放送大学<2>四年間
1)2006年春以来、足掛け14年、4000冊以上の本に目を通し、ブログを書き続けて来て、その間にいくつかの決定的な体験を通り過ぎてきた。図書館のオープン化。情報の多様化。その火をくぐりながら、今思う。
2)図書館の本もだいぶ読んだ。大体この辺かな、というところまで読む進めた。もちろん、もっと深堀りすべきところは多々ある。されど、こちらのモチベーションがなぁ~。
3)テレビも見た。特にNHKBSや民放の歴史ものなどもかなり面白く、録画して何回も見直した。面白かった。だけどなぁ~、一巡してしまった。もう飽きたなぁ。
4)そこで、普段はとても見る気もない、端っこのほうにあるBSチャンネルを見た。そこにあったのが、放送大学の番組だった。ふ~ん、いまだにやっているのか。まぁなぁ・・・・。
5)そんな私の目に飛び込んできたのは、公認心理師の資格のことについて。放送大学からのプロセスでこの資格に到る道もあるらしい。新しい資格商売か。いろいろやるなぁ。
6)まずはそこが始まりである。しかし調べていくうちに、私はハマった。これって、なんなの? 心理職における日本初の国家資格であるという。国家資格というなら、私はとりあえず労働省認定の産業カウンセラー資格を30年近く前に取得している。取ったからどうだ、というものでもないが、カウンセラーと自称するには、なにかが必要だろうし、あって、邪魔になるものでもない。
7)カウンセラーというなら、そもそも私の本業はOSHOカウンセラーであるし、こちらはこちらで30年前にインドで研修済みだ。他のなんの追認が必要だというのか。
8)確かに私は、いのちの電話の研修を受けて、電話も取っていたし、慶応大学で心理学を学んだし、出村カウンセリング研究所(DICT)で、いくつかのコースを受講した。産業カウンセラーとして自衛隊駐屯地のカウンセラーとして5年程通った。OSHOカウンセラーとしても数々のケースを扱い、継続カウンセリングが10年を経過したケースもいくつか経験した。
9)中学校の心の相談室の相談員の選定に関わったこともあるし、現在のボランティア活動においては、現役で数校のスクールカウンセーを担当している友人もいる。なにをいまさら・・・・。
10)そう思わないでもない。しかしである。水もよどめば濁ってしまう。流れ続ける水こそ清々しい。私には、新国家資格、認定心理師という文字が、初々しく目につき始めた。
11)されど、そこに到る道は、決して容易ではない。容易ではないからこそ、登ろうとするのが、美しき山であるのかもしれない。あの道は、私にとっての、麗しき道となるやいなや・・・?
12)四年。これがキーワードである。四年で放送大学を卒業する。そして認定心理士を、まずは目指す。四年で卒業するには、一日平均3時間の学習時間を必要とする。そして、さらには、その向こうにも、努力を重ねるべき道は続く。その道は、続いているのか、いないのか。妄想なのか。希望なのか。
13)四年前、私は何をしていただろう。大きく考えれば、市民農園を始めた時期である。初めての収穫を味わっていた。今考えれば愚かしい失敗を繰り返しながら、それでもまぁ、4年半も経過すると、それなりに形になってくるものである。この農業へのアプローチも、私の人生の中では、何とかしておきたかったコースである。これはこれで、道筋はついている。継続可能な道として、私の前に広がりつつある。
14)されど心理の専門家として、私にやり残してきたことはないか? ないとは言えない。あると言えば、はっきりと言える。まずはOSHOカウンセラーとしてさらに充実する道を再興すべき時期にきているのである。人生100年時代の上で、私は、私の末期を、このスタイルで終えたいのである。
15)それにはそれなりの研修が必要だ。研鑽、修行が必要になるのである。正確な表現ではないにせよ、坐禅会に参加し続けているのも、その一つか。思えば、秀麓齋に活き始めてからすでに2年半が経過していたのだ。早いものだ。日々、光陰矢のごとし。輪王寺での成道会接心坐禅の一週間も、すばらしい日々だった。
16)現在の私は、すでにこの放送大学に入学することを決めている。格安な学費とはいうものの、前期高齢者の私には、決して負担が軽いものではない。されど、近々終了するローン返済分を振り返れば、支払不可能な金額ではない。可能は可能なのである。
17)あとはモチベーションである。大体において4年という日時は、決して短くはない。ともすれば、それプラス何年となる可能性は大きいのだ。途中挫折しないのか?親亀こけたらみなこけた、という残念な結果にならないのか? そのためには、先の目的に目をやるばかりではなく、個々の学習を楽しく、日々過ごすことが大切になるであろう。
18)コースは教育と心理コース。一年目科目は放送7科目+面接授業3科目。これが四年で卒業する最低目標である。また、これができれば、まずは認定心理士までたどり着くだろう。されど、そこからの道は続いているか? 続けるほどのモチベーションはあるか?
19)人生百年時代という。すでにリタイアしたシルバー感覚で引退するこも、可能は可能である。だが、私はそれをしたくない。生涯現役でいたいのである。ことし98才でなくなったわが母親に倣って、せめて95才まで、あと30年は生き続けようと思う。それには、なにか、自分なりに、意義ある人生を作ろうとする意志が必要であろう。
20)あと30年。仮にとりあえずこの学びの道に10年費やしたとして、残り20年が続いている。ざっと考えて、95才の公認心理師が活動していても、悪くはないのではないか。臨床心理士は5年ごとに資格更新を迫られるという。それに比すれば、公認心理師は一度取ってしまえば、生涯の資格である。資格があるからと言って職業として成り立つものではないが、せめて内なる自負として、それくらいあってもいいのではないか。
21)ましてや私の目指すものは生涯のOSHOカウンセラーである。心理学を超えていくところのOSHO道である。長生きするぞ。人生を全うするぞ。そのような鼻息の上で、まぁ、今回の放送大学が切り開く道を、大検討中である。
| 固定リンク | 0
« 玄関 | トップページ | 放送大学<3>三つの力 »
「22)辷の巻」カテゴリの記事
- 今日の気分はこの三冊<48>(2020.04.11)
- 「ペスト」カミュ <2>(2020.04.11)
- 「人間の贅沢、ひとつ」「と・も・た・ち」放送大学<10>(2020.04.11)
- 「京都人の密かな愉しみ 桜散る」監督: 源孝志 <2>(2020.04.11)
- 再読したいこのカテゴリこの3冊「辷の巻」編(2020.04.11)
コメント