「日本仏教史」―思想史としてのアプローチ 末木 文美士
「日本仏教史」―思想史としてのアプローチ
末木 文美士 (著) 1992/07 出版社: 新潮社 単行本: 291ページ
★★★★☆
中田敦彦が熱く語っているので、何はともあれ、目を通してみる。本としては面白いのだが、よくよく考えてみると、これって結局、私は何を学ぼうとしているのだろうか。何が欲しいのだろうか。という原点に戻される。
仏教とは「仏」の「教」なの。そしてその「仏教」の「歴史」なの。それにそれに、「日本」のなの? いろいろ疑問が湧いてくる。
当ブログは地球人スピリット・ジャーナルなのである。決して「日本」にはこだわらない。そして「歴史」にはこだわらない。ましてや「仏教」にもこだわらないのである。
ゴータマ・ブッダはたしかに地球人としては最高峰だ。彼よりも素敵な地球人を、歴史の中から見つけ出すのは大変なことだ。彼が最高峰、と決めつけてしまうことは、そんなにおかしいことではない。
されど、彼を歴史、としてみるの? 彼を理解するのに「教え」を必要とするの? しかも、日本という地域に限定するの? 疑問はどんどん湧いてくる。
学問なの? 史学なの? 文字なの? ヘッドトリップなの? 実践はないの? 今日、ここに生きている私は、一体なにをすればいいの? そうなってくると、この本の中に答えはない。
OSHOサニヤシンとして、瞑想センター素晴楽堂に携わる、現代人のひとりとしての私には、このような教養も決して不要ではないが、必須とはいいがたい。
私は誰か? 根源的な問い。そして内なる探求。あまりよそ見ばかりしているわけにはいかない。
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