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2020/01/30

「親鸞と道元」五木寛之 立松和平

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「親鸞と道元」
五木寛之 , 立松和平 (著) 2010/10 出版社: 祥伝社 単行本: 318ページ
No.4384★★★★★

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「親鸞と道元」

五木寛之 立松和平 (著)  2018/11  出版社: 祥伝社 新書: 352ページ
No.4385★★★★★

 いつかは親鸞に突入しなければいけないなぁ、と思ってきた。そのきっかけは、あの玉川信明が結局は、最後に「<異説>親鸞・浄土真宗ノート」 社会評論社 2004/04にたどり着いてしまった、ということに、ちょっとした違和感というか、驚きがあったからである。結局は、親鸞にたどり着く、という人は多い。

 それに比して、確かに道元は素晴らしいのだが、どうも堅苦しい。そんなに立派にはできないでしょう、という諦めが、どうしても道元には付きまとう。

 新しい、大型書店に行って、あれこれ見たけど、いい本がない。検索機にキーワードのいくつか入れて、ようやくこれは、と思えるほどの本が数冊。その中の一冊がこの本であった。書店にあった本は文庫本だったけど、図書館で検索したら、原書と新書と二冊あったので、二冊借り出した。

 どちらを読む? と奥さんに聞いたら、原書というから、私も賛成した。内容は全く同じだが、原書のほうが文字が大きい。わが老眼には負担が少ない方がうれしい。

 五木が親鸞を、立松が道元を、というパートナーシップだが、まぁ、どちらがどちらということもない。当代の文学者が、それぞれ自分の世界観を、それぞれの古人の言葉を借りて語った、という本である。まぁ、どうでもいいのである。

 わがOSHOには、ゾルバ・ザ・ブッダ、という人間観がある。その語感をこの本のタイトルそのものにダブらせることはできないが、いわゆる、不二、というやつだな。裏表。どっちでもいい、というより、どっちももらうよ、ということだろう。

 私は、個人的には、道元のほうに縁が深いが、かと言って、道元へどピューリタンにはなり切れない。ほどほど、適当な人間なのである。いえいえ、親鸞とて、ほどほどの適当な人間ではないが、そうはいうものの、極めれば極めるほど、極めないという、対立項が浮かび上がってきてしまう。 

 立松和平が語る道元は、間違いではないが、すべてを包含しているとはいいがたい。五木がかたる親鸞も、まさにその通り。それでいいのである。お二人の文学者は、文学者でしかない。文学者でいいのである。彼らに宗教人であれ、と強要することはできない。する必要もない。

 面白い本ではあるが、極めていない。極めていないところが、また、素敵なところでもある。

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