「秘密」朗読・ 藤沢周平
「秘密」朗読・ 藤沢周平
No.4354 ★★★★★
昨日は私のサニヤス・バースディだった。42年目の記念すべき日である。何かひとつ、気の効いた俳句でもひねってみようと思っていた。だが、まったくでなかった。
12月1日から7日までの成道会接心の坐禅会に、夜だけとは言え、久しぶりに北山輪王寺の坐禅会に参加できたのは実に幸運だった。だが、9日今日の朝のナタラジ瞑想でも、夕方のツマミ買いのドライブの時も、何にも出なかった。
輪王寺。若い時分、私はこのお寺を含む北山五山と呼ばれる一連の寺院の連なる地域の、資福寺、覚範寺の裏手の坂道で仲間たちと共同生活を営んでいた。19、20の頃、私はここから輪王寺の土曜坐禅会に参加していた。いろいろ教えてもらった。他はどこで坐禅会をやっているのかすら知らなかった。
あれからいろいろあって、結局、私はインドに旅立ち、OSHOのサニヤシンとなった。一年後に日本に帰ったが、すぐには日本に足がつかなかった。うろうろしているうちに、私は、農業を学び、坐禅クラブなどに参加した。そして瞑想会も始めた。
あの頃、私は実は、この輪王寺に戻ったのだった。境内を散歩した。だが、私はこのお寺で坐禅をしようとは思わなかった。なぜか。血の匂いがしたからである。OSHOの瞑想はもっと軽やかで、花のようにふわふわしたものだった。だが輪王寺の坐禅は、サムライの臭いがした。べっとりした血の匂いが、私を邪魔した。
今から二年ほど前に、妻と輪王寺の庭を散歩した。あの時、昔感じた血の匂いを嗅ごうとしたが、それははっきりしたものではなかった。いや、しなかった。だいぶ時代が経過したのだろう。私も変わったが、輪王寺も変わったのであろうか。
今年、坐禅会に参加して、本堂の入り口付近に書籍類と並べて、小さな袋に小分けした銀杏の実が並べてあった。自由にお持ちくださいとある。いくつかをいただきポケットに忍ばせて、自宅に戻った。妻は面白そうに興味を示し、銀杏を美味そうに食べた。私も試食したが、まぁ、決して私の好みというほどでもなかった。
しかし、今や、輪王寺は、血の匂いから、銀杏の香に、変わっていたのかもしれない。私も変わったが、輪王寺の重職も代替わりしている。坐禅会の参加者もぐるっと一巡していた。もっとも、70年も参禅しているという95才のおじいさんもいたから、何もカニも変わった、というほどでもないのかもしれない。
なんの一句もでないまま、寝床についたが、寝付けなかった。枕元のタブレットをいじっていたら、藤沢周平の動画がでてきた。何でもよかったが、こんな夜は、藤沢周平が似合っているだろう。この「秘密」も初めて聞いた作品だったが、やっぱりここにも藤沢周平ワールドが展開されていた。こんな世界が私は好きである。
藤沢周平には「一茶」がある。「一茶」は何回も聞いた。一茶には「月花や四十九年のむだ歩き 」の一句がある。そんなことを思い出していた。故郷に帰った時、一茶は49才だったが、私が輪王寺で坐禅を教わってから、ようやく輪王寺の成道会に参加できるようになるまで42年かかった。
銀杏や四十二年の無駄歩き 把不住
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