放送大学<8>あっさりした対応
土曜日の午後、いねむりしながら、録画していた放送大学の授業を見ていたら、携帯が鳴って、千葉から放送大学の女性職員が話しかけてきた。「なにか気になっていることはありませんか」
資料もちゃんと届いているし、オープンキャンパスにも行きました。自分のやりたいことも大体決まっていて、それとどのように取り組むか、考えているところです、とお話しした。どちらからと言うと、私が一方的に現況を説明して、ああ、そうですか、じゃ、また何か質問ありましたら、またお電話ください、と対話は終了した。
かかってきた電話ではあったが、私としては、もっと長電話して、じっくり一緒に考えて欲しかった。だが、その対応は、意外と簡単で、あっさりしたものだった。この感触は、オープンキャンパスに参加した時の対応してくれた女性職員の方の印象と同じだった。ふ~ん、これって、どうなのかな・・・?
セールスの電話や、政治活動の宣伝など、どちらかというと、こってりした内容の対話の多い中、放送大学の職員の対話はいたって淡泊という印象ができあがりつつある。なぜなのだろう。それはおそらく、私が見ている放送大学と、放送大学が見ている私の視線が、うまくあっていないからではないか、と今は思っている。
私は、放送大学を通じた理想形を、四年間在学して、公認心理師取得のコースと認識している。これはもちろん最高形態だが、このコースが存在しえないのであれば、放送大学の存在価値は、ぐっと下がってしまう。大学院に行かない、あるいは卒業しない、あるいは10年間在学する、単科履修生に留まる、結果としてそうなるのはしかたないとしても、最初から、そのような残念なコースは設定していない。
しかるに、大学側から見た場合、65才の男性? 時間があるのであろうし、すでに健康も害しているだろう。毎日テレビをみたり散歩したりしている程度なら、放送大学という、一種の老人大学に参加して、多少は社会とつながっていたら、とそういう視線なのではないだろうか。4年で卒業なんて無理ですよ。卒業したってしかたないじゃないですか。ほどよくご自分の希望の科目があれば、それらをつまみ食いしたらいかがですか? 多分、おそらくその程度の視線なのだろう。
明らかにお互いの視線は合っていない。ここに対話なり、恋愛が発生する可能性はあるだろうか。
今日ここまでの段階で断定できるものではないが、もし公認心理師というコースが完全に断たれているのなら、私はこの大学に入学する意味をほとんど感じない。大学として魅力がない、という意味ではない。テレビを見、ラジオを聞き、教材に目を通し、時には学生たちのSNSに参加したりすることは、それなりに面白そうだ。それはそれで活用の仕方がある。
ただ、入学とか、履修登録とかする必要があるのだろうか。そういう風に考え始まれば、一教科二単位を15時間かけて学習し、テストを受けて、不要な知識まで記憶する必要があるのであろうか。また、決まったコースを歩く必要などまったくないのではないのではないか。
放送大学の利用方法は山ほどあろうが、私なら、もっともリーズナブルな自己流の活用方法を考え付くに違いないのである。もちろん、それは自己流であり、少数派であろう。だが、私はそれでいい。ちょっといじけた言い方をすれば、すでに高齢だし、ひとつの学問ですら完了できない可能性があるし、それを学んだって、活用のしようがないではないか。ああ、こういってしまえば、もう実も蓋もないなぁ。
2020年度入学手続きの締め切りは2月末である。それまで、あれこれ悩んでみよう・・・!
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