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2020年1月

2020/01/30

「親鸞と道元」五木寛之 立松和平

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「親鸞と道元」
五木寛之 , 立松和平 (著) 2010/10 出版社: 祥伝社 単行本: 318ページ
No.4384★★★★★

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「親鸞と道元」

五木寛之 立松和平 (著)  2018/11  出版社: 祥伝社 新書: 352ページ
No.4385★★★★★

 いつかは親鸞に突入しなければいけないなぁ、と思ってきた。そのきっかけは、あの玉川信明が結局は、最後に「<異説>親鸞・浄土真宗ノート」 社会評論社 2004/04にたどり着いてしまった、ということに、ちょっとした違和感というか、驚きがあったからである。結局は、親鸞にたどり着く、という人は多い。

 それに比して、確かに道元は素晴らしいのだが、どうも堅苦しい。そんなに立派にはできないでしょう、という諦めが、どうしても道元には付きまとう。

 新しい、大型書店に行って、あれこれ見たけど、いい本がない。検索機にキーワードのいくつか入れて、ようやくこれは、と思えるほどの本が数冊。その中の一冊がこの本であった。書店にあった本は文庫本だったけど、図書館で検索したら、原書と新書と二冊あったので、二冊借り出した。

 どちらを読む? と奥さんに聞いたら、原書というから、私も賛成した。内容は全く同じだが、原書のほうが文字が大きい。わが老眼には負担が少ない方がうれしい。

 五木が親鸞を、立松が道元を、というパートナーシップだが、まぁ、どちらがどちらということもない。当代の文学者が、それぞれ自分の世界観を、それぞれの古人の言葉を借りて語った、という本である。まぁ、どうでもいいのである。

 わがOSHOには、ゾルバ・ザ・ブッダ、という人間観がある。その語感をこの本のタイトルそのものにダブらせることはできないが、いわゆる、不二、というやつだな。裏表。どっちでもいい、というより、どっちももらうよ、ということだろう。

 私は、個人的には、道元のほうに縁が深いが、かと言って、道元へどピューリタンにはなり切れない。ほどほど、適当な人間なのである。いえいえ、親鸞とて、ほどほどの適当な人間ではないが、そうはいうものの、極めれば極めるほど、極めないという、対立項が浮かび上がってきてしまう。 

 立松和平が語る道元は、間違いではないが、すべてを包含しているとはいいがたい。五木がかたる親鸞も、まさにその通り。それでいいのである。お二人の文学者は、文学者でしかない。文学者でいいのである。彼らに宗教人であれ、と強要することはできない。する必要もない。

 面白い本ではあるが、極めていない。極めていないところが、また、素敵なところでもある。

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2020/01/28

『男はつらいよ お帰り 寅さん』

『男はつらいよ お帰り 寅さん』
山田洋次監督 2019年制作 松竹映画 116分
No.4383 


 桑田佳祐には何の思い入れがないが、あんまり彼の悪口をいうと、奥様の横やりが入るので、まずは云わないでおく。しかし、映画館で、桑田の歌が終わって、あの「男はつらいよ」のタイトルが出てきただけで、私の涙腺は、パッと緩んでしまった。そして、最後まで、乾くことはなかった。

 寅については、これまでいろいろ書いてきた。全作品を見て、その感想もひとつひとつ書いたし、その同時期に私が何をやっていたのかも、書いてきた。もちろん、テレビからのダビングだが、全作品の録画も保存している。再放送があれば、欠かさず見ているし、今回の「贋作 男はつらいで」(関西バージョン)にも喝采だ。

 いろいろ書きたいことはあるが、まだ上映中でもあるし、ネタバレになるので、今はまだ黙っておこう。今日は、この機会に別なことを書いておきたい。

 近くのモールのシネマに行ったら、見覚えがありそうな男性が立っていた。ひょっとすると思い、「Sさん?」と声をかけた。相手は怪訝そうな顔をして「そうですが」と答えた。もっともこちらは、新型コロナウィルス防御のために大きなマスクをしていたので、こちらの顔を判断できなかったのだろう。

 マスクをはずし、名前を名乗ったら、「ああ、いつも案内ありがとう。出席できなくてごめんなさい」と謝ってきた。同級会の案内を送っているのは私ではないが、彼から見た場合、同級生としては私が一番近い存在だろうから、まぁ、私にそのメッセージを伝えるのは案外間違っているとは言えない。

 もっとも年賀状を交換するようになってからすでに二十数年も経過しているので、それとなく互いの動向は分かっている。だが、本当に出会ったのは、数か月前、本当に50年ぶりと言っていいほどだった。

 私は、近くの文化会館のレセプショニストのボランティアをやっている。年に何回かの不定期なお手伝いだが、チケットのもぎりや会場整理、アンケート回収など、簡単な作業だが、ネクタイにスーツ姿で、なお数時間立ちっぱなしになるなどの、結構きつい肉体作業である。

 あの日は、もぎりと並んで、パンフレット配りをしていた。「いらしゃいませ」「お待たせしました」「おたのしみください」などなど、紋切り型の声をかける。ワンパターンにならないように、いろいろリズムを取りながら、お客様ひとりひとりの顔を見ながら、それとなく笑顔で声をかける。忙しいのは30分ほどだが、それでも、結構な緊張する時間が続く。

 すぐ近くの会館なので、知人がやってくることもあり、いきなり声を掛けられることもある。逆にこちらは気づいているのだが、気づかずに通り過ぎていく知人がいたりするときもある。それも決して多くはなく、一公演で2~3人、いるかいないか・・・・・

 

とここまで書いてきて途切れてしまった。次回、いつか続編書くかもm(__)m

つづく・・・・かなぁ

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2020/01/19

放送大学<9> 筋トレアカデミア

<8>からつづく

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1)チェアスクワット
・太ももの引き締め
・膝痛の予防
・階段の昇降を楽に

2)クッションつぶし 
・バストアップ
・胸板を厚くする
・瓶等の蓋の開け閉めが楽に
・重い荷物を長時間持っても疲れにくくなる

3)膝上げ
・太ももを引き締める
・下腹部を引き締める
・姿勢を良くする
・重転倒予防

4)かかとあげ
・ふくらはぎの浮腫みの解消
・ふくらはぎの引き締め
・転倒予防

5)座って膝のばし
・太ももの引き締め
・下腹部の引き締め
・姿勢がよくなる

6)タオルギャザー(見逃し)

7)外ももあげ
・骨盤矯正
・転倒予防
・股関節痛予防

8)肩すくめ
・肩こり予防・解消

9)肩甲骨ストレッチ
・四十肩・五十肩の予防
・四十肩・五十肩のリハビリ

10)ブリッジ 

11)机を使った腕立て伏せ
・男性は暑い胸板
・女性はバストアップ
・二の腕の引き締め

12)手足のばし
・肩・二の腕・胸・腹・お尻・背中

13)内ももあげ

14)尿失禁改善・対策

15)足飛行機
・ヒップアップ
・バランス能力アップ
・太ももの引き締め

<10>につづく

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2020/01/18

「道元 典座教訓」 禅の食事と心

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「道元 典座教訓」 禅の食事と心 ビギナーズ 日本の思想
道元 (著), 藤井 宗哲 (翻訳) 2009/07  角川学芸出版文庫: (角川ソフィア文庫) 174ページ
No.4383★★★★☆

 お米に混じっている砂やごみを見分ける。心しなければいけないのは、お米を見るつもりが、砂を見てしまい、砂を見て捨てるつもりが、米を見てしまう。細心の注意をはらって見分ける。寸秒の油断があってはいけない。

 これは、なにもお米と砂の関係ではない。人の心の、良心、邪心、聖を求めての向上一途、修行という大義名分だけの、無為なるその日暮らし。お米とわれとの三昧、一体。ごみや、砂とも一体。しかし、それでいて二者区別。それが禅である。禅師はそうおっしゃっているのではないか。p32「米を研ぐ即ち禪」

 不思議なものである。ここまで読みかかった時に、奥さんから、「近々袋の米、精米してきてね」と依頼された。さっそく近くの精米機に移動。玄米を精米機にかけた。いつも慣れた手続きだが、今日は、ちょっと違った。ごみや砂の混じり方が半端ではないのである。このままでは食えない。 

 親戚の農家から30キロ単位の袋で玄米をもらうことが多い我が家では、大変助かっているのだが、今回は、古古米が余っているけど、欲しい? と聞かれた。もちろん、と答えて、もらった袋の中の、一体である。でも、これはおかしいなぁ。

 この後は、いつもなら奥さんに任せてしまうのだが、今日ばかりは、何かのお知らせだろうと思い、30キロの袋の米をひと掬いひと掬いして、砂やごみを見分けてみることにした。

 結論からいうと、もっと時間がかかるかな、と思っていたが、二時間ほどでこの作業は終了した。最初は手順がうまくいかず、砂を捨てるつもりが米を捨てていたり、拾った砂を元の袋に捨ててしまったりと、なかなかうまくいかなかった。しかし、だんだん注意深くなると、割とすんなりいくようになり、何かのゲームをやっているような楽しさに集中できた。

 そして、思った。米と砂やごみの違い、とは何か。ごみや砂と言われるものは、実は、いろいろなものが混じり込んでいることが分かった。もちろん少量の砂もあるが、小枝や虫の糞のようなもの、木の実のかけら、未熟だった米、過熟だった米、古米ゆえに黒ずんでしまった米、などなど、様々である。注意深く見ていると、なかなかに変化に富んでいて面白い。

 それに反して、米はどうだ。米は類似性があり、一体性がある。米は一粒一粒では、あんまり役に立つとは思えない。たくさんたくさん集まって、ようやく米として成立しているようだ。大きな30キロ全体の袋として、米、を主張しているように思える。

 さぁ、今日の気づきはここまでだ。これ以上、蘊蓄を深めると、なんだか迷いになりそうだ。米と砂やごみは明らかに違う。米は大事な食糧だが、砂やごみは食えない。食ってしまえないこともないだろうが、砂を噛む味気なさは、実に残念なものである。米は米である。だが、勿体ないから一粒も残してはならないと言われつつ、一粒では役に立たない。

 注意深く、細かい作業をしながら、米や砂やごみを離れて、今ここにいる自分を感じることとなった。

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2020/01/17

朝課諷経 総持寺

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2020/01/15

「悟りの分析」―ユング心理学との接点 秋山 さと子

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「悟りの分析」ユング心理学との接点
秋山 さと子 (著) 1980/09 出版社: 朝日出版社 単行本 235ページ
No.4382 

 天井階からの30年ぶり落下本シリーズの一冊。いやいや、実際読んでいたのは、当時のメモを見ると、1981年1月だから、すでに40年ぶりと言っていいだろう。当時私は、26歳にしてがんセンターの死のベットにいた。あの当時、私はこの本を読んで、実に納得していたのだった。

 今回、放送大学から公認心理師という虚像を垣間見て、実は、この本が描き出した世界の延長戦が、ようやく一般社会に受け入れられるようになったのだろう、と大いに気をよくしたものである。

 しかるに、調べれば調べるほど、それは私の誤解、錯覚である、ということを痛感しているところである。現代の心理学というものは、科学の一員であることを誇大に主張し、内観や神秘性をばっさりと切り捨て、ひたすら客観的なデータを統計的に弄り回すことをに専念しているようである。これでは、この本よりさらに100年程後退してしまった学問の分野に成り下がっているようである。

 今回調べて分かったことは、秋山女史は、すでに1992年に69才でお亡くりなっていたのだった。彼女の切り開いた世界は、当時の私などは大いに目を開かれたものであった。そもそも、駒沢で心理学を学び、60年代にはチューリッヒのユング研究書に学ばれた女傑である。この本を読んでも、実に貴重な研究であることがわかる。

 今回、この本を再発見して以来、まだ、概略とつまみ食いしかしていないが、実に私の希望を盛り上げてくれている。彼女は、いわゆる心理学の大通りから外れてしまったのだろうか。彼女の切り開いた地平は、今現在、どんな形で、継承されているのだろうか。そこのところが気になる。

 本来であれば、このラインで、私は心理学を学びたいし、その延長に現在の意識の世界が研究されてしかるべきなのである。例えば、放送大学にはユング心理学云々のコースがあるが、はてさて、どんな無様なことになっているのか、心配になってきた。

 そもそもOSHOなどは、そこんところをばっさり見切って、心理学を超えて、と言い切ってしまっている。それでいいのか・・・? まだ、私には分からない。きっと、彼女の系譜を受け継いでいる潮流があるはずだ。そこんとこ、もう少し探求してみよう。

 つづく

 

 

 

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2020/01/13

「やまと尼寺 精進日記」NHK制作班

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「やまと尼寺 精進日記」
NHK「やまと尼寺精進日記」制作班 (著) 2018/07出版社: NHK出版 単行本(ソフトカバー): 128ページ
No.4381★★★★☆

 私は一人暮らしになって、三度三度の食事を自分で準備しなければならないような境遇になったら、いよいよオヤジ料理教室にでも通うかな、とは思ってみるが、そもそも、男子厨房に入るべからずの家風の中で育ったものだから、料理のセンスはまったくない。

 それでも若い時分は、みんなで共同生活をしていたりしていたから、一通りの台所仕事はするが、あまり味とかにはこだわらない。むしろあっけないほどの山賊料理である。人参を鉛筆みたいに削って煮立ったお湯にいれたり、玉ねぎはぶつ切り、うどんは煮込み専門、と、まぁ、腹の足しになればいいか、というような男仕事である。

 こんなこと言ったら、典座を大事にした道元禅師に一喝されてしまうのだろうが、まぁ出家ならざる身、そこそこ許していただきましょう。その代わり、目の前にないものを食べたがらないし、毎回、食事を準備してくれた人々には感謝していただいております。

 さて、このテレビ番組は、たまにチャンネルが合って、見かけることはあるが、まともに拝見したことはない。禅や寺の番組となると、どうも私は、もうすこし、型苦しいニュアンスがお好きなようである。

 ところが、わが家の奥さんは、型苦しい番組はあまりお付き合いしてくれないが、こちらの尼寺シリーズには、結構ほれ込んでいるようで、この本は、奥さんが図書館から借りてきたもの。なるほど、もう、食べ物のことで満載のシリーズである。

 12月には蝋八接心の時、輪王寺からいただいてきた銀杏の実を、わが家の奥さんは大事に大事に、何回にも何回にも分けて食卓に出してくれる。この銀杏のことが、この本に載っていたことが、ひょっとすると、この本を借りてきたご縁なのかもしれない。あるいは、ご本人も、尼寺に出家することを考えているのかな・・・・?

 住職の庵主さんは修行を終えて38歳の時に、この無人のやぶれ寺に入ってきて、ひとつひとつ立て直されたそうだ。副住職さんは、学校のスクールカウンセラーもやっているとか。

 突然、お茶の間に流れてきても、ぜんぜん違和感のない番組だが、これはNHKの企画の勝利。お寺らしいお寺の修行の場面などまったく出てこないが、おそらく、撮影されたり、この本にでてこない面では、それなりの宗教的世界が展開されているのだろうなぁ、と想像したりする。

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「図説 禪のすべて」鈴木大拙監修 他

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「図説 禪のすべて」
鈴木大拙監修 1963/06 出版社 木耳社 函入り単行本 p200
No.4380★★★★★

 天井階からの30年ぶり落下本の一冊。 あまりにも当たり前で、これまであまり気にも留めないできてしまった本だが、あらためて手に取ると、大変重厚な思いのこもった一冊である。

 いまでこそ画像や動画で禪の世界を覗くことができるが、1963年当時、これほど多量の画像が一冊に含まれている本はほとんどなかったであろう。白黒とはいえ、いや、白黒だからこそ、当時にその精神世界の深さを浮き出させてみせてくれる。

 大拙は監修者であり、本来は、篠原壽雄・佐藤達玄両氏の共著である。奥付の文面からするに、戦中派の人々であり、多くの友人を学徒出陣などで亡くされた方々である。

 1945年の終戦後、1963年と言えば、翌年の東京オリンピックに向けて、復興ニッポンに向けて行動成長を遂げようとしていた日本であるが、そこに、若い精神世界の担い手たちが、生きていたことを強くアピールする一冊である。

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「身證體解之禪」 永平初祖学道用心集略解 可睡斎主 原田亮裕

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「身證體解之禪」 永平初祖学道用心集略解 
可睡斎主 原田亮裕著 1974/01/19 可睡斎 非売品 p330
No.4379★★★★☆

 これもまた30年ぶり天井階からの落下本。いつも背表紙を見ては、この本の存在を知っていたが、この本が我が書斎にやってきた経緯を覚えていない。どこかの古書店で求めたものであろうか。あるいはどこかの恩人が送ってくれた一冊だったのだろうか。

 少なくとも非売品であり、なおかつ、しおりとして「謹呈 著者」の紙片が挟まれていた。

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 当方後学の身としてはようやく、別書典によりて、学道用心集なる経本を読み始めた処だったので、あらら~、とその奇縁に驚いたことである。

 さらには、現在参禅している秀麓禅齋とは、どうやら縁のあるお寺らしい。そもそも斎のつき禅寺は、全国で3~4寺しかないという。さらには、秀麓禅齋の副住職はこの可睡斎において修行されたとのことである。

 重なる奇縁にあずかれる我が身を有難きものと感じ、ますます感謝しているところである。

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「瞑想のすすめ」―心と体を壮快にする方法 川畑愛義

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「瞑想のすすめ」―心と体を壮快にする方法
川畑愛義 (著) 1979/06 出版社: 日本実業出版社 単行本: 242ページ
No.4378★★★☆☆

 30年ぶり天井階からの落下本の中の一冊。当時としては、タイトルに瞑想と銘打つ本は数すくなかった。それゆえに一冊買い求めていたのであろう。著者は1905年生まれの医学博士。出版当時、すでに74才になられた方であった。

 医学博士らしく生理学的にも説明してあり、また十牛図も紹介してある。時代から考えて、そうとうにアンテナの広い方であったと推測できる。

 今回この本を久々に開いて、一番驚いたことは、巻末のリストに、わがOSHOスバガット瞑想センターが紹介されていたことである。これまで、私はここを発見してこなかった。

 インドプーナでOSHO直々にスバガットの名前をもらったのは1978年11月。帰国して仙台で活動を開始したのは1979年になってからだが、それほど対外的には名まえを公表していなかった。にも拘わらず、半年後にこの本において紹介されていたとは。ありがたく、頭が下がる。

 ホビット村も紹介されているので、おそらくそちらからの情報であったのだろうが、それにしても永平寺本山僧堂とともにリストアップされていることに、いやはや驚くやら有難いやら。いまさらながら、背筋が伸びる思いがする。

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 40年の年月を経て、わがOSHOスバガット瞑想センターは静かに脈々と活動し続けている。その流れの大事さを、改めて感謝しているところである。

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2020/01/11

放送大学<8>あっさりした対応

<7>からつづく 



 土曜日の午後、いねむりしながら、録画していた放送大学の授業を見ていたら、携帯が鳴って、千葉から放送大学の女性職員が話しかけてきた。「なにか気になっていることはありませんか」

 資料もちゃんと届いているし、オープンキャンパスにも行きました。自分のやりたいことも大体決まっていて、それとどのように取り組むか、考えているところです、とお話しした。どちらからと言うと、私が一方的に現況を説明して、ああ、そうですか、じゃ、また何か質問ありましたら、またお電話ください、と対話は終了した。

 かかってきた電話ではあったが、私としては、もっと長電話して、じっくり一緒に考えて欲しかった。だが、その対応は、意外と簡単で、あっさりしたものだった。この感触は、オープンキャンパスに参加した時の対応してくれた女性職員の方の印象と同じだった。ふ~ん、これって、どうなのかな・・・?

 セールスの電話や、政治活動の宣伝など、どちらかというと、こってりした内容の対話の多い中、放送大学の職員の対話はいたって淡泊という印象ができあがりつつある。なぜなのだろう。それはおそらく、私が見ている放送大学と、放送大学が見ている私の視線が、うまくあっていないからではないか、と今は思っている。

 私は、放送大学を通じた理想形を、四年間在学して、公認心理師取得のコースと認識している。これはもちろん最高形態だが、このコースが存在しえないのであれば、放送大学の存在価値は、ぐっと下がってしまう。大学院に行かない、あるいは卒業しない、あるいは10年間在学する、単科履修生に留まる、結果としてそうなるのはしかたないとしても、最初から、そのような残念なコースは設定していない。

 しかるに、大学側から見た場合、65才の男性? 時間があるのであろうし、すでに健康も害しているだろう。毎日テレビをみたり散歩したりしている程度なら、放送大学という、一種の老人大学に参加して、多少は社会とつながっていたら、とそういう視線なのではないだろうか。4年で卒業なんて無理ですよ。卒業したってしかたないじゃないですか。ほどよくご自分の希望の科目があれば、それらをつまみ食いしたらいかがですか? 多分、おそらくその程度の視線なのだろう。

 明らかにお互いの視線は合っていない。ここに対話なり、恋愛が発生する可能性はあるだろうか。

 今日ここまでの段階で断定できるものではないが、もし公認心理師というコースが完全に断たれているのなら、私はこの大学に入学する意味をほとんど感じない。大学として魅力がない、という意味ではない。テレビを見、ラジオを聞き、教材に目を通し、時には学生たちのSNSに参加したりすることは、それなりに面白そうだ。それはそれで活用の仕方がある。

 ただ、入学とか、履修登録とかする必要があるのだろうか。そういう風に考え始まれば、一教科二単位を15時間かけて学習し、テストを受けて、不要な知識まで記憶する必要があるのであろうか。また、決まったコースを歩く必要などまったくないのではないのではないか。

 放送大学の利用方法は山ほどあろうが、私なら、もっともリーズナブルな自己流の活用方法を考え付くに違いないのである。もちろん、それは自己流であり、少数派であろう。だが、私はそれでいい。ちょっといじけた言い方をすれば、すでに高齢だし、ひとつの学問ですら完了できない可能性があるし、それを学んだって、活用のしようがないではないか。ああ、こういってしまえば、もう実も蓋もないなぁ。

 2020年度入学手続きの締め切りは2月末である。それまで、あれこれ悩んでみよう・・・!

<9>につづく

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放送大学<7>早く卒業することを目指すべきか、10年在籍をめざすべきか

<6>からつづく 



 たまたまネットで遭遇したこの方のブログが面白い。
放送大学を早く卒業することを目指すべきか、10年在籍をめざすべきか

 ネット記事なので、いつまであるかわからないし、抜き書きしておこうかな、とも思うし、個人ブログだから、それは遠慮しようかな、と思いつつ、一読させていただきました。

心理学を学び始めると、期待していたものと少し違うように感じることが多くなりました。心理学は心のメカニズムを客観的に研究する学問です。質問紙による調査や科学的な分析が多く、心の奥に入り込んで人間を知ることとは少し違うように思います。それに比べ、「人間と文化コース」の哲学、美学、文学の方が、私の希望に沿っているように感じることが多くなりました。

それから、放送大学で心理学を学んでも、現場で活躍できる人はごくわずかのようです。

私はシニアであり、もともと心理職を得るのは無理と承知のうえなのですが、臨床心理にこだわり、卒業して大学院を目指すべきなのか、それとも、10年在籍をめざすべきなのか、私の放送大学の今後を考えてみようと思います。

 実に悩ましい部分ですね。

<8>につづく

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2020/01/10

「エンカウンター・グループ」―人間信頼の原点を求めて カール・ロジャーズ

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「エンカウンター・グループ」―人間信頼の原点を求めて
カール・ロジャーズ (著), 畠瀬 稔 (翻訳), 畠瀬 直子 (翻訳) 1982/07 出版社: 創元社 単行本: 268ページ
No.4377★★★★★

 今回検索してみて、この本についてのブックレビーがけちょんけちょんに書かれているので失笑してしまった。この本の著者たちがファシリテートしたグループについての評価であろうが、まぁ、誰がやっても、実はこのグループ・ワークは簡単ではないのである。

 30年ぶり天井階からの落下本の中ではひとつの頂点であり、ひとつの象徴でもある一冊である。

 1977年に、私がインドのOSHOアシュラムに滞在した時、主に行われていたグループワークの基本は、このエンカウンターグループにあった。そのものずばり「エンカウンター」と称するグループワークもあって、かなり過激な内容を持っていた。1978年当時アシュラムを覗いた日本語翻訳家Yなどは、その内容から、OSHO批判を始めた。

 とりあえず、OSHOのところで、複数の人間が集まって、共同のセラピーを使用とする場合、単にグループと称するが、それは基本にエンカウンター・グループがあることを示している。

 80年代なかば、いのちの電話相談員研修に参加しているとき、当時40代の女性聖職者が、このエンカウンター・グループについて評価していたことを思い出した。職場(というかそのネットワーク)の中で、このエンカウンター・グループ演習が行われたらしい。その時、大変な惨劇が起こり、彼女もまた、多いに傷ついた、ということだった。

 考えようによれば、職場でも、家庭でも、学校でも、町内会でも、サークル活動でも、ゆるいエンカウンター・グループであると、捉えることもできる。しかし、その空間も決して無法地帯ではない。ファシリテーターとして意識する存在は、多いに重要なポジションをとることになる。

 ある友人は、SF映画の中での、宇宙船の中の心理職を理想としていて、学校の心の教室相談員になった。ある空間、あるエリアの中に、意識あるファシリテーターが、エンカウンター・グループとしてそのダイナミクスをとらえていることができたら、素晴らしいい。

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「カウンセリング入門」―なやみの解決と人間性の開発 水島 恵一

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「カウンセリング入門」―なやみの解決と人間性の開発
水島 恵一 (著) 1969/02 出版社: 大日本図書(現代心理学ブックス) 単行本: 208ページ
No.4376

 30年ぶり天井階からの落下本ではあるが、読み返してみると、なかなかの良本である。難しいことは何も書いていない。記憶しておかなければならないような人名やら方式などなにもない。だが、重要と思えるところは、丁寧にじっくり書いてある。

 おそらく実際に数多くの実践を積まれた方であろう。ましてやアカデミズムなどとはあまり深く拘泥しないで、じっくりと、本当に必要な人に届くように書いてある。

 おそらくカウンセリングというものは資格なぞで他人に認めてもらう必要などは基本ない。できる人が自分のできる範囲でやればいいのである。優しいと言えば、本当に優しい技術である。

 しかし、優しい技術であるが、難しい技術を優しそうに見せるのがプロである。実にこの方の本は素晴らしいに尽きる。学術的にどうか、とか、時代性から考えてどうか、とか、いろいろ評価の仕方もあろう。しかし、ここまで30年ぶり天井階落下本をパラパラめくってきて、初めて、ああ、この本はいい本だな、と感銘した。

 いつか、時間ができたら、また、じっくり読みたい。

 つづく

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「ロジャーズ クライエント中心療法」佐治 守夫他

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「ロジャーズ クライエント中心療法」

佐治 守夫 飯長喜一郎 1983/01 有斐閣新書―古典入門  新書: 208ページ
No.4375★★★★☆

 またまた天井階からの30年ぶり落下本の一冊。30数年前当時、心理カウンセリングを学ぼうとすると、ロジャースの来談者中心療法が主流であった。私は現在でもそれはそれで正しいと思う。ただし、この場合のクライエントとはかなり限定されていて、自らより人間的であろうとする青年層を想定しているように思う。

 しかたなく来談している非行者や、あるいは幼児期を脱していない子供、さまざまな病態を示しているような要治療者に対しては、必ずしも来談者中心療法と言っても、効果が薄いように思われる。

 最近のスクールカウンセラーなどと雑談すると、傾聴よりも観察の重要性を主張する。傾聴もまた観察のうちのひとつの手法ではあるだろうが、言葉によらず、ノンバーバルな態度や性癖を細かくカウンセラーは観察していく必要があるようだ。

 ロジャースの手法も、ともすると、空念仏になりそうな時もあるし、仏作って魂入れずのような、中途半端な気分を残すことが多い。当然のごとくさらに乗り越えられていくべき地平である。

 少なくとも、夢判断や精神分析を乗り越えて、来談者中心、そしてエンカウンターグループなどに進展していったロジャースは、いわゆる目に見えるカウンセリングの基礎となる原型を指し示したように思う。

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「心理学入門」 沢 英久

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「心理学入門」
沢 英久 (編集) 1969/04 出版社: 協同出版 ハードカバー箱入り182ページ
No.4374★★☆☆☆

 こちらも30年ぶりの天井階からの落下組と言いたいが、実際はすでに40年以上が経過している。ひょんなことで農業を学ぶことになり、その大学校のテキストとして供された一冊である。

 当時の書き込みから見る限り、たしかに大学校の教科書ではあったが、この教科を学習した記憶がない。赤ペンや傍線のチェックが入っている限り、どうやら一度は目を通したようだが、しかとした記憶はない。

 だがしかし、内容はコンパクトながらしっかりしている。放送大学の現在の心理学概論の教科書であったとしても、特段に古くは感じない。むしろ、そのような放送大学で学ぶこと自体、本当に必要なのかどうか、を考えさせてくれる一冊である。

 心理学史を紐解くと、ある段階で、内観が捨てられ、そしてまた外的エビデンスのない意識の世界は科学の対象にならない、と切り捨てられた時代があり、言ってみれば、私はどうやら、その切り捨てられたほうに関心があるようなのだ。

 切り捨てられたほうを宗教とまでは呼ばないまでも、どちらからといえば、哲学や文学という分野が担当しているようで、丁寧に毒を抜かれたフグを食べさせられているような、どこか間の抜けた感じがするのである。

 その間の抜けたような、いわゆる心理学と呼ばれるものに、はてさて、私は晩年の貴重な時間と経費を浪費するのであろうか。いよいよ疑問となってきた。

 この論理、テストの前の日のテレビ番組は面白い、というマーフィーの法則にやや近いかもしれない。いよいよ可能になってくると、それを否定する論理を探してくる。いよいよ、わが心理も複雑なものである(笑い)。

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2020/01/09

「カウンセリング概説」平野 馨

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「カウンセリング概説」
平野 馨 (著) 1985/03 東京布井出版 単行本: 144ページ
No.4373
★★★★★
 これも30年ぶりの天井階からの落下組。KO大学に学んでいた時、カウンセリングルームを担当していた方の一冊。私が読んでいたのは1986年当時である。この本の特長は、巻末に十牛図が解説されているところ。私はすでにOSHO「十牛図を語る 究極の旅」を読んでいたので、大いに、そのシンクロと楽しんだ。

 本来カウンセリングなどというのは、コンパクトにこの程度に納まるべきものであろうと思われる。あまりに複雑に考える必要はない。すでに30年以上前の教材だが、現在、心理学やカウンセリングを学ぼうとしたり、公認心理師をめざそうとした場合、30年前どころか、100年前、あるいは19世紀あたりの学説から始めなければならないので、この本も決して古いとはいいがたい。

 当然、改訂版や類似の本がすでにたくさんあるのだろうが、根本はそれほど変わらないはず。あえて、ふたたび、学び直さなければならない領域なのだろうか・・・?

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2020/01/08

国際シンポジウム「スピリット・オブ・プレイス仙台」<6>

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SPIRIT OF PLACE SENDAI いのちのつながり、場の響きあい 
国際シンポジウム「スピリット・オブ・プレイス仙台」報告書<6>
1991/11/25~11/27 仙台国際センター
 当ブログでは過去に何度か展開してきたこの環境心理学の動きであるが、他に大きな動きがないので、特段に注目されるべき動きにはなっていない。ただし、個人的には、記念碑的イベントであり、このシンポジウムに参加したことが大きな転機になったことはたしかである
 すでに中心人物たちが鬼籍に入られた現在となっては当時の再現も不可能だし、また、その必要もなさそうに思う。されど、バブル崩壊直前の最後のイベントとして、最大限評価されてしかるべきイベントだったと思う。
 功罪相半ばする企画ではあったが、少なくとも環境心理学という概念を持ち込んだのは、この時が初めてではなかっただろうか。今回ググってみて、初めて、日本環境心理学会、なる団体が存在することを知った。着々と時代は進行しているのである。
 ここから直接につながってくるものはないが、この時点で、これだけの人々の協力があり、関心が集まり、実質的に後々への影響を残したことを考えれば、再評価され、再認識されるべき動きであったと思う。

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OSHO カウンセラー・トレーニング

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「OSHO カウンセラー・トレーニング」
1987/08~10 インド・プーナ OSHOアシュラム
No.4372

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 この記事はラジニーシタイムスに掲載された告知文であるが、私が参加したのは、この前回のコースであった。内容はほぼ同等。教授陣や参加者には当然変化はあるが、コース内容はほぼ同等である。

 OSHOのアシュラムにおいては、ノートやペンを持ち込んでの講話講義やカリキュラムはほとんど存在しなかったが、このトレーニングコースだけは、ノートの持ち込みが許された。許されたばかりか、推奨されていたように思う。

 4か月間のトレーニングコースの重要なポイントのノート書きであり、私にとっては貴重な記念碑である。他の団体なら終了証のような証明書がありそうなものだが、OSHOにおいてはほとんどそのようなものは存在しなかった。だから、私とってのこのノートは、参加したアリバイばかりではなく、貴重な終了証と同等の意味を持つものである。

 私はこのノートの開示を10数年前に他のSNSでスタートさせたが、なかなか前に進まなかった。今回はもうすこし前に進めてみようと思うが、さてどうなるだろう。

 つづけよう、と思う。

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「精神療法と瞑想」―心を解くセラピー&メディテーションガイダンス

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「精神療法と瞑想」―心を解くセラピー&メディテーションガイダンス
宝島編集部 (編集) 1991/07 出版社: JICC出版局 単行本: 237ページ
No.4371

 この本も天井階から30年ぶり落下組である。発行された1991/07時点で、すでに総花的にひとつの完成形を示している。この編集には、何人かのサニヤシンの友人たちが参加している。考えようによっては、中核にOSHOセラピーを据えた、販促本とさえ捉えることができる。

 もし、これ以降、30年間、このような方向で年代が進んでいけば、ある意味、それは私なぞにとっては一つの理想形であったといえる。時代は戦後期を脱して高度成長期、そしてバブル経済期であった。その時代生を背景として、この本が切り開いたようなビジョンは多いに期待を持たせてくれた。

 しかし、この期のバブル経済の崩壊、インターネットの普及、オウム真理教事件、グローバル経済の推進、などなどが打ち続き、この本のビジョンは、全面開花した、とは言えない状態だった。

 2001年の9・11アメリカ貿易センタービルの崩壊、そして天災人災の拡大は、2011年の3・11東日本大震災へとつながっていった。その中で、この本の示したようなビジョンは、消え消えに、ほとんど立ち消えになりそうな状態にさえなった。

 おそらくこのままだと、それはたしかに蒸発してしまう可能性はあるのである。時代がそれをそのように要求するのであれば、それはそれで、そうなのだろう。だがしかし、そうはならないだろう、という強い読みも確かに存在する。

 今、ここに思うことは、もし三つの願いが叶うなら、①社会的認知度の高いセラピストの立場の確立 ②OSHOセンターの定着 ③日々のOSHOサニヤシンとしてのライフスタイル のことを思う。

 時間軸としては、OSHOスバガット瞑想センター、空間軸としては、この本の示しているような「精神療法と瞑想」の広がりがあれば、その交差点で、OSHOサニヤシンとしての私が生きていけることになろう。

 いずれにせよ、30年前の記念碑的な一冊である。

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2020/01/07

「禅宣言」 OSHO<23>

<22>からつづく
禅宣言
「禅宣言」<23>
 OSHO /スワミ・アドヴァイト・パルヴァ 1998/03  市民出版社 単行本 541p

 時代はいずれここまで飛躍しなくてはならない。この本とて、語られたのはすでに30年前のことである。古くなく、新しすぎもしない。時代はジャスト、ここに入り始めている。

 わかるかなぁ、わかんないだろうなぁ。

<24>につづく

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「心理学を超えて」OSHO(3) ウルグアイ講話録

<2>からつづく

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「心理学を超えて」OSHO(3) ウルグアイ講話録 
OSHO (著), スワミ・ボーディ・デヴァヤナ(宮川義弘) (翻訳) 2019/07 市民出版社 単行本: 457ページ 
 

 そしてわが師OSHOは、軽く超えていく。何をいまさらごちょごちょ言っているのかね、と、にこにこ笑っている。

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あたらしいこころの国家資格「公認心理師」になるには '20~'21年版 <2>

<1>からつづく

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あたらしいこころの国家資格「公認心理師」になるには '20~'21年版<2>
国際心理支援協会 (著) 2019/9 出版社: 秀和システム  単行本: 206ページ
★★★★☆

 2020年の今日なら、まずは、この資格からスタートすべきであろう。最初の最初から、ここからスタートできる人は幸せだと思う。若い人達が、類似の道を進むなら、まずはここからだろう。ここが、もっとも全うで、将来性がありそうだ。プロフェッションにもなりそうであるし、時代はそのように要請している。

 ただし、十分に「時代遅れ」であることを認識しておく必要がある。現実と理想のギャップはかなり大きいのだ。つまり、現実的な道を行くなら、足を踏み外さない程度に、視線を上に上げておく。そして、もしここを無視して、どんどん自らの道を行ける人は、まったくこの道を無視してしまって構わない。

 さてさて、いずれにしても安易な道ではない。かなり厳しい道ではあるが、楽しいのは、どっちだ、で判断し続けるしかないだろう。

 では、私ならどうするか。どっちもできる。そう思う。されど、どっちも結構手厳しい。これは、自らが望む、望まないではなく、もっと他動的な、決定要因が発生してくる感じがする。今のところはペンディングである。

 

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トランスパーソナル・セラピー入門 <3>

<2>よりつづく 
トランスパーソナル・セラピー入門
「トランスパーソナル・セラピー入門」 <3> 
吉福 伸逸 (著) 1989/10 単行本: 317p 平河出版社
★★☆☆☆ 

 著者あたりが中心となって、日本におけるトランスパーソナルなるコンセプトの流布が盛んに試みられたが、はて、その結論はどうなったであろうか。これまで当ブログが書いてきたような経緯から、期待はされつつ、結局は、きわもの、はずれもの、の対応をされてしまった潮流ではなかろうか。

 著者はOSHOのシンパでありながら、極めて中途半端かつ、矛盾した態度を示してきた。文中においても、その葛藤が見受けられる。結局は、彼もまたこの世の生を終えてしまったので、いまさら鞭打つことはしないが、私は著者に対しては、一定程度の距離をおいてきた。

 敬して遠ざかる、というべきか。この潮流がもっともっと前面に出てくるべきだと思いつつ、彼らの動きには、さまざまな齟齬を感じたし、軋轢も感じた。その流れが、今後、どうなっていくのかは、多いに楽しみである。

 また、一定程度、当ブログとしてはこの潮流に結末をつけてしまったために、最近の動きをしらないが、いや待てよ、と最近の動向を、もう一度検索する必要があるのかもしれない。

 問題点をいくつか絞るとすると、まず一点は、それはプロフェッションとして、成立するのかどうか、ということ。教師なり、医者なり、公務員なり、とりあえず、私はこういうものです、と言えるのか? 僧侶であるとか、商店主であるとか、農家です、というような、具体性をもった実像を持ちうるのかどうか、ということ。

 二つ目は、全うに、これまでの心理学なり科学なりの王道を、さらに頂上へと推し進める力となり得ているのかどうか、ということ。日本においては、例のオウム真理教事件が、大きく影を差している。いまだに周辺業界は偏見の影響を受けている。人間、一体、何が本当に必要なのか、というところの煮詰めは、まだ先になりそうだ。

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「臨床心理士になるために」日本臨床心理士資格認定協会

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「臨床心理士になるために」
日本臨床心理士資格認定協会 監修 1988/06 出版社: 誠信書房; 単行本: 143ページ
No.4370★★★☆☆

 またまたこの本も天井階から30年ぶりに落下してきた本。この本は毎年のように改訂されているようであるが、私の手元にあるのは初版本である。私もまたこの当時、この資格を視野に入れ、勉強を始めた。学習期間に4年在籍したが、結局断念した。理由は? 第一は私の怠惰な性格である。第二においては、どうも、この資格は、難しくて、その割に苦労して取っても喰えそうにないな、という直観からである。このあとの私は、食えそうな視覚へと鞍替えした。

 いまでこそ、臨床心理士という名称は一般的なものになり、広く認知されているが、さて、それはどれほど尊重されているだろうか。せいぜいスクールカウンセラーとしての非常勤状態の認識をされているだけで、本当に必要不可欠なものとは認知されていないようだ。

 ましてや、自ら国家資格になる前に、新しい国家資格として公認心理師が登場するに至っては、なんだか、踏んだり蹴ったりで、かわいそうだな、とさえ思ってしまう。ははは。勝手な想像だが。

 あえていうなら、時代は公認心理師に流れている。上級資格として臨床心理士を位置づけようとする動きもあるようだが、そうはならないだろう。レベルは、そとからはよくわからない。ただハードルが高いのは臨床心理士のほうだ。ここまで社会的な認知を迫ってきた臨床心理士業界の人々の努力には感謝するが、まだまだだ。

 今後どうなっていくのか、予断をゆるさないが、基本、資格などで、全体が量れるわけではない。中身があれば、外見など二の次、三の次だ。必要なら、その資格に挑戦するしかない。近所を散策するなら原付バイク免許で十分だろうし、ダンプを動かすには大型免許が必要だろう。誰もがダンプを動かすわけではないし、原付免許さえ必要ない人だっている。それは必要に応じて対応するしかない。

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「産業カウンセリング入門」―産業カウンセラーになりたい人のために

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「産業カウンセリング入門」―産業カウンセラーになりたい人のために
杉渓 一言 (著), 松原 達哉 (著), 中沢 次郎 (著), 楡木 満生 (著) 1995/09 出版社: 日本文化科学社 単行本: 226ページ
No.4369★★★☆☆

 この本もまた天井階からの落下本である。25年前の本ではあるが、私自身はその5年程前に資格を取得した。当時としては、労働省認定の心理関係の唯一の国家資格であった。もっとも21世紀になって、民間資格に移行せざるを得なかったために、日本からは心理職の公的資格はなくなった。すべては民間資格となったのである。

 私はこの協会から派遣されて、民間会社や自衛隊駐屯地などの非常勤外部カウンセラーとして勤務した。雰囲気としては、男性参加者が圧倒的に多く、男組という感じさえしていた。ここは、圧倒的に女性の参加者が多かったいのちの電話とは、とても対比的であった。もっともその後、この産業カウンセラー協会も女性の参加者が増えたようだが。

 産業カウンセリングの「産業」は私の意図するところではなかったが、当時の公的資格としては、ほぼ唯一の資格であったので、この名に依存するような形となった。もっとも、資格として存続させるには「産業」は整合性があったのだろうが、カウンセリングはカウンセリングなので、他の関心から参加している人たちも多かった。

 公的資格を標榜している段階からそうであったが、やはり資格商売的な面がなきにしもあらずで、今でもこの団体は続いていて、何族かの天下り先にさえなっているような向きさえ感じられないわけではない。まぁ、それはこの業界・団体にかぎらないが。

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「電話による援助活動」―いのちの電話の理論と実際 

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「電話による援助活動」―いのちの電話の理論と実際
日本いのちの電話連盟 1986/09 出版社: 学事出版 単行本: 243ページ
No.4368★★★★☆

 こちらもまたまた30年ぶりに天井階から落ちてきた本。いのちの電話に関わっていることを公言することは、研修の時からきつく厳禁されているので、ここでもまた、多言することは避けておこうと思う。ただきちんと研修を受けて、なお電話を取っていたことは事実であるし、すでに30年も前のことなので、いくらかはほのめかしても悪くあるまい。

 当時の研修生の年齢制限は、たしか59才だったと思う。その理由は、一年間の研修のあと60才が受容性を維持するための限界であろう、という推測のもとであった。つまり自らの規範を押し付けるようになるので、老人はお断り、ということなのだ。思えば、現在でいえば、90才にならんとする人々がそういう対応を受けていたのである。

 さて、すでに前期高齢者となった我らの世代が、このような対応を受けた場合、納得がいかないかもしれない。現在はどうなっているのか知らないが、私たちの世代は、だいぶ柔軟な考えを持っているのではないか、と推測する。

 研修生たちは、至って真面目な人々であったが、圧倒的に女性が多く、男性は、私の他に1,2名、チラチラと見える程度であった。このグループの指導者的教授が主宰するカウンセリング研究所にもだいぶ参加した。上級コースやソーシャルワークコースなど、電話相談以上に、多くの体験をさせていただいた。

 ただ、このボランティアグルーープは、実に大変な相談を受けることも多く、電話の受け手たちは、長期にわたって参加することは、大変だったのではないか、と推測する。

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「カウンセラーのための104冊」氏原 寛 他

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「カウンセラーのための104冊」
氏原 寛 他 1987/01 出版社: 創元社 単行本: 241ページ
No.4367★★★★☆

 この本もまた天井階から落ちてきた本である。もうすでに30年ぶり。アマゾンで見ると中古本は1円から。1円なら入手する価値あり。もっとも送料が300円以上するが。メルカリでは500円くらいか。当ブログとしては、すでにこの本を紹介しているか、と思ったが、他の本との比較で登場しただけらしい。それでもすでに12年前のことである。

 もっともこの本には改訂版がでているらしく、そちらとの比較も面白かろうが、まぁ、そう焦らずにこの本で足踏みするのも悪くはなさそうだ。と言うのも、今回、放送大学を通じて公認心理師資格を検討してみると、必ずしも、この30年前の世界を遥かに凌駕しているどころか、まだ、この本にさえ到達していない、と思われる部分も見受けられるからである。

 つまり、余人はともかく、当ブログとして、今回、再び三度、この心理学なり、関連資格なりの世界に舞い戻ったのは、一点、公認心理師という国家資格ができた、というところに集約されるのである。心理学という現実性と限界性、カウンセリングというイメージと実体。とにかくこの日本という国家が資格として唯一認めたのが、今回のレベルなのである。

 ここんところは、しかとチェックしておく必要があるのではなかろうか。当ブログとしては、すでにOSHOの言っているように「心理学を超えて」なのであり、何を今更、ここまでバックギアをいれなければならないのか、と自問する。されど、自未得度先度他の菩提心から鑑みるに、ここで再び三度、心理学、カウンセリング、臨床心理なる世界を、見渡しておくのも悪くないと思う。

 この本を手掛かりとして、リストをつくりながら、もう一度、チェックしていくのもいいだろう。

つづく

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「青少年の指導」

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「青少年の指導」放送大学教材 
深谷 昌志 (編集) 1987/03 出版社: 放送大学教育振興会 テキスト 356ページ
No.4366★★★☆☆

 これは30年ぶりに我が家の天井階から落ちてきた放送大学の教材である。最近になって改めて放送大学に関心を持ち、しかも心理学についての関連書籍を再読してみようかな、というタイミングででてきたものだ。

 当時も放送大学には興味を持ってはいたが、関東圏以外に住んでいるわが身としては、その存在の利を饗することはできなかった。内容も機能も、ミスフィットだった。

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 資料を見る限り、当時は一教科4単位で、一年間のサイクルだったようだ。

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 あれから何年かして、私は、青少年指導員になった。なったというべきか、立場的にその役職を与えられた、ということである。なんの脈略もなかったようなことが、今になって、見事に、しかもダイレクトにつながっていたりすることを発見するのは、楽しい。

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 当時は、この手の教材もそうそうは流通していなかったと見える。たまたま入手したのは、カウンセリングに関わったいた講座であったからだろう。

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2020/01/06

「サンガジャパン」Vol.23 OSHOタントラを語る 中川吉晴他

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「サンガジャパン」Vol.23 特集「この仏教書を読め!!」OSHOタントラを語る 中川吉晴他
出版社: サンガ 2016/04 単行本: 345ページ
No.4365★★★★★




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「『れいわ現象』の正体」牧内 昇平

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「『れいわ現象』の正体」
牧内 昇平 (著) 2019/12/11  ポプラ社  新書 p237
No.4364★★★★★

 私は山本太郎の支持者である。もし私にれいわ新選組に投票するチャンスがあるなら、かならず彼らに投票する。今後の彼らの活動におおいに期待している。それは、これまでの当ブログの過去ログを見ていただければ、納得していただけるはずである。

 8つの政策にも多いに賛成する。消費税廃止。奨学金徳政令。時給1500円。公務員増加。農業振興。いいことづくめである。彼らにやらせてみたい。やってほしい。風穴を開けてほしい。新しい日本を作って欲しい。

 政策は賛成である。されど、政局となると、こればかりは分からない。それほど勝算があるとは楽観はできない。むしろかなり可能性が薄くなる。だから応援してくれ、と言われれば、まったくその通りだと思う。されど、応援したから必ずしもそうなるとは限らない。悩ましいところである。

 仮に予定通りいったとしても数年、時には10年以上の歳月が必要となる。それまで待てるだろうか。支援者としては軟弱者である。すぐ弱音を吐きそうだ。彼らと、最後の最後まで、呉越同舟、心中する覚悟は、おそらく私にはない。遠巻きの支援者でしかないだろう。

 それでもやっぱりすごい。山本太郎の最大限の理解者でありたい。彼らの動きを通してみてきたところもある。政治家として、ますます活動を活発化してほしい。応援できるところは応援する。とことん彼らの活動には注目し続けたい。されど、私は政治家ではないし、政治的活動が最終的な目標とはしていない。

 このあたりが、これから彼らと私の流れの分岐点となることは確かだ。

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2020/01/04

今日の気分はこの三冊<45>OSHO

<44>からつづく

今日の気分はこの三冊<45>

今日の気分はこの3冊 目次

<3>からつづく 
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「般若心経」 OSHO、色即是空を語る <4>
OSHO(著), スワミ・プレム・プラブッダ(翻訳) 1980/01 めるくま-る社  単行本 590ページ


<6>よりつづく 
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「ボーディダルマ」 <7>BODHIDHARMA The Greatest Zen Master
OSHO(著), スワミ・アナンド ソパン (翻訳) 1994/07 めるくまーる社 単行本 700p

 

<8>よりつづく  
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「道元」その探求と悟りの足跡<9>
OSHO スワミ・アンタール・ガータサンサ翻訳 1992/11 和尚エンタープライズジャパン  (OEJ books)  単行本  472ページ

 

<46>につづく

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放送大学<6>目次

<5>からつづく



1)歌
2)四年間
3)三つの力
4)8科目 
5)52単位
6)目次
7) 早く卒業することを目指すべきか、10年在籍をめざすべきか

8)あっさりした対応


<7>につづく

 

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放送大学<5>52単位

<4>からつづく

 公認心理師をゴールと考えるなら、大学課程で、必修科目を52単位を取らなければならない。しかも心理演習と心理実習の4単位は、2年後までに必修のうち32単位を取得したうえで、しかも限定30名という狭き門をくぐらなければならない。これは相当な決意を要する。

 報道大学には極めて興味深い科目が沢山ある。しかも、それらを学ぼうとすれば、必ずしも入学しなくても、放送や図書館を利用することによって、ある程度の履修が可能なのである。しかもほとんど経費はかからない。ほとんど無料だ。それでいいならそれもいい。これまでの当ブログが図書館とネットを利用してきた方法の、ちょっとしたバージョンアップだ。

 だが、それでいいのか。図書館とネット利用に飽きてしまったからこそ、この放送大学に目が留まってしまったのではないか。これをどのように活用するのか。そこんところが課題となる。

0)元の木阿弥に戻って、もうどうでもいいや、只管打坐。不立文字、教外別伝、となってしまえば、ただただ単調な生活へと戻るだろう。それもよし。日々これ好日で過ごすのも悪くない。これはこれで理想なのだ。

1)いや、ちょっと待てよ。何か欲しいなら、教材なり情報なり、多少なり刺激を受けようではないか。そう思えるなら、単科履修生として、半年なり一年なり単位で、アカデミズムの傍らを遊んでみるのもいい。

2)なにか気になるコースがあれば、一年なり数年なり、集注的にポイントを学習も悪くない。これはこれでいいのだ。それは入学しなくても済むが、だがコース終了証発行も魅力がないわけではない。

3)いやいやそうではない。せっかく学ぶなら、大卒のペーパーを取得したほうがいいだろう。4年以上は確かにかかる。されど、どうせ遊ぶなら最長10年の在学をキープして、遊ぶだけ遊ぶのも悪くない。卒業すればそれもよし、卒業できなくても、せいぜい老人大学と割り切れるなら、それもよし。

4)いやせっかくだから、心理学を中心として大卒できるなら、やはり、シンボル的には認定心理士を申請できる程度に、体形的に、情熱的に取り組むのも悪くない。今回のチャレンジは、せいぜいその程度までのモチベーションが必要であろう。

5)しかしである。よくよく読んでみれば、公認心理師だって、決して狙えないわけではない。新しい資格であり、あたらしいカリキュラムを受けなければならないとするならば、決して若い大群の後塵を拝する、という人生ではない。むしろ、そのようなチャンスを与えられたことを考えれば、むしろ横一線。若いもんにはまだまだ負けんぞ、と闘志wあらわにしたっていいではないか。今回は、まず、ここを突破できるかどうかだ。

6)ここからは、そのようなチャンスを与えられるかどうか不明な点が多くなってくるが、ここまでいたる道を情熱を持って対処し続ければ、決して開かない道ではない。むしろ、ここからさらに道が続く、ということを前提として、最初の一歩を歩み出す必要がでてこよう。大卒の後、大学院なり実践歴が必要となってくる。

7)もちろん経費はかかる。自動車一台とまでは云わないまでも、程度のいい軽自動車の中古車程度以上の経費が必要となろう。月に直せば、せっかく終わった太陽光パネルローンとほぼ同額の出費を抱え続けることとなる。もちろんそれは無限ではない。最長で十年。おそらく6~7年で終わるだろう。それはそれでいいのではないか。

 ということで、おそらく月末辺りまでには、決意し、8単位と10万の出費を覚悟して、第一歩をふみだすのである。

<6>につづく

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2020/01/03

「HAPPY NEW ERA」年賀状から見る我が半生<3>37分の28

<2>よりつづく

目次

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 すでに一年前の企画であったが、そのスタートすら、すっかり忘れていた。年明けて、いきなりこの企画へのアクセスが集中してきたので、その存在を思い出した。

 昨年、母親が亡くなり喪中であるために、年賀状は書かないし、いただくのもごく少数である。これ幸いと段ボールをひっくり返して眺めてみると、私たちが結婚してから毎年年賀状を書いてきたはずだが、その原稿などが残っているのは、37枚中28枚。残り9枚は、ざっと探してみたのだが、今のところ出てこない。

 もう少し丁寧に探索すれば、あと数枚は出て来るだろうが、まずコンプリートするのは無理そうだ。そもそもいつぞやは、いわゆるあの断捨離とやらの口車に乗って危うくすべて廃棄するところであったが、わが家の奥さんのストップがかかり、狭い我が家の一角を占め続けてきたのが、この年賀状入り段ボールである。

 37年分である。一枚一枚とは言わないまでも、大雑把にめくっていくと、あれあれこの人からも年賀状が来ていたのか、と懐かしくなることが多々ある。結婚し、子供が生まれ、その成長過程の写真などの年賀状は、どうしても捨てるに捨てられない。いろいろ問題ありの年賀状も数枚以上ある。なにせ、長い人生である。仲良くなったり、喧嘩したり。

 それにつけても、我が家の年賀状も振り替えてみると、なんだかなぁ~、と思ってしまうことも度々だ。それはそうだろう、毎年毎年、年末になって、もう締め切りぎりぎり、というところまで追い込まれてからの作成である。とにかくアリバイ年賀状になってしまっていたのは、事実なのだ。

 それでもやっぱり、その年々の我が家の風景が思い出されて、なんとも懐かしい記録となっている。今年は、新しい年賀状も少ないので、この時間を利用して、もう少し、整理してみようかな。

つづく

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2020/01/02

放送大学<4>8科目

<3>からつづく

 全体像が少しづつ見えてきた。

1)4年で卒業しようとすると、半年で8教科を受講する必要がある。実際、そんなに勉強する気になるのか? 飽きちゃうんではないか? それは大きく個人差がある。俺って、そんなに勉強、好き?

2)本当にやりたいことと、方向性は必ずしも一致はしていない。だけど、やっぱり人生を最後の日に振り返った時、やり残したことの一つになることは確かだ。ここで、人生95年として、その前にやっぱりこの山を越えておくべきではないか?

3)経費はどう? 本当は今年後半になれば、ちょっとは楽になる予定だったのだが、その前に、フライング気味にスタートするかい? それに4年間以上、本当に、そのモチベーションを維持できるかい?

4)これまでの学習でも、成功したこともあるし、失敗したこともある。成功したのは、割合短期で、仕事に密着している時。一年間で5教科取ればいいのに、5教科を取るのに5年かかった時もあった。いちいち法律に縛られるのはいやなので、結局挫折した学習もあった。60点合格で、ギリギリで合格した場合もあった。取得しても全然役に立たない学習もあった。

5)まぁ、ここまで来たんだ。行くしかないだろう。まずは4年計画。最長10年。決断するしかないだろう。一部の人には宣言しちゃったしな。あとはタイムリミットを決めて、あとは財布のチェック。

6)そして一年目の選択科目の決定だな。8科目。もし不合格になったら、二回目のテストに挑戦だ。半年やれば、残り何年で卒業できるか、だんだん分かってくるだろう。

7)8教科、決定。申込は、もうすぐだな。

<5>につづく

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2020/01/01

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