生と死と同じベッドで

私は道を空けておこう 私の頭の中の道
私が引き受けよう 置きざりにされたかつての愛がそこにある
ベートーヴェンのソナタをかけよう ショパンの前奏曲をかけよう
私は多くを含んだ人間

聞取りと訳:丸山京子

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2020/04/15

Contagion Full Movie English 2011 HD

Contagion Full Movie English 2011 HD 2020 Movie Coronavirus.

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「21 Lessons」 21世紀の人類のための21の思考 ユヴァル・ノア・ハラリ <1>

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「21 Lessons」 21世紀の人類のための21の思考 <1>
ユヴァル・ノア・ハラリ (著), 柴田裕之 (翻訳) 2019/11 出版社: 河出書房新社 単行本: 472ページ
No.4404★★★★★

 

 

 

 縁あって、このページまで迷い込んだ人へ。当ブログのメインテーマは瞑想です。瞑想を知りたかったら、OSHO、をキーワードとして検索してください。もし機縁があれば、あなたはあなたの人生のもっとも貴重な時間を体験している、ということに気づくことでしょう。 LOVE 把不住

<2>につづく

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小説・ある日突然(仮題)<2>

<1>からつづく

小説・ある日突然(仮題・編集中)2

 大体分かってきたことは、こいつらは、怒っている、ということである。決して私は愛されていない。とにかく鵜の目鷹の目でみているということだ。なるほど、私は、決して理想的な優秀な生活ライフを送っているとは決して言えない。間違いとか、ま、いいか、という程度の、いい加減な態度は確かにある。思えば、いい加減なこともあるにはあるだろう。

 しかしだ。こいつらの態度は明らかに違う。こんな扱いをされているのは初めてだ。学校時代だって、たしかにケツを叩かれたり、ドヤされたりしたことはあった。それは今思えば、あいつらが暴力教師とか、悪評の立つような癖のわるいコーチとか、そんなもんだけだっただろう。軍隊帰りの体育教師とかね。

 こいつらは、なにか部屋を見せろという。いわゆるドヤなんとか、家宅捜査、というやつだな。こいつら我が家から何を探そうというのだろう。何が欲しいんだ? 三人のうち、一人は明らかに私の挙動をチェックし続けており、他の二人は、隣の部屋の妻のタンスを開け始まった。こいつら、何の権利があって、こんなことするんだ。もっともそんなところから、何んにも出てこないけどね、妖しいものなんか。

 靴下とか、古い手帖類とか、子供のおもちゃとか、買っただけでいつの間にか組み立てるのを諦めてしまった、大型のプラモデルとかね。あとは、衣類、寝具類、書類。書類と言っても、古い書籍類は狭い自宅では圧迫感がありすぎるので、定期的に古本屋に持っていっている。どこにもあるようなばかりだろう。

 と、一人の若いでデカ(だろうな)が、小さな引き出しから、私の資格書類をファイルを引き出して、興味深そうにみていたあと、それをボス(だろうな)に見せている。それは、珠算とか、簿記とか、英検とか、雑多なファイルだが、その中に、農業機械士とか、農業用劇物毒物取扱主任とか、危険物とかの資格試験も入っている。

 どうやら、こいつらは、そのような私の人物像につながるような、なんらかの決定的な要素を探しているようだ。珠算や英検ではない。明らかにハードな、私の能力や指向性につながる何かを探しているのだ。なんだろう・・・・?

 台所や、男の子と女の子の二段ベッドもある私たち一家の寝室は、かなり簡単にジロリと目視しただけだ。ここらあたりは、あんまり興味はなさそうだ。トイレや風呂も、まぁ、どうでもいいや、という態度だ。そもそも、こいつらは、その辺あたりまでの捜査権を持っていないのかもしれない。

 次に彼らの強い関心を引き寄せたのは、私の事務室である。事務室とはいうものの、風呂の脇の通路から、本来は一回外にでて靴を履き替えてつながっていた、ちょっと大きめの物置を改造した、なんちゃって事務所である。屋根は波板トタン、壁面も波板トタン。床は、隣の畑に続いた土面だ。土面じゃなんだから、と板製の桟橋をいくつも並べて、まぁまぁ、スリッパでも寒くないようにしているだけだ。

 壁も屋根も床も、実に最小限だ。いわゆる物置だから、そんなものでいいだろう。中からは、もう一度ベニヤとか古い板戸とかを打ち付けているが、基本的には、外に音は筒抜け、風はぴゅーぴゅー吹き込んでくる。もっとも、この日は、5月の中頃だったので、それほど寒くはないが、部屋の四隅のどこからかは、雨漏りがいつ起こってもおかしくないくらい、隙間だらけだ。

 電話もある。電話も実は、延長コードというのは、正式には電話会社と契約して5メーターほどのものを使用しなければならないそうだが、これは日曜大工の余ったコードを流用している。これは、たしかに違法といえば違法だが、今回の容疑ではなさそうだ。見て見ぬふり。当時はやり始めてミニファックスなども、まぁ、どうでもいいや、という雰囲気。

 そこで、突如、彼らの中のボスが、「これはなんだ?」と言い出した。ああ、それは私が興味ある新聞記事の切り抜きですよ。奴らは、それをなぜか、興味深そうにチェックしている。内から打ち付けた木板で作った机の前の壁に、画びょうで止めておいたものだ。大したもんじゃない。新刊本かなにかの案内広告だ。

 もっと他にないのか? ないのか、って、あるかもしれないが、そんなもの、何か関係あるの? 私は若干左寄りの新聞の購読者ではあるが、そんなこと、関係あるかな。この地域だって、何割かは、この新聞の購読者であるはずだ。何に興味があって、なにをしたがっているのか、なんてこいつらは関係ないだろう。

 そのあと、彼らは私の営業日誌に関心を持ち始めた。そんなものないですよ。そんな豆ではない。だが、全く記録がないわけじゃぁない。いろいろあるよ。と出して見せる。経理関係はあるか。もちろん、ありますよ。だけど、今、決算の関係で、会計事務所に渡してあるけど。じゃあ、それを持って来るように言え。なんとも、ひとつひとつが上から目線。いい加減こいつら、なんなんだ。

 当時はやり始めったPHS電話で、会計事務所に電話をかける。会計事務所と言っても、相手は古くからの私の友人だ。親父と母親と妹と4人で営んでいるごくごく当たり前の小さな事務所だ。友達も私と同じやや左がかった奴だから、ちょっとした電話で、今、私がどういう状況に落ち込んでいるのか、すこしは理解したようだ。簡単に説明し、いますぐ書類一式を持ってきてくれ、と依頼する。

 その一部始終を、一番若い奴がじっと監視している。なにか私がおかしなメッセージを送ったりしないか、チェックしているのだ。おいおい、なにが起きてんだ。なんなんだ、これ・・?

<3>につづく

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一句

老木が若芽につなぐ命かな     把不住

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2020/04/14

「世界遺産 平泉 金色堂の謎を追う」NHKスペシャル

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「世界遺産 平泉 金色堂の謎を追う」NHKスペシャル
販売元: NHKエンタープライズ 発売日 2012/10> [DVD] 形式: 色, ドルビー 時間: 59 分
No.4403★★★☆☆

 こんなパンデミックなタイミングで、このようなDVDを見ることになったのは、ゆえなきことではない。自分の中で、あるイメージがあって、そのイメージを具象化するための材料集めであるのだ。しかし、どうも、自分のイメージとは一体とはならない。

 そもそもは、一連の廃物アートの具象となるはずであり、形、スケール、材料、タイミングの、ひとつひとつづつが、それぞれに歩み寄り続けているのだが、どうもうまくない。そこには雑念があり、イメージが先行しすぎているようだ。そこに、どんな必然性があるというのか。

 このパンデミックのグローブに生きていて、その必然性とはなにか。具象とはなにか。そこんところがいまいちわからない。もう少し待てば、より親密性が近づいてくるのか。そもそも方向性が間違っているのか。無駄な探求をしているのか。単に遊ばれているのか。

 このDVDにおいての、違和感を記しておこう。まず、金色とは何か。豊臣秀吉の金色の茶室と通じるこの金ぴか趣味を受け入れるべきかどうか。パステルカラーの素朴観を通徹させるべきか。仏教を、外的なイメージとすべきなのか。内的な実感として秘すべきか。

 様式美、血の匂い、権力、民からの搾取。世界遺産? 何が遺産なのか? 仏教とはなにか。人生とはなにか。東北とはなにか。人とはなにか? 自分とは何か?

 どうも、その辺が、ぜんぜん、まったく、つながらない。

 

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2020/04/13

「プレムバヴェシュの孫たちとの対話」<81>パンデミック

<80>からつづく

「プレムバヴェシュの孫たちとの対話」 

<81>パンデミック  目次 

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 今回のパンデミックは、人類史の中においても、特異な位置を占めるようになるかもしれない。少なくとも、歴史家、科学者たちは、そう断言している。これまでもなかった現象ではないのだが、人類が磨き上げてきた通信と交通がさらに拍車をかけた。

 子供たちは、2月半ばから小学校も幼稚園も休みとなり、自宅待機となった。両親は働きにでているので、子供たちの面倒を見るのは、爺さんの仕事になることが多い。週末やら特別の日は、他の家族が担当するが、全体としては、とにかく目を目を離すわけにはいかない。

 それはそれでいいのだ。爺さんは、孫たちと遊ぶことは嫌いじゃない。嫌いじゃないが、宿題の勉強やら、縄跳びの練習など、時にはコーチングもしなければならないところが、楽しくもあり、ちょっと苦労なところでもある。そして、やはり爺さんそのものの仕事もある。その折り合いが、なかなかつかない時もある。

 このパンデミックはいつ終わるのか。日常はいつ戻るのか。それは今のところ、誰にも分からない。子供たちも、休みがいいのか、学校や幼稚園がいいのか、分からない段階になっている。だがしかし、行きたいと願っても、学校や幼稚園は開いていない。そうとなれば、やはり家にいて、爺さんと遊んでいるしかないのだ。

 STAY HOME の掛け声があちこちから聞こえてくる。Social Distancing の声も聞こえてくる。爺さんは、子供たちと家にいて、一緒に遊びながらも、決して感染しやすくなるような密接関係を作らないように工夫している。家の中にいても、マスクをしているのはもちろん、なるだけ、他の家族と、密集しないようにしている。夕飯が終わったら、そそくさと個室に戻る。

 時は、桜満開、春爛漫である。されど、今年の春は、浮き立った楽しさがない。静かに、静かに、パンデミックの行方を見つめている。

 

   風もなく見る人もなく桜散る   把不住

 

 

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2020/04/12

補遺 素晴楽堂日記(仮題) 準備中

補遺 素晴楽堂日記(仮題) 準備中

★               目次

 

 

 

 



2020/04/05 堂  

2020/04/05 春    

2019/12/29  歳時記2019

2019/10/26 素晴楽堂

2018/12/08  冬の松竹梅三句 

2017/11/12  百句

2017/06/13  (仮題)把不住庵日記 

 

 

 

 

 

 

 

つづく

 

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小説・ある日突然(仮題)<1>

小説・ある日突然(仮題・編集中)1

 ある日突然、朝早く。訪問者があった。何やら手帖らしきものを見せて、数人の屈強そうな男が狭い玄関に入り込んできた。なんだなんだ? とにかく部屋に入れろという。ふむ・・? そもそも小さな平屋の一軒家である。それほど空き部屋もないが、いつも訪問者やカウンセリングなどに使っている六畳ほどの部屋に通した。

 分かったか、ほにゃらら違反で、家宅捜査するという。???? 何言ってんだ、こいつら。そもそも、狭い一枚のスチールドアとは言え、いつも夜間は鍵をかけているはず。確かに玄関のチャイムは鳴ったが、こいつら、オレが中から鍵を開けようとしたその途端、外側にドアを開けて、押し入ってきたんじゃないか。

 おかしい。どうもおかしい。何が起きてんだ。3人の男たちの一番屈強そうで年上そうな男、40か50・・? 目つきだってそうとう悪い。「子供たちを早く学校にやれ・・・・?」 なんだこれ・・?

 子供たちは、小学3年と1年。なにがなにやら分からないはずだ。別な部屋で朝食を摂って、行ってきまーす、と玄関をでて行った。一年生の男の子はほとんどなにも気がつかず元気にでていった。3年生の女の子は、それでも何かおかしいな、といぶかりながらも行ってきます、と静かに赤いランドセルを背負ってでていった。

 灰皿はどこにある? なんでそんなことを聞くんだ? オレは、もう煙草なんか吸ってないよ。だいたい、友達が来たって、煙草は家の中では吸わせない。こんな狭い家では誰かが煙草を一本吸うと、数日は臭くてたまらない。こいつら、うちで煙草吸うつもりか?こいつらの不思議なことは、屈強な体をしながら、窮屈そうに正座している。座布団も出していないのに、ようやるわ。

 子供たちがでて行ったあと、名前を確かめられ、彼らが訪問してきた理由を伝えてきた。ん? 分からん。こちらも何もわからずに顔を出した女房殿は、一旦ドアを開けて人数を確かめたあと、人数分の茶道具をもってきた。お菓子などない。そもそもないのだ。葬式の法事かなにかでもらった緑茶を、ちょっと温めの魔法瓶を添えて持ってきた。彼女も何が起きているのか、理解していない。

 こいつらは警察、刑事たちなのだ、ということが次第に分かってきた。なにかのテレビ番組で見たことあるような、ないような。ちょっと雰囲気は違うが、きっとそうなのだ。若そうな二人は20代だろうか、30を超えているだろうか。明らかに若手で、ボスの手下だ。

 なにか手荒なことはしそうにないな、ということは、正座の姿から理解したが、それでも、目つきと言葉使いは、明らかに、こちらを何かの犯人扱いなのだ。明らかにこちらに落ち度があるらしい。ふむふむ、それは一体何なんだ?

<2>につづく

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「把不住述懐」<36>パンデミック

<35>からつづく

「把不住述懐」 
<36>パンデミック   目次

 当ブログ76番目のカテゴリ名は「邏の巻」とすることにした。一字の漢読みは「ら」であり、画数は、シンニュウ偏としては一番大きい23画である。訓読みは「めぐる」であり、警ら隊などの警邏などに使われる程度だ。各所をチェックするという意味らしい。警ら隊とは、あまりにも当ブログらしくないネーミングだが、パンデミックのこの時代、地球全体を、グローバルにチェックする、というニュアンスにおいては、けい邏も、ありではないか。

 思えば、この把不住述懐もなんと一年のブランクがあった。いろいろ項目を作っているので、あちこちに書けるので、別段にこのコラムでなくてもよかったのだが、邏の巻の第一番目には、このコラムでスタートするのが一番いいかな、と考えた。その理由はいくつかあるが、まずはいよいよ、時代も、どん詰まりに来たかな、という予感が強くなってきたからである。

 「大河ライフワーク(仮題)」というものをスタートしてみた。いよいよ当ブログ全体をまとめ始まったのであり、私の人生のまとめでもある。これは一つのライフストーリーであるし、また孫たちへの伝言である。そこまでは早すぎるかもしれないが、私の友人たちへの自己紹介であり、経過報告であり、最後のメッセージでもある。

 今度のパンデミックは65才以上の高齢者と、持病持ちを狙い撃ちしてくるという。その領域に到達しているわが身としては、感染後に突然肉親との面会も遮断され、人工呼吸器を、若い生命に譲ったあとは、人知れずさっさと火葬されて、あっと言う間に埋葬される、という事態に遭遇しない、という確証はない。準備が必要だ。

 ここまで書いてきたのだから、気の利いた友人なり、親族なりは、この「大河ライフワーク」を見れば、私の大体のストーリーはつかめることだろう。まだまだ誤字脱字が多く、最初からそういう意図でまとめられたものではないので、読みにくかろうが、読みにくいは私だって同じことだ。

 まとめるとすれば、肉体としての私と、私が師事したOSHOと、私が生きたこの地球について、という三つの大きなテーマとなろう。一言で言えば禅ということになろう。

 これまで文章化をためらってきた、私自身の中の大事件を、小説(ある日突然に)というストーリーにまとめるかどうかは、まだ決定はしていない。プライバシーに大きく関わるないようであり、また、特段に他者に知らせたいとも、思っている内容である。されど、秘文として、いずこかに秘匿しておくのも悪くないかな、と思っている。

 素晴楽堂日記は、早い話が、厚紙を短冊風に切って、ありあわせの筆で、日々書き続けている俳句(らしきもの)のことである。最終的には、この中から一句が私の遺言となろう。

 このようにお尻を切った形で、いままでの乱雑に書き残されてきた雑文たちを、それなりに整理整頓していくつもりである。友人たち、親族たちに、なるたけわかりやすい形まで集約されることを願っている。

<37>につづく

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2020/04/11

地球人スピリット・ジャーナル・ダイジェスト版<78>「辷の巻」について

<77>よりつづく

「地球人スピリット・ジャーナル」ダイジェスト版

<78>把不住述懐「辷の巻」について

 書かれたのは、2019/11/14から2020/04/11。 辷という文字、正確にはなんて読むのか知らない。まだ調べていない。だが、すべる、と検索するとでてくるので、この文字は、すべる、という字なのだ、と、今のところはしておく。

 その意図は定かではない。とにかくこの把不住述懐においては、各カテゴリをシンニュウの巻で行こう、と決めたわけで、その中において、一番シンプルな文字は何か、と問えば、辷、というもじになる、ということである。

 辷るは、すってんころりんすべる、という意味とは若干違っていて、なにかをすると入れる、というようなニュアンスらしい。それ以上のことは知らない、知っても意味はない。

 今回は、こちらの意図しないなにか、別なところに辷っていくのではないか、そんな予感がしていた。前カテゴリのれいわ新選組から離れ、もともとのOSHOの元へ戻ろうとしていた。この頃、なかなかよさげなOSHO本がいくつも出版されているのだ。そろそろOSHO熟読の時期到来かな。じつはそんな予感があった。

 しかし豈はからんや、その関心は、テレビの放送大学に移り、放送大学の心理学コースに移り、公認心理士試験に挑戦!、というところまで、実は盛り上がっていたのだ。

 しかし、いざ心理学に戻ってみれば、そもそも私は心理学の徒であって、天上階には山ほど心理学関係の本が積み上げられているのである。彫り出し始めると、あれもこれも、再読再読、次から次と読み始めてしまった。これじゃぁ、なにもいまさら学費まで払って、大学なんどに再入学などしなくてもいいんじゃ、ない。

 そんな時、またまた風雲吹き荒れ、なんと5番目の孫の誕生の可能性のニュースが飛び込んできた。しかもその妊婦さんと同居することになったのである。最初は、小さな子供たちの心理を学ぶにはちょうどいいかな、なんて甘く考えていたが、とんでもない。日常的に彼らが侵食してくるエリアは半端なかったのである。

 もうこれはOSHOも、放送大学も、心理学も、心理資格も諦めよう、と思たっていたところに、今度のパンデミックである。いやはや、辷った、辷った、これほど辷るとは思ってもみなかった。いや、まだまだ辷りそうだな。

 このカテゴリこの三冊は次の通り。

「感染症パニック」を防げ! リスク・コミュニケーション入門
岩田 健太郎 (著) 2014/11 光文社新書 新書  

「日本を襲ったスペイン・インフルエンザ」人類とウイルスの第一次世界戦争
速水 融 (著)</2006/02 出版社: 藤原書店 

「流行性感冒」「スペイン風邪」大流行の記録 
内務省衛生局 (編集) 2008/11 平凡社 東洋文庫 

 次のカテゴリ名はまだ決めてはいないが、やっぱりシンニュウできめようと思う。他に一画の文字あるか、なければ、二画から探そうかな。

<79>に続く

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再読したいこのカテゴリこの3冊「辷の巻」編

<前>からつづく  
再読したいこのカテゴリこの3冊 
「辷の巻」編

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「感染症パニック」を防げ! リスク・コミュニケーション入門
岩田 健太郎 (著) 2014/11 光文社新書 新書 
 

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「日本を襲ったスペイン・インフルエンザ」人類とウイルスの第一次世界戦争

速水 融 (著)</2006/02 出版社: 藤原書店 単行本: 474ページ 
★★★★☆

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「流行性感冒」「スペイン風邪」大流行の記録 
内務省衛生局 (編集) 2008/11 平凡社 東洋文庫 ペーパーバック 458ページ
★★★★☆

<後>につづく

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今日の気分はこの三冊<48>

<47>からつづく

 

今日の気分はこの三冊<48>

今日の気分はこの3冊 目次

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「 死について41の答え」 
OSHO(著), 伊藤アジータ(翻訳) 2015/01めるくまーる 

「瞑想録: 静寂の言葉」
OSHO (著), 中原 邦彦 (翻訳), 庄司 純 (翻訳) 2019/11 出版社: 季節社 

「あなたの魂を照らす60の物語」
OSHO (著), Amy Okudaira (翻訳)2019/11 出版社: 大和書房 

 

<49>につづく

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「ペスト」カミュ <2>

<1>からつづく

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「ペスト」カミュ全集〈4〉 <2>
カミュ 佐藤 朔 (編集), 高畠 正明 (編集), 宮崎 嶺雄 (翻訳) 1972/12  出版社: 新潮社 ハードカバー 260ページ
★★★★☆  

 

 不条理に一服立てて花まつり   把不住

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「人間の贅沢、ひとつ」「と・も・た・ち」放送大学<10>

<9>からつづく

人間の贅沢、ひとつ

作詩・作曲:小椋佳



と・も・た・ち
作詩・作曲:小椋佳



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「京都人の密かな愉しみ 桜散る」監督: 源孝志 <2>

<1>からつづく

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「京都人の密かな愉しみ 桜散る」<2>
監督: 源孝志  出演: 常盤貴子, 団時朗, シャーロットケイトフォックス, 深水元基, 銀粉蝶 2017/5 NHKBSプレミアム   DVD 時間: 118.00 分
 

風吹かず見る人もなく桜散る 把不住

 

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大河ライフワーク(仮題)

大河ライフワーク  (仮題)   編集中

 

ヤポネシア・フリーウェイ

オン・ザ・ロード1972

雀の森の物語

湧き出るロータス・スートラ

小説・ある日突然(仮題) 準備中

地球人スピリット・ダイジェスト版

OSHOの愛した本 お勧めの10冊

ツイート3・11

ニュートン伝

廃物アート・リスト

プレムバヴェシュと孫との対話

把不住述懐

補遺 素晴楽堂日記(仮題) 準備中

 

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3・11ツイッター 2011年3月~5月<2>

<1>からつづく

長文注意

2011年3月1日
パーマカルチャー菜園入門 自然のしくみをいかす家庭菜園  

2011年3月3日        
野性の実践 ゲーリー スナイダー  http://bit.ly/dMU7lh

2011年3月3日    
パーマカルチャーしよう!  愉しく心地よい暮らしのつくり方 http://bit.ly/gBVlDJ

2011年3月4日        
図解 田舎暮らし 目からウロコのさんぶん図解 http://bit.ly/ihBWF1

2011年3月4日          
田園生活の教科書 辛口のカントリーライフ入門書 http://bit.ly/ehC5yx

2011年3月5日           
里山ビジネス 玉村豊男 http://bit.ly/hpxP2s

2011年3月6日
小屋の力 マイクロ・アーキテクチャー

2011年3月7日        
ニホンミツバチが日本の農業を救う

2011年3月7日       
ニホンミツバチが日本の農業を救う http://bit.ly/eEuqHd

2011年3月8日         
ミツバチ―飼育・生産の実際と蜜源植物 (新特産シリーズ)  http://bit.ly/gL4S5A

2011年3月8日          
ニホンミツバチの飼育法と生態 http://bit.ly/f9GHKq

2011年3月8日          
シェルター ロイド カーン  http://bit.ly/faRqgN

2011年3月9日 
ニホンミツバチの飼育法と生態

2011年3月9日          
トルコ・イスタンブール通信 『トルコのオーガニック農園1』 

2011年3月11日 
パーマカルチャー 農的暮らしの永久デザイン

3・11大震災発生

2011年3月14日       
ふたりとも元気。家も大丈夫.-。とにかく一ヶ月この生活を持続できる体制をつくっている。水、食料、暖房、医療、なんとかいける。電気こないが、太陽光発電でケータイ充電可能。ラジオ、ワンセグ、ガソリン、最小限ながら活用可能。gメール使えるが、返信難儀、ちゃんと生きてる。love

2011年3月16日          
ゆうべ、4日半ぶりに電気がつうじた。計画停電、協力ありがとう。

2011年3月16日
固定電話、光電話、ファックス、光フレッツ、使えず、auのIS01の3G回線でネットの読み書きをはじめた。ぶつぶつ切れるが、なんども挑戦している。

2011年3月16日          
私の家族、親族、友人では壊滅的情報はなし。ただし数百家族のお客さんとは、まだほとんど連絡がとれていない。ネット、電話、車、電車がつかえないので、仕事再開できず。

2011年3月16日          
暖房、調理、通信、寝具、最小限の電気に切り替えた。食料、当面大丈夫。水、現在豊富だが、放射能汚染怖いので、風呂桶を掃除し、飲用水クオリティでバスタブに貯蔵した。都市ガス、数ヵ月以上不通の見込み。調理は電子レンジであたためはじめた。

2011年3月16日 
本日16日午後15時、インターネット接続できるようになり、デスクトップのパソコンも使えるようになりました。固定電話、ファックスは、まだ使えません。当然ですが、郵便や宅急便はまだつかえません。都市ガスは、数か月間以上、無理とのNHKの情報あり。すこしづつ業務再開しています。

2011年3月16日 
わが家は、福島第一原発から80キロ圏内。風向きなどによれば、次第に屋内待機や退去命令のエリアに入ってくる可能性は高い。そうなったとしても、私はこれ以上、別な地域に逃げようなんて考えないだろう。ここを一期と覚悟を決めるしかあるまい。楽しい人生だった。早めの辞世の挨拶。LOVE

2011年3月16日 
被災した釜石市の市長は、野田 武則。サニヤス名、スワミ・アンタール・ヤトリ。一緒にオレゴンのコミューンに行った仲間http://go2senkyo.com/diet/profile/0069/00069841.html 彼の安否情報をまだつかんでいない。

2011年3月16日          
地震の前からこれに入札していた。だけど昨日はネットに接続できなかった。これを山の椒エコビレッジに置きたかったな。また、格安の出物を探すかな。 [ヤフオク]☆キャンピングトレーラー D290 売りつくし☆ http://yj.pn/lGCtdZ 

2011年3月16日 
被災して、すぐ思ったのは、ケータイが通じないのは困る、ということ。そして圏外になると、すぐに電池がなくなる。車のバッテリーでも充電ができるが、エンジンをかけなくてはならない。太陽光でケータイを充電できる器具がたしか1万円前後であったはず。これは必需品だな、と思った。

2011年3月16日 
お隣が太陽パネルで発電している。ご飯も炊けるし、テレビも見ている。もちろんケータイの充電もさせてもらった。欠点は、日中の日差しの強い時間だけしか使えないこと。蓄電するシステムや、価格の設定をもっと安くするなど、本気になって普及をすすめなくてはならない。それを妨げているのは誰だ?

2011年3月17日 
4日半、電気なしで被災地で過ごした立場でいえば、電気のあるなしは大違い。情報、調理、暖房、すべてにおいて、いのちが復活した感じがする。みなさんの計画停電に、深く感謝します。ぜひご協力お願いいたします。

2011年3月17日 
今回、あるなしで大きく違ったのは、灯油ストーブ。通常は、やけども怖いので、灯油ファンヒーターで冬を過ごしているが、電気がこなければ使えない。灯油ストーブは、暖房になるだけではなく、調理ができる。それに明りにもなる。わが家では普段は使わないけれど、一台だけ物置に備蓄しておいた。

2011年3月17日 
そもそも、ど田舎でも、屋敷林の枯れ木を処分するのに処理業者に有料で持って行ってもらって、暖房に中東から来た高額な石油を使わざるを得ないライフスタイルは、異常過ぎる。日本は視点を変えれば、資源大国だ。都市の過密スタイルを推し進めたために、捨てられてしまった資源がたくさんある。

2011年3月17日 
今回は、原発事故で電気の価値を再認識指させられたわけだが、あれだけ国策で原発を推進したのだし、首都圏のために東京電力が福島原発を作った訳だから、それだけ安心だというなら、最初から東京湾に作ればよかったのだ。石原慎太郎の家の隣に設置すればよかったのだ。詭弁を弄するのはもうやめよう。

2011年3月17日          
狭い日本国土ではあるが、過疎地帯はたくさんある。1億人が暮らすには十分すぎるほどの広さがある。田舎で暮らしにくい国策を推進させすぎたのだ。負け組としてのホームレスの人々でさえ、都市でくらさなければなくなっている。そもそも、大自然は、人間のためにたくさんの資源を無料でくれている。

2011年3月17日 
電気は必要だ。でも、水力のダム堰き止め、火力の石油浪費、原発のモンスター・サイエンスの時代は終わらせなければならない。電気以外でできることはそちらの資源にまかせるべきだ。そして、風力や太陽光発電などの持続可能な資源を利用し、スマートグリッドで最小限の電力で暮らす工夫が必要だ。

2011年3月17日 
避難場所の体育館はたしかに寒かった。私は歩いてそこまで行ったが、校庭では、大きなワゴン車や4WDで乗りつけて、一晩エンジンを付けたまま暖を取っていた家族がたくさんいた。これじゃぁ、すぐガソリンはなくなるよね。同情する余地はない。わが家では、被災後、車は1メートルも動かしていない。

2011年3月17日 
移動はすべて徒歩か自転車にしている。被災したのは、街中の高層ビルの4階。普段は電車で数十分のところだが、地震後は自宅まで2時間かけて歩いてきた。なに、たいしたことではない。健康のため毎日一万歩ウォーキングすべき身としては、単に12000歩、歩いただけだ。すでにトレーニング済み。

2011年3月17日          
自転車は体にいい。暖房がないから寒い、なんて停電した家の中に閉じこもっている必要はない。自転車で街中をサイクリングしていると、体中がポカポカしてくる。放射能が心配なら、家の中に散乱したガラスのかけらや、崩れ落ちた本だなの片づけ。これだけでも、かなりの暖房エネルギーの節約になる。

2011年3月17日
自転車は二台ある。もちろん奥さんと私の分ではあるが、一台は折りたたみ自転車。いざとなったら、プリウスに積んで遠くまで行き、そこからさらに自転車で移動する。自転車は安い。10年前くらいに初売りで一万弱で買ったものが、今でも現役で使える。5段変速で、坂も上るし、ダイエットにもなる。

2011年3月17日
被災直後からガソリンスタンドに長蛇の列。1キロ2キロ並んだとて、最初から売っていないので(電気がきていない)、並ぶだけ損。その間、暖房をかけているので、ガス欠になり、路上に乗り捨ててしまった車で交通渋滞が起きている。発想がワンパターン過ぎる。被災後は、緊急以外、自家用車禁止。

2011年3月17日 
街中をウォッチングしていると、コンビニやスーパーに長蛇の列。近寄って覗いてみるが、数時間並んで買わなければならないような物は、わが家にはない。十分とは言えないが、それでもほとんどは備蓄してある。あるいは、すでにあるもので生き延びることを、まずは考えるべきだ。方法は山ほどあるはず。

2011年3月17日 
他のクルマはエンジンをかけないと、アダプターがあってもエンジンをかけないとケータイに充電できないが、ハイブリッド車なら、エンジンをかけないで充電できる。目の前に大型バッテリーがあるのだ。ケータイのバッテリーの比ではない。そもそも、これに太陽パネルで充電できるようにすればいいのだ。

2011年3月17日 
電気自動車は本気になって実用化しないといけない。走行距離が短い、なんて言ってはいられない。100キロも走れれば十分だ。長距離走行が必要な車なんて、そんなに多く必要ない。メーカーはもっとシンプルで安価な電気自動車を開発して欲しい。現代では車は必需品。電気車はもっともっと安くせよ。

2011年3月17日 
パーマカルチャー 農的暮らしの永久デザイン http://bit.ly/i5uE1p

2011年3月17日 
普段、電気ストーブは効率が悪いので使わないが、今回、物置から20年以上の前の物を発見。小さなもので、決して熱量は十分ではないが、遠赤外線ストーブなので、体の底から暖かくなる。88年頃に、ドクター村越が作り、シャンタンがプロデュースして、ガタサンサ等のユニティが販売したもの。

2011年3月17日 
停電で販売できなかった自動販売機が、通電直後はたくさんジュース類が残っている。通りかかった自販機にコーンスープが残っていたので、2本買った。もっと欲しかったが、2本で売り切れになった。飲み物を買うのなら、むやみにスーパーやコンビニに並ぶより、自販機を自転車で回ってみるのもよい。

2011年3月17日 
仙台空港のある名取市周辺は、仙台東道路から東側に全面的に被害。私の親戚の家が一軒あるが、おじいさんが家を守るため避難しなかった。津波で床下浸水。かろうじて一命を取りとめた。家を守るより、命を守ったほうがよい。とにかく避難しよう。後から助けにいくのは大変だ。

2011年3月17日 
8円運用で2台買っておいたAUのスマートフォンIS01が大活躍。一台でネットにつなぎ、もう一台は充電用。あるいは持ち歩く時は、予備のバッテリーとなる。ワンセグの感度がよく、ふたを閉じて、イヤフォンをつけてポケットを入れておくと、携帯ラジオのような使用感になる。

2011年3月17日 
仙台新港にある都市ガス・コンビナートは壊滅的破壊。再建には数カ月以上かかると報道されている。それを受けて、プロパンガスを使っていた家庭のボンベを狙って、取り合いになる場面もでてきている。プロパンとて何時までも安泰ではない。とにかくゆずりあって、今あるものを活用することを考えよう。

2011年3月17日
コンビニでは沢山の新聞が売れ残っている。ただし3月11日付けまで。それ以降のものは、そもそも入荷薄だし、すぐ売れてしまう。避難所の一部には部数は少ないが新聞が届いている。年寄りはネット情報はあまりアテにしていない。古い新聞でいいからボランティアにはいる人たちは古新聞持参おすすめ。

2011年3月17日
福島第一原発の自衛隊による消火用の水の投下がショーアップされて映像が長く放映されている。文化人らしき人物たちがいろいろ実況放送しているが、消火は担当者達にまかせて、もっと公共の電波を、被災地のために有効に使うことを考えることができないのか。40年前のあさま山荘放送を思い出す。

2011年3月17日          
警視庁の高圧放水車の水量は4000リットル。つまり4トン。風呂桶4つ分。この水だけなら、物置一つの火事なら消せるかもしれないが、一軒家の火事は無理。ましてや世界に冠たる原子力発電の施設である。絶望的になるな、と言われても、絶望的にならざるを得ない。下手な希望を持たせるな。

2011年3月17日 
気仙沼あたりで灯油の無料配布が始まったとのNHK報道。順次、回復していくはず。量には限りがあるとのことだが、奪いあいせずに、みんな分け合おう。次第にすこしづつ、なんとかなる。すでに一週間が経過した。これまでなんとかやってきたのだから、あと一カ月、持続可能な家庭環境をつくろう。

2011年3月17日 
わが家は、福島第一原発から正確には85キロ圏内。米軍基準でも、まだ退避圏内ではないが、グレーゾンと言える。ここからさらに北に逃げるとすれば、青森あたりか。
「避難範囲80キロ 米『日本と基準違う』 米軍にも影響」 http://t.asahi.com/1nnq

2011年3月18日 
屋内退避が必要で、なおかつ生活物資が届かない、となれば、一体どうすればいいのか、という心理になるのは当然だ。20~30キロエリアの人々の気持ちがよくわかる。こちらは85キロ圏内で、一定の安全エリアで、なおかつ今日あたりから生協やスーパーが限定営業を始めるという。回復は進んでいる。

2011年3月18日 
情報や交通がすこしづつ回復するにつれ、次第に被害の現状が明らかになりつつある。いままでは、むしろ良好な状態にあった人々との情報交換が中心だった。これからが本番だ。とにかく自らが自活できる足場を固めつつ、周囲に目を配って行く必要がある。自分になにができるのか、あらためて問いなおす。

2011年3月18日 
計画停電に協力していただいて、本当にありがとう。感謝します。被災地で寒い不安な夜を過ごす立場にしてみれば、部分的な通電であっても、本当にありがたい。あかり、暖房、調理、普段何気なく使っている電気のありがたさがよくわかる。原発に代わる新しい持続可能な電力をみんなで考えよう。

2011年3月18日           
NHKニュースによれば、宮城県内のすべての水道が今月末までに全面的に復旧する見通しだという。水道は、地域や住環境でかなりの違いがある。一軒家はOKでも集合住宅の上階には届いていない。自家水道のところは電気がこないのでポンプが使えない、など。公園の水飲み場に通う家庭も多い。

2011年3月18日 
電気が回復し、光フレッツでネットは回復した。しかし、光電話は不通。地域の旧来の固定電話が復活し始まったので、屋内機器を確認したが通話できない。そこで震災故障担当にケータイから連絡しておいた処、ケータイに返信があり、局側からチェック。この地域はまだ光電話の目途が立っていないとの由。

2011年3月18日          
8円運用のはずだった#IS01は、Wi-Fiが使えない段階で、simを差して、3G回線を使ったメイン機種に躍り出た。月額マックスの5700円にはすぐ到達してしまったが、これ以上、高くはならない。AUにはこれまでお世話になっている。今月この位の負担は、一ユーザーとして当然のことだ。

2011年3月18日          
向かいの80歳を超えたおじいさんは、腎臓透析を行って2年になる。地域のクリニックが停電になった段階で、クリニックから集団で地域中核病院にバスで移動して透析をしていた。電気が回復したので、地域のクリニックに戻ったが、車はすでにガス欠なので、雪の中、自転車で透析に通っている。

2011年3月18日          
午後、地域の銀行に行ってみたら、普段と同じように営業していて、窓口もそれほど混んでいなかった。ただ職員はいつもより落ちかなさそうに、変則的な動きをしていた。出金制限とか、いろいろな枠はあるのだろうが、街の風景はすこしづつ、落ち着きをとりもどしつつある。

2011年3月18日          
郵便もすこしづつ回復している。ただ一週間遅れの書類。通常なら夕方7時まで投函すれば、翌日配達となる市内の郵便だが、はて、今後どの位のスピードで回復していくのか、未知数。宅急便は地域限定で動き初めているようだが、この周辺では集・配とも動いている気配はない。そもそもガソリンがない。

2011年3月18日          
東京の古い友達がケータイに連絡をくれた。この3連休でなんとか仙台入りしたいという。ありがたいことだが、帰りのガソリンを確保できないだろう。東京もガソリンと灯油不足は同じ状況のようだ。今回はむしろ長期戦になるので、もう一週間くらいあとに仙台入りしたら、と返答した。

2011年3月18日          
何か必要な物資はないか、と聞かれた。わが家では並んでまで買わなければならない物はない。でも、もしその気があるのなら、大変だろうけれど、計画停電に積極的に協力してください、とお願いした。被災地においては、必需ライフラインのトップは電気だ。電気さえあれば、かなりの部分をカバーできる。

2011年3月18日          
福島第一原発から100キロ圏内の、宮城県内の大学では、アメリカなどからの留学生は、本国に帰国するように命令がでているらしい。外国から見れば、私たちが住んでいるこの地域は、すでにかなりな危険地域ゾーンになっていることは間違いない。脱出できる処がある人たちは、幸せと言えるかもなぁ。

2011年3月18日          
いろいろメッセージが入ってくるようになった。とくに今日は外国からのメールがあいついだ。アメリカ、ドイツ、トルコ、。日本で何がおきているのか、なにか手伝うことはないか、と聞かれた。とっさに浮かぶことは、とにかく、福島原発がおだやかに沈潜することを祈ってほしい、ということが一番だ。

2011年3月18日          
仙台市周辺の都市ガスは、数か月に渡り絶望的と言われている。ガスがなくて困るのは、調理と風呂だが、調理は電気があれば電子レンジとか電気釜などがあるので、なんとか代用できる。都市ガスがないと一番困るのは風呂。プロパンガスのところはなんとかなっているようだ。風呂なしは何カ月続くのか。

2011年3月19日          
腎臓透析のため病院に自動車で通う人のためのガソリンを優先するために、行政で登録証を発行し始めたというNHK報道。さっそく前の家のおじいさんに教えなくっちゃ。

2011年3月19日          
NHK朝ドラ「てっぱん」再開。そうか一週間放映していなかったんだな。とてもあんな番組見てられるか、って気分だったけど、ようやく、またあの続きをみてみる余裕がでてきたんだな。震災のほぼ輪郭が見えてきて、福島原発の放射線も横ばいになりつつある。甲子園も決行とか。気をとりなおそう。

2011年3月19日          
交差点を緊急車両がサイレンを鳴らして過ぎ去った。よく見ると広島県から来た救急車だった。遠いところ、こちらに来て、活躍してくれているのだ。
広島県民のみなさま、ご支援、ありがとうございます。

2011年3月19日          
毎週土曜日に来てくれている灯油販売車は、先週12日はこなかった。地震の翌日の混乱の中だったから、当然だ。今週も無理だろうと思っていたところ、お得意様だけ、ということで、回ってきてくれた。18リッターだけだが、買うことができた。着実にライフラインはつながりつつある。

2011年3月19日          
近くの大型文房具チェーン店。10~14時の限定営業開始。土日営業。乾電池類、完売。A4印刷用紙、品薄。追加入荷予定なし。新聞類、そもそも入荷なし。その他は、それほど品薄感はなかった。来店客も、並んでいるほどでもないし、普段と変わらない感じ。むしろ、店員がいつもより多い。

2011年3月19日          
近くの生協の行列に並んで、2時間後に買えた奥さん、帰ってきて開口一番、「けっこういいものが買えた」。昨日から生協は限定営業を開始したが、昨日は最長で6時間くらい並んだらしい。ごくろうさまです。

2011年3月19日          
廃炉は必要でしょう。最初の最初から危険だと言われており、最後の最後にこのような事故を起こしているのだから、原発の廃炉は当然の事だ。それに代わる代替エネルギーの実用化へ邁進するべきだ。少なくとも、個人家庭におけるエネルギーの可能性をもっと広くする必要がある。出来る事から始めよう。

2011年3月19日          
明日、ほとんど水没してしまった、親戚のイチゴ農家が何軒か偶居している宮城県亘理郡山元町の避難所に、手持ちに残っている物資を持って、お見舞いに行ってみることにした。車に荷物を積んでいて、ふと見ると、東の空に大きな満月がかかっていた。きれいだぁ、とも思ったが、大潮も心配になってきた。

2011年3月19日           
うちの奥さんのつぶやき。  「え~、あんなのまだ使う気なの・・? だいたい、どうやって修理するんだろ??  コンクリートで固めてしまったほうが早いんじゃないの。」

2011年3月20日           
被災地にいる人たちは、自分の身の回りのことだけでもままならない。遠くの人はヘルプに入ろうと思っても入れない。とすれば、私のように被災地にいて、なおかつ、ようやくライフラインが復活した地域の人間が、まずは動き出さなければならないのだろう。それにしてもガソリン等の足の確保が大変だ。

2011年3月20日          
宮城県南部の山元町で被災した親戚の避難所を訪ねてきた。布団、毛布、食糧などは。それなりに足りている。暖房、通信、電気もなんとか復興しつつある。しかし、決定的に不足しているのはガソリン。ガソリンさえあれば、なんとか被災地でも自活できる人たちがいっぱいいる。ガソリンをこちらに回して。

2011年3月20日           
消防署の前に、名古屋と尾張小牧ナンバーの救急車が何台も並んでいた。愛知県民のみなさま、ご協力ありがとうございます。

2011年3月20日          
消防署の前に、泥だらけのポンプ車たちが、たくさん並んでいました。消防のみなさん、消防団のみなさん、ご自分の家族を顧みず、地域のために活動していただいてありがとうございます。

2011年3月20日          
また余震なう。かなり大きい。少ない日もあったが、今日はなぜか余震が多い。しかも大きい。だいぶ余震には慣れたが、震度4~5位の揺れには、あの恐怖がよみがえる。

2011年3月20日           
4月に予定していた、甥の結婚式・披露宴は、無期延期になった。

2011年3月20日          
名取市閖上(ゆりあげ)地区に入ることを試みたが、途中で進入禁止になった。大体、仙台東部道路(海岸から2~3キロ)辺りまでの風景は一変していた。東部道路あたりに閖上(ゆりあげ)港の船がごろごろ転がっている。転覆したり割れたりしている。田んぼも広域に渡って浸水、ゴミが散らばっている。

2011年3月20日          
兄が名取市下増田地区の親戚の家の敷地内の倒木を、片づけのためチェーンソーで切っていたら、その木の下に、男性の遺体が下敷きになっていた、という。

2011年3月20日          
宮城県亘理郡山元町花釜地区の被災民によれば、海岸線の10mを超える防風林を大きく超えて、波が流れ込んできたので、あの津波は15mはあるという。同地区は、完全に更地になってしまった。4mの堤防も完全に破壊されたという。イチゴ農家は、家屋も農器具も流され、復興不能。田畑も海水で全滅。

2011年3月20日          
幸運な若い女性の話。あるコンビニ店員は、津波に流され絶望したが、避難して空き家になった他人の家に流れつき、そこから階段で二階に昇ったら、押し入れに濡れていない布団などがあった。一晩、そこにくるまって、翌日助けられたという。

2011年3月20日          
もっていかれた人たちには、二つのパターンがあるという。ひとつは、甘く見ていた人。そして、もうひとつは、他人を助けるために、戻った人、だという。

2011年3月20日          
宮城県亘理郡地域は、地震による被害はそれほど大きくなかった。家の中の家財がちらかった程度。だが、その後の津波が全てを押し流した。当地の人々は、当地のニュースが報道されていないことに大きく憤慨している。死者も150人程度はでているが、遺体置場もなく、他市に分散されている、とのこと。

2011年3月20日          
仙台市から山元町までの約40キロ移動の最中、稼働しているガソリンスタンドは結構あった。しかし全て緊急用のみ。一般の人々も並んではいるが、入れてもらえる可能性は少ない。船岡駐屯地あたりからだろうか、自衛隊の車が相当入ってきている。山元町役場は被災のため、一階だけが稼働している。

2011年3月20日          
宮城県山元町の被災地の人々は、下着や靴下、女性用品などが不足している。今、何が必要か、と聞いてもなかなか即答してくれない。なぜなら、日々環境が変わり、次の日、自分がどこにいて、どのような環境になるか、分からないからだ。とにかく、一番、ガソリンを回してくれ、という声が圧倒的に多い。

2011年3月20日           
もし、太陽発電パネルがもっともっと普及していて、電気自動車も、もっともっと普及していて、原発が完全に廃炉されていたら、少なくとも被災後の現地の復活は、もっともっと早かっただろう。津波の被害は仕方ない処がある。だが、今回の被災は、天災の部分だけではなく、人災の部分も限りなく大きい。

2011年3月20日           
名取市役所の近く、閖上(ゆりあげ)街道の北側、帰りの道端で、道売りの果物屋さんが、箱詰の野菜をまとめ売りしていた。とろろ芋一本700円と、デコポン20個入り2500円で買った。まずくはなかったが、しなびていた。

2011年3月20日          
放射能汚染を考えると、今後は、あまり安易に道売りの果物などは買えないな、と思う。善意で売ってくれているものとしても、品質そのものに、なんの補償もない。

2011年3月20日          
今日、宮城県南部の海岸線から数キロのところを、往復100キロ位走った。いたるところに、自分の眼を疑うような風景が山とあった。デジカメを持っていったのだが、一回もシャッターを押すことができなかった。私にはカメラマン・マインドはない。ひたすら、自分の、網膜に焼き付けた。

2011年3月20日          
わが家のマイカーは二代目プリウスだが、本日避難所に行く途中、ヒーターを最小限にし、信号機の少ない道を選び、できるだけ制限速度内の流れに乗って走った結果、100キロ走ったところ、リッター当たりの走行距離は、普段の走りより、一気に10キロメートル伸びた。これは正確な数字である。

2011年3月20日           
更地になってしまった、親戚のイチゴ農家には、軽自動車が4台ある。みんなひとりづつ運転して逃げたから、残ったのは、この軽自動車4台だけである。あとは全てを失った。田舎の農家では軽自動車は必需品。なにも高機能な電気自動車が必要なわけではない。せいぜい一日100キロ走れれば十分なのだ。

2011年3月20日           
農村が過疎化せず、高齢者だけが残されず、もっと若者の比率が高ければ、津波が来る、といった時に、もっともっと多くの人が逃げることができたのではないだろうか。高齢者一人住まいや、老老介護の家庭があまりに多すぎる。今回逃げ遅れた人たちの多くは、人災の被害者である。冥福を祈ります。

2011年3月20日          
宮城県山元町の高台にある役場や中学校の避難所を訪ねたあと、海岸線に近づいて、被災状況を見てみようと思った。だが、まだまだ、みんな、あちこちに引っ掛かってるよ、と言われて、助手席の奥さんが泣きだしたので、行かなかった。

2011年3月20日          
バイパスを走っていると、あちこちに「遺体安置場所」の矢印が見える。どれも、慌てて書いたような、手書きの文字で、いつもの葬祭センターのプリンターで打ち出したような活字体のものはない。

2011年3月20日           
野田武則 釜石市市長 NHKテレビなう

2011年3月20日           
電気がきてから、電気釜でお湯を沸かして、二日に一度づつシャンプーするようになったけれど、今日、親戚の夜間電力温水器の家庭でお風呂に入れてもらった。被災後初めてのびのび浴槽につかった。でも、機械類が地震で傾いており、蛇口も壊れている。湯量も十分ではないが、やっぱり風呂はいいなぁ。

2011年3月20日          
プロパンガスの家庭は、今のところ、調理、風呂に困ってはいない。しかし、だんだん火力が弱っている。タンクが空っぽになっても、業者がボンベを交換してくれない。運搬車のガソリンがなく、配送できないのだ。キャンプ用の小さなボンベなどを持っていれば、業者のところまで持ち込みもありかな。

2011年3月20日          
ライフラインは、各人、各家庭、各エリア、実に様々だ。お隣さんでも、環境がかなり違う。まったく同じ家庭というのがない。逆に言えば、隣近所、各家庭、向こう三軒、両隣り、情報交換しながら、協力すれば、意外と全部そろったりするから面白い。いよいよになったら、そうするしかないだろう。

2011年3月20日          
親戚で震災後の新聞10日分をまとめて見た。自宅に戻ってゆっくり読みたかったが、くれなかった(笑)。記念にとっておくという。宅配新聞はすでに4年前に止めているので、未練はないが、改めて新聞のカラー写真などの、どアップな記事を見ていると、今回の震災の、いかに激震であったかを痛感する。

2011年3月20日           
何故、山元町のイチゴ農家が再建できないか。農地、宅地の上の物が何もなくなった。農器具、農業施設を借金して再建するのは非現実的。農地は海水に洗われて、正常な土壌に戻るまで途方もない年月がかかる。そして、決定的なのは、風評被害。原発近くで生産されたイチゴなど、誰も歓迎しないだろう。

2011年3月20日          
宮城県山元町は、役場の機能も低下している。遺体安置場所を町内に作ることができず、近隣の市町村に分散されてしまっている。残された家族は、自らの近親の遺体確認するにも、ガソリンがないので、各市町村を回ることもできない。

2011年3月21日          
悪夢で目が覚め、考えなおした。これは、よい機会なのではないか。この春から、私たちは4万坪の土地にエコビレッジを拡大し、パーマカルチャーを展開しようと思っていた。しかし、4万坪では足りない。東北・関東を全部、パーマカルチャー中心のエコビレッジにするよい機会なのではないか、と。

2011年3月21日           
そもそも、現在行われているイチゴ生産法は、パーマカルチャーから見た場合、どれだけの妥当性があるのだろうか。もともと夏の作物であるイチゴは、夏に生産しても値段が安い。そこで生命時計をくるわせるために、イチゴ株を冷蔵庫に入れて、仮想の冬を体験させ、生産時期をずらしたりしている。

2011年3月21日          
ビニールハウスでセイヨウミツバチに受粉させる。時には、日照時間をイチゴに勘違いさせるために、夜中にハウスの中に電灯をつける。これって持続可能な農業なのだろうか。しかも、豊かで温暖な農村地帯なのに、米とイチゴだけの単作地帯になってしまっている。モノカルチャー化しているのもおかしい。

2011年3月21日          
荒れてしまった農地を復興させるのは、もはや60代や70代の高齢者達ではないだろう。20代、30代の若い人々が、夢を持って参加できるパーマカルチャーでなければならない。原発や化石燃料に頼った農業であってはいけない。自然エネルギーを最大限利用した、持続可能な文化でなくてはならない。

2011年3月21日           
過密都市を支えるための原発や、過密都市を支えるための、拝金主義的な農業であってはならない。もっと、みずからが、もっと人間らしく、全体的で、持続的で、融和的な、農業であるべきだ。農的な暮らしを中心とした、自立した文化をもつ、新しい人間たちが、今、この荒野に立つべきなのだ。

2011年3月21日          
農的暮らしを中心としたパーマカルチャーを展開するには、地域のネットワークに支えられたエコビレッジが必要だ。そこでは持続可能な自然エネルギーを中心として展開する。そのための絶対条件は、原子力発電所の完全な廃炉と、危険な原発を地方に押し付けようとするモンスター都市中心主義の廃絶だ。

2011年3月21日          
原発はもういらない。1960年代からの所得倍増、高度成長政策に支えられた、原発文化は、完全に時代遅れで、もはや地球人のあるべき姿の潮流にフィットしていない。地球を搾取し、虐待し続けるような文化はやめよう。そんな文化を止められない人々に注意を促そう。それはもう完全に古いのだ、と。

2011年3月21日           
牡鹿半島にある女川町の、ホエールランドの崩壊を、世界はどのように見るだろう。確かにクジラは地域の食文化であった。かつての貴重な動物資源であったかもしれない。しかし、21世紀においては、複雑に利権や欲得が絡みこんだ、経済トリックに成り下がっている。もう、この辺で捕鯨もやめようか。

2011年3月21日           
町も必要だろう。都市も必要だろう。だけど、一極集中、一人勝ちの首都圏だけが、高さを競うような高層ビルの乱立におごってはならない。モンスター都市を支えるために、原発を地方に押し付けるような文明であってはいけない。美しい地球、美しい日本には、有効な資源が沢山ある。それを活用しよう。

2011年3月21日          
今回の地震は、原発設計者達は想定外の激震だったと言う。しかし、そもそも、地球や大自然は、最初の最初から、人智を超えている。人智が想定し得る大自然などないのだ。持続できない、片道切符の文明は、もうやめなくてはならない。循環できる、持続可能なライフスタイルに、順次切り替えよう。

2011年3月21日          
モンスターサイエンスに支えられた、原発文明、化石燃料文明は、終局を迎えている。自然エネルギーを中心とした、それぞれが自立した地域が、ゆるいネットワークでつながる新しい文明がスタートする地点なのだ。地球生命につながるヒューマンサイズの暮らしを送ることができる人間社会が到来したのだ。

2011年3月21日          
日本政治のていたらく、国技=大相撲の崩壊、女川半島=金華山の被災が、私には、全部同じ意味に見える。いま、日本という括りが終焉したのだ。詭弁を弄する「国家」論者に耳を貸す時ではない。今は、ひとりひとりが、自分の足で、地球の上に立つ、ひとりひとりの地球人であるべき時なのだ。

2011年3月21日          
マジで脱原発への道

2011年3月21日          
20日の昼12時の段階で仙台←→山元町までの4号線、6号線に滞りはなかった。道路の段差、亀裂は多少あるが、通行可能。角田ゴルフ場→東根橋までの間に一か所寸断された場所があって、通行止めになっていた。角田陸上競技場に戻って、新しい272号線のトンネルを通って、6号線に戻った。

2011年3月21日          
大きなリュックを背負って、ヘルメットをかぶり、自転車で6号線を南下している人たちが、何人かいた。ガソリンを使わずに避難所に物資を届けようとしているのだろう。すでに避難所のケータイは復帰している。もっときめ細かく必要な物を個別に聞いて、一つ一つ届けて上げることができたらいいなぁ。

2011年3月21日          
宮城県山元町役場、山元中学校の場合、毛布類は既に足りている。私たちは、新品の羽毛布団上下セット二組、新品の毛布二枚を持っていったが、避難所の一人分のスペースが狭く、布団を一枚敷くということもできず、結局は、持ちかえってきた。一番喜ばれたのは、カップ麺一箱と、小さな物干しハンガー。

2011年3月21日           
親戚の名取市下増田地区の叔父85歳は、床下浸水の自宅農家で一晩過ごし、翌日ボートで救出された。直後は、オレは戦争にいったんだ、こんな津波に負けていられるか、と強いことを言っていた。だが、避難先の親戚先で次第に口数少なく落ち込み始めた。そろそろ、全体的なメンタルヘルスが必要だなぁ。

2011年3月21日          
宮城県岩沼市から山元町国道6号線へのガソリンスタンドは、かなりの数が稼働し始まっている。但しすべて緊急車両用のみ。一般車両は無理だが、少なくとも、ここまでガソリンがきているのだ、という心理的な安心感にはなる。みんな、極力節約しながら、パニックにならずに待ち続けている。

2011年3月21日           
ボランティアの方々は、まずピンポイントで友人知人にケータイで連絡してみよう。そして、必要物資のリストを作ってみよう。そして、あるものだけでいいから、自転車で届けてみよう。あるいは、自転車で行ける人たちに連絡してみよう。時速10キロとしても、一日で往復できる距離はかなり長い。

2011年3月21日           
被災地の人々は、何が必要なのか聞かれたら、すぐに即答できるようにリストを作っておこう。絶対必要なもの、すぐ必要なものを3点くらいに絞っておこう。短時間で返答できるようにメモしておこう。リストは日々変わるので、日々更新しておく。ケータイの充電量はこまめにチェックしておこう。

2011年3月21日          
宮城県山元町は福島第一原発から約60キロ圏内、仙台市は約90キロ圏内。今すぐ危険ではないが、放射能の影響は自己判断で対処しよう。自転車で移動中に「ヒバク」する可能性はゼロではない。帽子、マスク、サングラス(ゴーグル)、手袋は必須。ラジオやワンセグで常にニュースをチェックしよう。

2011年3月21日          
被災地の人々は、自宅に戻ることを諦めている人が多い。とにかく今は避難所にいるが、これからの見通しがたたない。親戚に身を寄せたりしても、家族のいる人たちは、小学生、中学生の通学の問題を抱えている。ガソリンがなければ車での送り迎えもできない。学校側の方針もいまいち見えてこない。

2011年3月21日          
福島第一原発の30キロ圏内から、縁故を頼って仙台市太白区の一般民家へ8人の人々が避難してきた。数日ならなんとかなるだろう。だがこれでは持続できない。抜本的な解決策もない。少なくともこういう実体があるのだ、という事を周囲にシェアしてみよう。割と大きな家に一人で住んでいる人もいる。

2011年3月21日          
こんな時こそ、被災地に届けようと生産を拡大しようとしている農家にとって、放射線の影響が心配なので、出荷を抑制して欲しいという要請を受ける農家の悲嘆が聞こえてくるようだ。そもそも原発さえなければ、こんな心配しなくてもよかったのだ。安全な物なら、最初から東京湾に作ればよかったのだ。

2011年3月21日          
宮城県牡鹿半島の女川原発の情報がまったく流れてこないが、現在事故が起きていないとは言っても、本質的に福島第一原発と、抱えている問題は同じ物だ。安全な物なら、最初から東北電力の本社内とか、県庁の隣に作れば良かったのだ。原子燃料サイクル基地も青森ではなく、皇居内にでも保存してほしい。

2011年3月21日          
甘く見ていたのは、原発推進派。助けに行っているのは、余裕を過信している政府と科学者たち、経済人たちetc。今回、両方とも、津波にもって行かれてしまうのではないかな。とにかく、今は、自立できるライフスタイルを確立しつつ、「避難」しよう。持続可能な世界へ退却しよう。生き延びよう。

2011年3月21日          
RT  この動画をチェック! iwakamiyasumi 03/20/11 04:10AM http://ustre.am/:Uq1M

2011年3月21日 
宅急便の営業所受取ができるようになったようだ。私の最寄りは仙台中田センター013241
http://www.yamato-hd.co.jp/information/info/data/notice_1103_01_miyagi.pdf
 個人的に緊急に必要な物はありません。

2011年3月21日
近辺のマンションやアパートのプロパンガスを交換するために、業者のトラックが複数動き出している。少なくともプロパンガスが復活すれば、仙台周辺の都市ガスが数カ月に渡って再開できずとも、プロパンガスを使っている友人知人とシェアすれば、最悪のことは避けられそうだ。

2011年3月21日           
Reading:NHKニュース 常磐道 いわきまで通行可能に http://nhk.jp/N3uo6DCZ

2011年3月21日          
水がない人たちは、とても大変。給水システムができた人たちはホッとしている。水がでても汚れている処もある。一階はOKでも上階では出ないマンションもある。近くの児童公園の水飲み場通いの人もいる。トイレの水に困っている人もいる。不足のない人は放射能汚染を気にして飲料水を備蓄し始めた。

2011年3月21日          
クロネコヤマト宅急便は営業所留めで、受取にいくなら、すでに福島・宮城・岩手でも配送が可能になったようだ。だいたい受取まで一週間くらい。カセットコンロのボンベなどは、規則によって梱包できないようだ。その他、細かい規則がいろいろあるようだが、宅急便が繋がり始めたのは大きい。

2011年3月21日          
被災地の避難所は、ひとつひとつ違っていて、とにかく、まずケータイが繋がるのであれば、ピンポイントで相手の要望を聞くのが一番だと思う。そして余裕があるのなら、あまり大きくないもの、消耗品、保存が効く物、暖かいものを隙間に埋めたらいいと思う。マスクや女性用品は、なかなか入手困難。

2011年3月21日          
宅配便で、梱包用に古新聞を使うなら、3月12日以降の震災のニュースが載っている新聞を使ってくれると、新聞を読んでいなかった人たちにとって、自分がどんな立場にいるのかよくわかる。とくにお年寄りは、いつも読んでいる新聞での取り上げ方で、今回のものごとの大きさが分かる。週刊誌類は貴重。

2011年3月21日         
災害ダイヤル171は、被災後のほんの初期は、本当に役に立つ。すくなくとも171を思い出す余裕があったのだ、とお互いが確認できる。ただ、普段から打ち合わせていないと、思い出さない。それに被災後直後は、電波状況でつながらず、何度もダイヤルすると、バッテリーがすぐなくなってしまう。

2011年3月21日          
救急隊をねぎらう石原慎太郎。隊員や家族に配慮して涙を見せるパフォーマンス。誰にとっても自分や家族は大事。「国を救ってくれた」というのはすこし違う。危険を軽減したというのも違う。ほんとうにその気があるのなら、最初の最初から、原発をつくらないでほしい。早く廃炉の手続きととってくれ。

2011年3月21日          
スーパーが一人10点限定で販売を始めた。被災地の人々が欲しいだろうお買いものベスト10(私達夫婦の独断編) 1)ラーメン(カップ麺) 2)カセットボンベ 3)マスク 4)ホッカホカカイロ 5)シーチキン 6)コーンスープ 7)ハム 8)タマゴ  9)乾電池 10)ワンカップetc

2011年3月21日          
あ~あ、ついに農作物の風評被害。福島原発から150キロ圏内の宮城県のホーレンソウ専業農家。親戚のいとこがハウス栽培で頑張っているのに、彼らの溜め息が聞こえてくる。計画節電で仕事ができない、なんて言っている連中の比ではない。地震、放射線、そして風評被害。これでは悪夢の連鎖だなぁ。

2011年3月22日           
ここ数日、寝がけに来訪者がやってくる。先日は男二人組だった。すごい形相だった。ゆうべは女性。きれいな人らしいのだが、ガスマスクをしていて見えない。とてもゆっくり寝られないので、首に数珠(マーラ)をかけて横になる。少し、おちつくが、朝、眼が覚めると、すぐ昨夜のことが思いだされる。

2011年3月22日          
遺体安置所もすでに10日以上経過している。身元が判明した人は、遺族に引き取られ、被災の少ない隣の町村などで火葬されている。そもそも火葬場が流出してしまった町村が多い。遺族が見つからない遺体は、衣服の特徴、発見された場所、DNAなどが記録された上、順次、土葬になるという。

2011年3月22日        
未だ行方不明なのは1万2000名以上。阪神淡路大震災の場合、被災後10日の段階で、行方不明者は51名だったというから、その規模がいかに膨大であるかが推し量れる。漂流物の中に潜んでいるのか、すでに海岸線を超えて流出しているのかさえ、定かではない。御無事で、と祈るだけである。

2011年3月22日          
「ガス復旧1ヵ月半めど 仙台市、あすから順次」http://www.kahoku.co.jp/news/2011/03/20110322t15051.htm ということは、ゴールデンウィークあたりまでにはなんとか都市ガスもおおよその仙台市内で安定するということか。

2011年3月22日       
宮城県発表、県南部の福島第一原子力発電所事故にかかる空間放射線の日々のレポート http://www.pref.miyagi.jp/gentai/Press/PressH230315.html 3月14日以降、連日更新。仙台市以南7地点程度のデータ、移動観測車による。

2011年3月22日          
仙台市青葉区での測定値 東北大大学院の物理学者発表 https://spreadsheets.google.com/pub?hl=ja&hl=ja&key=0AqCNir5ySiBLdGc5eW8wcDUyRG9scHBvUTVaV0V4Znc&output=html 

2011年3月22日          
女川原発モニタリングサイトの測定値 http://www.tohoku-epco.co.jp/electr/genshi/onagawa/mp.html 東北電力発表の女川原発(福島第一原発から約120km離れている)での測定値。数値は福島第一原発事故による影響とみられる。

2011年3月22日          
全国各県庁所在地の測定値 http://eq.yahoo.co.jp/
  (ただし宮城県分は「測定場所が倒壊の危険性があるため測定不能」とのこと。文部科学省は全国の各県庁所在地での毎時間ごとの放射線量の変化を、3月16日から1日2回発表している(15日は1回のみ)。

2011年3月22日           
NGO・民間団体によるまとめ     http://www.jca.apc.org/mihama/fukushima/monitoring/fukushima_monitoring.htm  第一原発での1~4号機でのできごとと放射線量の推移との対応関係などがわかりやすい。

2011年3月22日          
近くの簡易郵便局は窓口を開いていた。郵便物を受け付けしている。投函した場合の所要時間は、おおよそ平時の2倍見てください、とのこと。仙台市内から九州に郵送した場合、おおよそ1週間。仙台市内から仙台市内だと、普段は翌日配達なのだが、現在はその2倍、2~3日あれば大丈夫とのこと。

2011年3月22日          
裏のマンションに郵便局の配達車が。聞いてみると、ゆうパック等は無理だが、「定型外郵便」は配達できるようになったという。定型外と言っても、みかん箱の半分くらいの荷物。千葉県浦安市から18日に発送されたものが、仙台太白区に22日に配達されている。もちろん地域によって違うので確認要。

2011年3月22日          
@kotobahadaiji ドルフィンさん。フォローありがとうございます。きついこと言ってごめんなさい。自分はほとんどOKなのだけど、すこしづつ避難所をみたりすると、私の想像以上のことが展開されていて、その実態にショックを受けています。今後ともよろしくお願いいたします。

2011年3月22日          
 メッセージありがとうございます。私は仙台市太白区の小学校の体育館に一晩だけ避難しましたが、翌12日の午前2時位には、地元紙が大量にとどき、無料で配布されました。その後はわかりませんが、まだまだ、地域や避難所によっては日刊紙が届いていない所もあると思います。

2011年3月22日          
 こんにちは。メッセージありがとうございます。被災地の環境はまちまちですが、水道がでなくてトイレが使えないところがたくさんあります。非常用のトイレもたくさん作られていますが、避難所や被災地によってはまちまちです。わが家は水道OKですが、節水を心がけています。

2011年3月22日           
 ただしい情報を寄せていただいて、ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。

2011年3月22日           
 連絡ありがとうございました。元気にしてます。今後ともよろしくお願いいたします。

2011年3月22日          
 返信遅れました。元気に生きています。皆さんによろしくお伝えください。今後ともよろしくお願いいたします。

2011年3月22日          
コープ生協の共同購入のコンテナ車を町内で発見。こちらも再開したか、と聞いてみると、配達できなくてごめんなさい、と、おわびして歩いているという。ぬかよろこび。共同購入の、ピンポイント発注→共同配達システムが、さらに物流の困難さを強めているのだろう。移動するガソリンはある模様。

2011年3月22日          
近くの大型薬局チェーンが、昨日から10~17時で開店。ガード係はいるが行列はなし。店内は特に混んでいる様子もなし。物も高く積まれていて品薄感もないが、弁当やおにぎりコーナーを中心として、カラの棚も目立つ。本当に欲しいものが買えるかどうかは微妙。代替物でOKなら、ほとんど入手可能。

2011年3月22日          
近くの店舗用大型食材店。時間制限ありだが、行列なし。コメ30キロを初めとして、大量、大型食材も、購入可能な様子。ここがひらけば、飲食店舗もかなり楽になるはず。追加入荷は確約なしだが、物流もかなりのスピードで復活してきている。

2011年3月22日          
町内のガソリンスタンドに長蛇の車の列。よく見ると、町内のスタンドはすでに閉店していて、隣町のスタンドの列がこちらまで溢れてきているのだった。しかし、あちらは、今後、追加タンクローリーの可能性もあるとのことで、2~3時間待ちで注油可能。緊急用の人なら、並ぶ価値あり。

2011年3月22日          
近くの公営集合住宅団地前の地域生鮮店。品物三割くらい。魚、肉、全滅。こんな時くらい、にわかベジタリアンになるのも悪くない。野菜類は、地場物、根菜類に在庫あり。バナナ、一家一房限定の大きなポスターあるも、在庫なし。イチゴ、リンゴ、みかん?、卵(一人一パック限定)あり。

2011年3月22日          
新聞店の前に、新聞の自動販売機があるのを発見。以前から存在したという。今回コンビニが稼働していないので、新聞自販機も役立ったかな、と思ったが、こちらも再稼働し始まったのは昨日からとか。1部160円。被災後の各紙バックナンバーもあり。店頭渡しなら1部100円にサービスとの事。

2011年3月22日          
コンビニ店は、ほぼ全滅。在庫処理が終わったあとは、各社まちまちだが、店内真っ暗のところ多し。おにぎり類だけが日々入荷しているところもある。店員は復帰していて店番をしているが、販売量はほとんどなし。普段は便利で効率的なPOSシステムだが、被災後は、それが災いとなって復帰遅し。

2011年3月22日          
回覧板を持ってきた町内会会長さん。持病で震災前から入院していたが、被災後は、重病患者優先のため、退院を勧告され、停電のなか帰宅を余議なくされたという。ご家族がいたからよかったものの、避難生活の難儀さは、あらためて聞くまでもなし。ごくろうさまです。

2011年3月22日          
被災後、北陸地方の実家に避難していた仙台市青葉区の知人家庭。小学生、中学生がいるが、本日、仙台に戻ってくるという。その交通路が確保されたことにもホッとするが、北陸地方から見ても、仙台市内が安全に見えるようになってきた、という感触には、さらにホッとする。このまま穏やかだといいなぁ。

2011年3月22日
岩沼市桜、岩沼バイパス、消防署向かい西側の知人。津波警報で治療院スタッフと車で山沿いまで逃げたが、安全を確認してから戻り、かたづけをしたと言う。ライフラインは次第に復活しているが、水道だけがいつまでたっても復活しない、とのこと。なにはともあれ、大事にいたらなくて、よかった。

2011年3月22日 
被災後、停電のため、空気ポンプが稼働しなかったせいもあるが、すっかり元気がなくなっていた、わが家の金魚くん。食欲もなく、今朝、水槽の下に沈んでいた。庭の木の根っこに埋葬。冥福を祈る。合掌 

2011年3月22日          
メッセージありがとうございます。「個々で自活できるようなマイクロ発電及びマイクロ蓄電で成り立つ最先端の国を目指したいですね。」 本当にそう思います。できるはずなんだけどな。高層住宅や産業用はともかくとして、地方の一般家庭は、かなり実現可能と思えます。

2011年3月22日          
津波で行方不明になっている自動車多し。いまだに発見できないし、今後も望み薄なれど、現車確認できないため、廃車届けもままならない可能性あり。各陸運局に連絡の上、指示に従ってほしいとの事。自動車車両保険、地震津波特約なしで、補償外になる車が9割以上になる見込み(未確認情報)。

2011年3月22日          
町内の中央公園には被災粗大ゴミの山。野球グランドのおおよそ半分にうずたかく積み上げられている。家電類、家具類、金属類などに分けられており、受付も厳重。時間厳守。パソコンなども、人気機種がいくつもありそう。地震がなければまだまだ使えたのだろうが・・・。

2011年3月22日          
宮城県内のJR全線不通が続いており、仙台駅は稼働していない。しかし部分的に点検が終わり、月内にも短距離ながら開通の見込み。仙台駅から岩沼駅までは4月上旬に開通の見通しとの事。踏切はランプがついているものの、遮断機が壊れており稼働していない。通勤通学の人はどうしているのだろう。

2011年3月22日          
家屋に被害があるが、沿岸部に比べればなんでもない、と我慢している内陸部の被災者多し。まずは、被害状況をデジカメ等で撮影、記録の上、保険会社の電話受付等に連絡しておく必要がある。損害調査その他はかなりの時間を要する可能性があるが、雨漏り、倒壊、延焼などの可能性もゼロではない。

2011年3月22日           
傷害保険などは、状況によって対応が違うが、後回しせずに、まずは自分の補償内容を確認しておく必要がある。アテが外れる場合もあるし、せっかくの補償を請求できなくなる場合もあり得る。保険会社と契約者名、住所、だけでも、検索してくれる可能性あり。薬袋や診察券、領収書などは保存しておこう。

2011年3月22日          
生命保険は、地震津波の場合、補償にならない可能性があるが、阪神淡路大震災などの場合、特例的に一部対応してくれた実績がある。今後、どのような対応になるか不明だが、生活に余裕がでてれば、大きな話題になることは間違いない。ひとりひとりが、自分の生活環境について再点検する機会になるかも。

2011年3月22日           
用事があって埼玉県の業者に電話連絡した。こちらの要望をオンラインで確かめてもらおうと思った所、現在、計画停電中でパソコンが動いていないという。そうか、こちらは4日半の停電以降、停電の恐怖はなくなった。その代わり他の地域の方々が計画停電協力してくれているのだ。ありがとうございます。

つづく

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「コロナの時代の僕ら」パオロ・ジョルダーノ

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https://www.hayakawabooks.com/n/nb705adaa4e43?fbclid=IwAR0L0y6K0HDVfmw1aZYFn4aFLUKh3bvZOnD8cS9cQIqbJ1C38qsDd0NzUPo

 

 24時間だけ無料公開、などといわれると、特売品に群がる不節操な兄ちゃんのような気分になり、とりあえず、一通り 目を通した。結論としては なんだかなぁ、という気分。この人がどういう人なのかも知らないし、どれだけの緊急性があるのかも、わからなかった。

 小説家とあるから 現代イタリアの売れっ子のなのかもわからん。でもまあ、これは翻訳者の問題だろうが、いい年こいて、僕ら、という一人称は、基本的に、私は嫌いである。そこに甘えと、馴れ合いを感じる。

 このグローバル・パンデミックのドサクサに紛れてなら、おそらく大多数の人が、ちょっとした文章を書ける。この人がどの程度の人なのかわからないが、大した内容のある文とは思えない。まぁ、パンデミックで酷い仕打ちを受けているイタリアの一人の青年の書き残したエビデンスの一つ、と理解する程度だ。

 閑話休題。3・11の時、私はエコビレッジ作りに夢を持っている最中だった。諸縁あって、結局はその熱情は、小さな市民農園での畑仕事程度に縮小されて、9年後の今日に至る。さて、今回は、放送大学での、公認心理士でも挑戦してみようか、というタイミングに、今回のパンデミックが起こった。

 勉学のチャンスはまだまだあるし、資格挑戦のチャンスもないとは言えない。しかし、それはもうしないだろう。ちょっと白けた感じ。最終的にはどうなるかわからないが、間も無く生まれて来るだろう5番目の孫の、無事を祈りながら、もっと何か違うことの方に、私のエネルギーは向かい始めているようだ。

 もっと本質的な何か。最終的な何か。サムシング。

 

知ることのますます不可知星の春     把不住

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2020/04/10

「A Course in Meditation」 A 21-Day Workout for Your Consciousness OSHO

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「A Course in Meditation」 A 21-Day Workout for Your Consciousness
Osho(著)  2019/09 出版社: Harmony ペーパーバック: 224ページ (英語)
No.4402★★★★★

 うん? この本について追記しようと思って検索してみたら、まだ当ブログとしてはまだメモしていなかったみたいだ(ホントかな?) いろいろ検索してみたが、やっぱりない。購入記録を見ると、出版直後の2019/09に入手しているので、その間になにかメモしたはずなのだが・・・・・。なにか手がかりがでてきたら、あとで修正することとする。

 考えてみれば、2019/09からわずか半年、私の周辺も、日本も、世界も、地球も、まったく様変わりの状態である。私個人で言えば、98歳の母親を送り、れいわ新選組騒動を体験、いよいよ、OSHOの世界にどっぷり浸かろうかな、というタイミングだった。図書館で偶然もらった放送大学のパンフレットを見て、時間があるなら、またまた心理学でも勉強しなおそうかな、というのんびりしたものだった。

 ところが、年明けて、さて令和時代の本格的な幕開けかな、思った瞬間、中国武漢発の新型コロナ・ウィルスの感染により、アジアばかりか、ヨーロッパも南半球も、そして地元日本も、すっかり感染パンデミックの大騒動となってしまった。

 そのタイミングで、私の身辺では、あらたな地球人誕生の予告が行われ、妊婦さんと、二人の幼児との同居が再スタートするという宣言がされたのである。私にとっては5人目の孫の誕生予告なので、これはこれは実に目出度いことで、こんなに幸せなことはないのだが、かなり不安定要素を含んだ、注意深いアウエアネスの必要される日々となったのである。

 このような日々で、実は、読書ブログの看板はますます重しとなり、読書そのものが実におっくうなものとなってきた。SNSなどの雑多なニュースには目を通さざるを得ないのであるが、まとまった一冊をおちついて読み続ける、という余裕がまったくなくなってしまった。

 しかし、これでいいわけはない。いろいろな手を使って、私は私なりに、平穏な精神状態を保とうと努力している。いろいろな手はあるが、まずはやっぱり、瞑想でしょう。それをビパサナと呼ぶか、坐禅と呼ぶか、メディテーションと呼ぶかは自由だが、技法としてはビパサナ、と呼ぶべきなのだろう。

 坐禅、ではダメで、毘婆舎那 (びぱしゃな)の表記がいいかどうかは定かではないが、この辺は細かくはどうでもいいが、つまりは、OSHOのサニヤシンとしては、自分を見つめる時間を多くとることにしたわけである。

 まぁ、そのプロセスにおいて、この一冊は、実は大変貴重で、グッドタイミングな一冊なのであるが、そのことについては、また後日、記すこととしよう。

 

 香を立て一呼吸して花曇り     把不住

 

つづく

 

 

 

 

 

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2020/04/07

「流行性感冒」「スペイン風邪」大流行の記録 内務省衛生局<2>

<1>よりつづく

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「流行性感冒」「スペイン風邪」大流行の記録<2>
内務省衛生局 (編集) 2008/11 平凡社 東洋文庫 ペーパーバック 458ページ
★★★★☆

 この本もまた返却日になってようやくページに手をかけたにすぎず、数行以下、内容を熟読する、というようなものではなかった。されど、この内務省衛生局 (編集) という重々しい編集者名でありながら、実際には2008年になって刊行されたものであることに驚く。速水融の著書に3年遅れている。

 内容は、ダブっているものの、つまり、パンデミック下にある、われわれ一般市民のやれることは、実にごくごくわずかである、ということである。この目に見えない「敵」と闘うには、とにかく、手洗い、うがい、免疫をつけて、静養する以外にないのである。

 触れないこと、油断しないこと、徹底的に警戒する、このことに尽きる。

 緊急事態が宣言される、今日この頃であるが、人類そのものは、決して自然の猛威を克服したわけでないことを、痛感させられる。

 そしてまた、この本の特長的なことは、この100年に限らず、過去千数百年の記録を遡って、そのパンデミックの足跡を追っかけていることだ。今はそれほど余裕はないが、これらの面から人類史を追っかけてみれば、人間というものの存在のいかに淡いものかを知ることができるであろう。

 そしてまた、その科学的な側面ばかりではなく、カミュの「ペスト」のような、不条理な面からも、このパンデミックを追っかけてみる必要があるのであろう。

 パンデミックには、よい人にも悪い人にも、万人に等しく襲いかかる。万人だれもがのがれることのできない現象なのである。まるで、生老病死における「死」にも近い存在と言える。

 いずれ、このような研究分野をゆっくり探索する必要もあるのだろうが、当ブログとしては、もはや、その余裕は残されてはおるまい。

 ただただ、不可知領域の広がりに目を見張るばかりである。

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「日本を襲ったスペイン・インフルエンザ」人類とウイルスの第一次世界戦争 速水 融<2>

<1>からつづく

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「日本を襲ったスペイン・インフルエンザ」人類とウイルスの第一次世界戦争<2>

速水 融 (著)</2006/02 出版社: 藤原書店 単行本: 474ページ 
★★★★☆

 COVID-19パンデミック猛威の嵐の今日、日々更新される驚愕的なニュースに振り回されて、このような一冊を時間を取ってゆっくり熟読できるような状態ではない。貴重な本であることは分かっていたが、いよいよ目を通そうと思い立ったのは、図書館の返却日の前日になってからだった。

 それゆえ、読書と言えるほどのことは何もなく、ただ前頁をめくってみた、という程度に過ぎず、単なるメモとしか残せないこととなった。それでもいくつかのことを記しておく価値はあると思える。

 まず、このような100年に一度と言われるようなパンデミックにおいては、なかなか資料として残されているものが少ないということ。すくなくとも、このスペイン風邪と称されたスペイン・インフルエンザには、それを明確に調査した資料はほとんどなく、この本が、ほぼ唯一とさえいえるものである。それもこの本は2005年になってから発行されたものだった。

 ごくごく最近知ったことだが、テレビなどでよく見る顔の磯田道史は、著者速水融(はやみ・あきら)を師と仰いでいるようである。

また、前流行の1918年は大正8年にあたり、そのあと流行は1919年、そしてその後はベビーブームが訪れたのであり、その中で、私の父(大正10年)、母(大正12年)などが生まれたのだ、ということが分かった。歴史は繰り返すというか、不思議な縁である。 

 当時もマスク不足で大騒ぎになったようだが、その後は、持ち腐れになったものもあったらしい。それにしても感染力は強く、あっと言う間に、何十万の人々をなぎ倒していった。

 この本においては当時の出版物、とくに新聞情報が多数収容されていて、それらがあらすじの骨子となっているが、当時でもすでにこれだけの情報網が発達していた、ということを改めて再認識するものである。おそらくこれだけの情報が収容されたのは、このパンデミックが初めてであろう。著者が、人類とウィルスの第一次世界戦争、となずけたのもうなづけるところである。

 幸いに、このインフルエンザは、季節とともにあっという間に過ぎさって、跡形もなくなったようだが、はてさて、今回のcovid-19 は、どのようなふるまいをして、最終的な解決へと向かうのか。

 スペイン・インフルエンザはいくつかの型に分類されて、現代社会でも猛威を振るう場合があるらしい。

 降ってわいたようなcovid-19パンデミックだが、本日現在、今後どのような展開になるのか、未知数の恐怖を振りまいている。

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2020/04/06

いよいよ足元まで来ました。
いつ爆発してもおかしくない事態。
臨戦状態。
とりあえず皆様お元気で。
人生楽しかった。
また逢いましよう。把不住

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2020/04/05

「日本を襲ったスペイン・インフルエンザ」人類とウイルスの第一次世界戦争 速水 融<1>

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「日本を襲ったスペイン・インフルエンザ」人類とウイルスの第一次世界戦争<1>

速水 融 (著)</2006/02 出版社: 藤原書店 単行本: 474ページ 
No.4401★★★★☆

 この本もまた希少な存在だけに、かなり高価な本だ。時が時ならば、非常時になる前に、ゆっくりと時間をかけて読みこなしておくべき本である。慌ててこのような本に手をかけても、日々マスメディアやSNSで流れる情報のほうが圧倒的にリアリティがあって、ついついそちらに意識が流れてしまう。

 されど、人類はこれまでも、幾度となく、今回のパンデミックなる現象と付き合ってきたのだ。人類滅亡とはならないだろう。私が最後の人類の一人になる、ということもないだろう。だがしかし、今回、このパンデミック騒ぎの中で、ひとり命をおとしてしまう、ということはありうる。

 ひとり命を落とすばかりではなく、周囲の愛すべき人々に感染させ、私の道連れにしてしまう可能性さえあるのだ。ここは注意しなければならない。決して克服できない事象ではない。準備し、学習し、感染しないように、感染しても他に移さないように、家族が感染しても、うろたえず、最後まで看護できるように。そして、生き延びなければならない。

 そのためには、しっかりとした覚悟が必要だ。

<2>につづく

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「流行性感冒」「スペイン風邪」大流行の記録 内務省衛生局<1>

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「流行性感冒」「スペイン風邪」大流行の記録 <1>
内務省衛生局 (編集) 2008/11 平凡社 東洋文庫 ペーパーバック 458ページ
No.4400★★★★☆

 この本も手元に来てから一か月ほど経過してしまったが、まだ手付かずのまま返却となる。それもこれも仕方ないことだと諦める。例えばホリエモンの経済事件などの時は、その専門家と称する人々が突然現れて、ホワイトナイトだの、ポイズンピルだのデリバティブだのと、訳のわからない単語を並べられて、みんな一生懸命勉強したものだった。

 原発メルトダウンの時も、あれやこれやとなれない放射能用語を右往左往しながら、勉強したが、今となっては、またまたちんぷんかんぷんという状態に戻ってしまっているのではないか。

 今回の感染症のパンデミックにしても、いきなり緊急事態に突入しても、一般の市民は慣れない用語に振り回されるだけで、なんだかトリックに引っかかっているような気さえしてしまう。

 それにしても、今回のパンデミック・パニックは大変なことだ。地球大であり、この戦いは、人類VS人類ではなく、人類VS未知との遭遇という、大変な戦いなのである。ある意味、人類が一体にならなければ、決して勝つことのできない、シビアな戦いだ。

 だがしかし、個人的には、近くに子供たちはいるし、妊婦さんもいるし、マイホームを建設中の身内もいる。勝たなければならない戦いなのだ。そのためには、まずは自分が負けてはならないのだ。

 これからニワカ勉強しても、なかなか追いつくものではない。専門家たちが、しっかりリーダーシップをとってくれることを期待して、それに従っていくしかないのだと思う。

 それにしても、政治か、特に日本の政治の専門家たちであるべき政治家たちの体たらくには、ほんと呆れてしまうのである。こんなリーダー達に盲目的に追従していってはいられない。なんとかしなければ、という危機感が、このような、まったく専門外の本にまで手を伸ばしてしまう理由である。

 人類は、これまで幾度となく、似たような危機に直面してきたのだ。今回も乗り切ることはできるであろう。乗り切っていかなければならない。覚悟を決めなければならない。

<2>につづく

 

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