「プレムバヴェシュの孫たちとの対話」<80>ランボルギーニ
「プレムバヴェシュの孫たちとの対話」
<80>ランボルギーニ 目次
おじいちゃん、僕の誕生日にトミカのランボルギーニのセット、プゼレントしてくれる? 朝起きてくると、幼稚園の年中さんである男の子は、毎日聞いてくる。いいよ、と毎朝言うのだが、男の子の最近の頭の中はランボルギーニに占領されてしまっているようだ。
で、誕生日はいつだっけ? こちらだって、孫の誕生日は知っているのだが、ワザと聞いてみる。5月末なのだ。はてさて、この孫は、これから何か月毎朝この質問を続けるつもりなのだろうか。誕生日まで待つとは言っているものの、毎朝聞かれるこちらの身が、果たしてあと何か月も、持つものだろうか?
忍耐力の限界を感じたおじいさんは、秘密裏に、すでにネットで検索して、通販で発注済みなのである。週末に畑準備をしていると、携帯が鳴った。簡易接続できるようにセットしてあるので、年中さんでも、おじいさんにダイレクトに電話できるようになっている。
おじいさんの名前で、宅急便ついたよ。早く帰ってきて。うんうん、わかった。待ちきれなかったら、開けていいよ。いや、待ってる。いそいで畑仕事を終えて、帰宅した。玄関ドアを開けると、孫たちが走ってくる。小さな段ボールが輝いている。それはそれ、まさにダンボルギーニ、そのものだ。
ワケあって、現在は、息子夫婦たちが同居している。実は、5人目の孫の存在が急上昇しつつあるのだ。誕生するのは今年の夏か秋になるのだろうが、それまでは、同居していく必要があるようだ。じいさん、ばあさんは、それはそれなりに楽しいのだが、それなり自分たちのライフスタイルを変えていく必要がある。
この「プレムバヴェシュの孫との対話」シリーズが始まったのは、2012/02/17であった。すでに8年が経過している。え~、8年も過ぎたのか、とも思うし、わずか8年間なのか、とも思う。この8年間で、実際に爺さんと孫との対話は、十分に成立するようになった。チコちゃんなみに知恵をつけた孫たちに、教わることも多くなった。
だが、ふたたび三度、新生児、ゼロ歳児との対話が始まるのか、と思うと、まだまだモウロクしてはいられないな、と思う。身構える。目下、新型コロナウィルスのパンデミック爆発中で、オリンピック・パラリンピックはどうなるのか、という具体的な問題も含め、どんな未来になるのか、まったく分からないことも多い。
それでも、この地球にまたまた新たなる人類が登場してくるのである。この人たちを迎えていく必要がある。爺さんたちの役目はいずれ終わるだろうが、まだまだ続いていくだろう。爺さんたちの存在意義を確認する作業とも、直接に連結しているのである。
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