「悟りの分析」―ユング心理学との接点 秋山 さと子
「悟りの分析」―ユング心理学との接点
秋山 さと子 (著) 1980/09 出版社: 朝日出版社 単行本 235ページ
No.4382★★★★★
天井階からの30年ぶり落下本シリーズの一冊。いやいや、実際読んでいたのは、当時のメモを見ると、1981年1月だから、すでに40年ぶりと言っていいだろう。当時私は、26歳にしてがんセンターの死のベットにいた。あの当時、私はこの本を読んで、実に納得していたのだった。
今回、放送大学から公認心理師という虚像を垣間見て、実は、この本が描き出した世界の延長戦が、ようやく一般社会に受け入れられるようになったのだろう、と大いに気をよくしたものである。
しかるに、調べれば調べるほど、それは私の誤解、錯覚である、ということを痛感しているところである。現代の心理学というものは、科学の一員であることを誇大に主張し、内観や神秘性をばっさりと切り捨て、ひたすら客観的なデータを統計的に弄り回すことをに専念しているようである。これでは、この本よりさらに100年程後退してしまった学問の分野に成り下がっているようである。
今回調べて分かったことは、秋山女史は、すでに1992年に69才でお亡くりなっていたのだった。彼女の切り開いた世界は、当時の私などは大いに目を開かれたものであった。そもそも、駒沢で心理学を学び、60年代にはチューリッヒのユング研究書に学ばれた女傑である。この本を読んでも、実に貴重な研究であることがわかる。
今回、この本を再発見して以来、まだ、概略とつまみ食いしかしていないが、実に私の希望を盛り上げてくれている。彼女は、いわゆる心理学の大通りから外れてしまったのだろうか。彼女の切り開いた地平は、今現在、どんな形で、継承されているのだろうか。そこのところが気になる。
本来であれば、このラインで、私は心理学を学びたいし、その延長に現在の意識の世界が研究されてしかるべきなのである。例えば、放送大学にはユング心理学云々のコースがあるが、はてさて、どんな無様なことになっているのか、心配になってきた。
そもそもOSHOなどは、そこんところをばっさり見切って、心理学を超えて、と言い切ってしまっている。それでいいのか・・・? まだ、私には分からない。きっと、彼女の系譜を受け継いでいる潮流があるはずだ。そこんとこ、もう少し探求してみよう。
つづく
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