« 2019年11月 | トップページ | 2020年1月 »

2019年12月

2019/12/31

「住まいのアイデア図鑑」失敗しない! 住友不動産

81w9vhjtjl
「住まいのアイデア図鑑」失敗しない!
住友不動産 (監修) 2015/08 出版社: 宝島社単行本: 205ページ
No.4363★★★★☆ 

 数年前に身内の一家がリフォーム・マイホームを考えた時に、ハウスメーカーから提供された一冊。今回は、次の一家へと引き継がれようとしている。出版社は宝島ではあるが、メーカー主導の宣伝本と考えていいだろう。

 しかしながら、よく考えられている。パラパラすると、すでに20数年経過した我が家のリフォームにも参考になりそうなアイディアが満載である。もはや次のもう一軒の家など考え及びもつかないが、それでもこの一冊を見ていると、自分がマイホームを計画していた時の興奮状態を思い出す。

 今はハウスメーカーの戦略もあり、最初からメーカーがプランを決めてしまっている建売も多いし、一軒家ではなくてマンションも多い。古民家を購入してリフォームする、という趣味人もいないわけではないが、追加経費を考えると、決して得策とはいいがたい。

 結局、ゆっくりマイホームをプランニングできる家族はそれほど多くないことになる。その恵まれたチャンスを与えられたとしても、専門家ではない家族があれこれ悩んでも、統合されたものにならず、最初から専門家が考えたありきたりのプランで満足することも多いだろうと推測する。

 されど、そのチャンスを使って、いろいろ住まいを考えてみるのは、面白いチャンスだと思う。一生にほとんど一回しかない。人によっては、二度三度とある人も、いることはいるだろうが、ごく少数である。そして巷間には、気に入った本当の理想の家を作るには三軒建てないといけない、などという戯言も聞こえてくる。

 しかし、おそらく三軒建てても理想の家にはたどりつかないだろう。家とはそういうものであろうし、理想とはそういうものだ。だから、どこかで妥協も必要だし、合格点を低く設定する必要がある。

 何事も60点合格主義の筆者なんぞは、与えられたスペースなら、それはそれでいいと満足するはずだが、日々あちこちいじり回して、何かと自分の好みに作り替えようとする衝動にかられ続けることだろう。

 現在の住まいも、いつのまにか、合格点ぎりぎりに下がってきている。あれこれ考えるのではあるが、生活全体の優先順位を考えると、食べて寝て、雨風をしのげるなら、それでいいではないか、と納得することが多くなった。目先をちょっとづつ変えながら、目をそらしつつ、チラチラ見ながら、なんとか日々を過ごしていることが、さらに多くなったのである。

| | | コメント (0)

2019/12/29

歳時記2019

2019

 1月 冬山や闇深からず白い道

 2月 奥山の奥に道あり梅の花

 3月 密やかなにほんたんぽぽ愉し道

 4月 素のままに晴れて楽しき春の道

 5月 参道の春草濡れて母の逝く

 6月 母送るさんさ時雨や榧祭り

 7月 母送り夏を迎へて日々新た

 8月 たかが百日されど百日初盆会

 9月 黄金色に稔りし里や伸びる道

10月 導師待ち菊の香かおる坐禅堂

11月 生まれ来て人みな仏なり銀杏道

12月 一つ終え一つ始まる成道会    把不住

| | | コメント (0)

「ますだ辞典」Vol.3 ますだびとになろう  名取市増田公民館

Photo_20191029121201

「ますだ人辞典」
名取市増田公民館講座 2015/10 増田公民館 第3販(Vol.3 2017/10) A5版小冊子 p52
No.4362★★★★★

 この小冊子も書きかけたままアップしないと、いつまでもお蔵入りしてしまうので、暫定的ではあるが、忘備録的に箇条書きしておく。

1)この冊子は、個人史的には極めて重要な一冊である。私の出自に関わる案件がいくつか網羅されているからである。記述内容については、要訂正なしとはしないが、このような形で、公的機関で記録が残されたということは、喜ばしいことである。

2)ひとつには、この小冊子の内容に我が叔父が関わっているということも、実に大きなファクターのひとつである。

3)ふたつには、七島観音、七島伝説、矢越の橋の伝え、に関わっている。

4)安倍の貞任、宗任に関わる、前九年、後三年の役、に関わる、伝説がある。

5)ふるさと民話に関わる部分がある。

6)熊野三社、お浜下りに関わりがある。

7)つまりは、奥州名取地方の中世に関わる、大事な何事かを示唆している部分がある。

8)ボランティア仲間にこの小冊子の存在を聞いて、公民館に向かったところ、すでに公民館にも在庫が保存用の一部しか残っておらず、コピーさせてもらったのだった。とこが、後日、彼のボランティア仲間W氏が、手元にあった一部を譲ってくれたのである。感謝。

9)この小冊子に関わる周辺は、わが琴線に触れる、極めてプライベートかつ重要な内容が込められている。いずれ静かに展開していくことになろう。

10)それまでに、あくまで忘備録として、ここにメモを残しておく。

いずれ、つづく!

| | | コメント (0)

「法華経入門」―七つの比喩に凝集した人間性の真実 松原 泰道

51fmxmyfz7l

「法華経入門」―七つの比喩に凝集した人間性の真実
松原 泰道 (著) 1983/01 祥伝社 (ノン・ブック) 新書 248ページ
No.4361 ★★★★★ 

 この本、今回読み始めてから数か月が経過してしまった。片づけ方をしていて、ふと見つけたこの本が懐かしく、パラパラめくった時は、あっという間に読み終わるはずだった。ところが、後半になってきて、なかなか進まなくなった。一ページ、一ページの含蓄が深くなり、この本は決して読み捨てるべきゾッキ本ではないことが分かった。

 著者の本は、70年代初めにでた「般若心経」を皮切りとして、長くベストセラーを続けたシリーズ本であった。高校生時代からそれとなく目を通していて、おそらく当時発行されていた著書のほとんどに目を通し蔵書していた。実に恩あるシリーズである。

 その中にあってもこの「法華経入門」は後期に属していて1983年発行だ。しかも手元にあるのは平成3年の第14販である。一度は整理したものの、また読みたくなってもう一度購入したのだろう。

 この本、今読んでも相当に面白い。テーマそのものの永遠性、そして著者の力の故であろうが、仏教の、しかも最奥である法華経の指導書ゆえ、ますます意義深い一冊と言えるのだろう。

 今回、著者を検索して、実に多くの著書を残されていることを発見した。すでに何冊かは当ブログでも紹介したが、いずれ改めて追っかけをして、一覧リストを作ってみたいものだ、と思ったことだった。

| | | コメント (0)

「オーガニック植木屋の剪定術」鳥・虫・草木と楽しむ  ひきちガーデンサービス

81suxo8aonl
「オーガニック植木屋の剪定術」オーガニック植木屋の剪定術 
ひきちガーデンサービス(曳地トシ+曳地義治) (著) 2019/09 出版社: 築地書館 単行本(ソフトカバー)192ページ
No.4360★★★★★

SNSつながりで、著者ご自身の紹介でこの本を知っていた。知ってはいたが、急いで紐解こうという気はなかったのだ。どういうことか、わが家の奥さんが図書館から借りてきた。おお、珍しい、私たち夫婦の読書領域はそれぞれ独自の路線を辿っていて、ほとんどクロスしないのだが、この本では、興味が一致した。

 一致したとは言っても、私自身は著者本人たちに興味があったのだが、わが家の奥さんは剪定そのものに関心があったのである。しかも特定の木が気になっている。ゆず、びわ、ブルーベリー、梅、柿、山椒、あれやこれや、いろいろある。

 まず琵琶。これが大木だ。大木になってしまった。そもそもは、おいしい琵琶の実をもらったので、それを庭に埋けておいたのだ。そうしたら実生の芽がでてきて、いつのまにかキチンと毎年実をつけるようになった。キチンと、と言っても、毎年それぞれに差があり、前年の剪定の差によって実がつくのが違うのだ。

 それに毎年毎年大きくなるので、毎年枝降ろしをするのが、実は大変なのだ。実は、わが家の猫額庭には、二本の琵琶があったのだが、仕方なく一本は根本から伐採した。

 暗い感じにならないように、思い切った剪定が必要。上部をつめるとともに、主なる脇枝(芯になる枝の脇から出ている枝)を残すように形をつくる(残す枝の数はケース・バイ・ケース)。全体のバランスを見て空が透けて見えるぐらいに剪定しよう。
 実を収穫するためには、花芽ができはじめた時期に、確実に花芽を残すように剪定する。すべての枝先に花芽ができているようなら、半数ぐらいに和を制限する。p104「ビワ」

 なるほど~。このビワ、おいしいからいっぱいなった時は、あちこち結構おすそ分けするんだよね。次はユズ。

 剪定は、こみ合った部分の枝の剪定を主体にして樹冠内部までよく日があたるようにする。
 花芽がすでにできているようなら、よく見て花芽を残す。たくさん花芽がついている場合は実が小さくなることがあるので、思い切って半分は諦めるつもりで剪定したほうが、味がよく大ぶりな実ができる。
 あまり実がつきすぎると、木が消耗して弱ることがある。また、実をつけたままにしておくのも、木が弱る原因となるので、適切な時期にきちんと収穫すること。p76 「柑橘類 ユズ キンカン」

 あ~、そういうことだったんだ。実は我が家のユズは昨年大豊作だった。今年も・・・・、と期待していたところ、今年はまったくの不作。端っこのほうに一個なっただけ。この辺はいろいろ研究が必要だなぁ。次は梅。

 多くの本には1月ごろ剪定すると書いてあるが、庭で一番気になるのが5~6月ごろに爆発的に伸びたウメだろう。
 気になるようなら、ウメの実を収穫しながら太くめだつ徒長枝を間引くようにして、形を整えるとよい。太い徒長枝を切り、他の細い枝は20~30cmに切り戻す。p108「ウメ」

 ウメねぇ。毎年毎年、冬になったら剪定しようと思うのだが、ついつい忘れてしまって、収穫の時に、あ、しまったと反省する。来年からは、毎年、収穫の時に収穫ばかり夢中になるのではなくて、しっかり剪定することにしよう。次はヒイラギ。

 まずは刈り込みバサミで刈り込んで形を整える。その後、こみ入った部分や内側の枝をバランスよく枝抜き剪定して、風通しをよくする。とくに上部は強く剪定し、下にいくほど軽く切る。p59「ヒイラギモクセイ」

 ここでいうところの樹木と同じかどうか不明だが、わが家のヒイラギもだいぶ込み合ってきてしまっている。しかも、なにかの害虫がついているようでもある。ここはじっくり研究が必要だが、いずれにしても刈りこみだな。

 あれやこれや。とにかく、いろいろ勉強になります。

 

| | | コメント (0)

あたらしいこころの国家資格「公認心理師」になるには '20~'21年版<1>

61hfzrkr7l
あたらしいこころの国家資格「公認心理師」になるには '20~'21年版<1>
国際心理支援協会 (著) 2019/9 出版社: 秀和システム  単行本: 206ページ
No.4359★★★★☆

 いつぞや書店で街の書店でこの本の背表紙を見かけた時は、またまた怪しげな民間資格ができたか、ぐらいの鼻で笑ったような態度だった。今回放送大学の資料を見ながら、なるほど、これは日本で初めての本格的な心理職の国家資格なのだな、と理解できた。

 国家資格と言えば、私もまた労働省認定の産業カウンセラーなる国家資格を90年代から21世紀にかけて10年ほど保持していた。だいぶ時間も経費もかけた。しかし、法制度が変わって民間資格となった。資格がどうあろうと、身に付けた技量にそれほど大きな影響はないにしても、やっぱりちょっとさびしい。

 心理学の勉強と言えば、慶応大学での心理学・哲学コース、いのちの電話相談員や、DICTカウンセリング研究所のいくつかのコース、プーナにおけるOSHOカウンセラー・トレーニング、産業カウンセラー、教育委員会の各種指導コースなどなどを受けてきた。それぞれに特徴があり、内なるキャリアとなっている。

 されど、今回のこの公認心理師は、ある意味においては、過去の知識のブラッシュアップをはかるよい機会かもしれないとおもう。自らの年齢や、そのモチベーション、経費や準備期間を考えると、なかなか到達しにくい地点ではあるが、ひとつのメルクマールとしては、なかなか面白いと思う。

 もう人生もここまでくると、遠くに目標を置くよりも、日々一日一日が大事である。その一日一日を楽しく有意義に過ごすためにも、現代的老人大学でもある放送大学を活用するには、よい方法だと思う。そしてその中で、ひととおり体系的な形で勉強しなおすのもよいボケ防止なのではないだろうか。

 せめて、4年間以上在学して認定心理士まで到達するのも悪くあるまい。そのさらに向こうの公認心理師に向かって歩き始めるかどうかは、その時に決断してもいいだろう。そのた目にも、可能性を含めた勉強を今始めることもいいことだな、と思う。

<2>につづく

| | | コメント (0)

2019/12/27

「2020年版 間違いだらけのクルマ選び」島下 泰久

71juab7t7tl
「2020年版 間違いだらけのクルマ選び」

島下 泰久 (著) 2019/12 出版社: 草思社 単行本 254ページ泰久 (著)
No.4358★★★★☆

 年末になると、ついついこの本を買ってしまう。年来の習い性となってしまっているようだ。徳大寺御大の時代から何十年と続いている。まぁ、それもよからん。

 今年、わがカーライフとしては、ベーシックハイブリットの9年目の車検を通して、さらに車両寿命を延ばしてやろう、と決断したことが一番大きい。別段にへたりもなく、可もなく不可もなく、というところだが、もう大きな出費を避けたいというのが本音のところだ。

 友人たちによれば、年齢によりもうカーローンも使えなくなっているという。えー、そんなこともあるのか。わが社は法人なので、なんとかなりそうではあるが、やはり無用な出費は避けたい。このままでいいんじゃん、というのが現状である。

 スタイルなら、スバル・インプレッサがいいな、とは思うが、相変わらず、燃費がな~。敢えてスバル車にできない点は、ここである。ePowerやリーフも悪くはないが、メーカーブランドで足がストップする。ぜひこれにする、という決定力がない。

 敢えて乗りたいなー、と思うのが、マツダ・ロードスター。別に走り屋でもなく、スポーツマニアでもないのに、なぜかこのクルマだけは毎回気になる。街で出会うと、本気で振り返ってうっとりしている自分に気が付く。

 これはおそらく、ある刷り込みがあるのである。昔友人が二台目としてロードスターを所有していたのだ。しかも二人。あれがうらやましかった。カッコイイと思った。我が家でも、二台目としてロードスターを「飾って」置きたい。あはは、ただそれだけである。

 ことし、もうひとつ特筆しておくべきことは、17年落ちのワゴンRが、身近にやってきたことだろう。知人がもう廃車にする、というものをもらい受け(3000円の商品券)、孫たちの幼稚園やプールの送迎用限定車両に供したのである。バッテリーを取り換え、冬タイヤを装備し、バックアップモニターを後付けして、車検も取った。もちろん保険も必要だったが、これが割と成功。ほとんど経費をかけずに、活動範囲を広げたのである。

 クルマは楽しい。早くリーズナブルなほどほどの大きさのEVが出ないかな。200万以下、自宅の庭で充電できて、しかもその電源は、屋根の太陽光パネル。そうなれば、わが人生の最後の一台としてゲットしよう。それまでは、現在のベーシックハイブリッドを延命し続ける予定。

| | | コメント (0)

2019/12/26

人新世

91cp5cy17pl
「人新世とは何か 」―〈地球と人類の時代〉の思想史 (日本語)
クリストフ・ボヌイユ (著), ジャン=バティスト・フレソズ (著), 野坂しおり (翻訳)2018/3/20 出版社: 青土社 単行本(ソフトカバー): 421ページ
No.4355 ★★★☆☆

81xjupb1uel
「現代思想」 2017年12月号 人新世 ―地質年代が示す人類と地球の未来―
ブルーノ・ラトゥール (著), ダナ・ハラウェイ (著), ティモシー・モートン (著), 中村桂子 (著), 北野圭介 (著), 篠原雅武 (著), & 3 その他  2017/11 出版社: 青土社 ムック: 245ページ
No.4356★★★☆☆

81s13j4ydl 
「日経サイエンス」特集人新世アントロポセン
2017年1月号
(日本語) 雑誌 – 2016/11/25 特集人新世アントロポセン 日本経済新聞出版社; 月刊版 (2016/11/25) 雑誌
No.4357 ★★★☆☆

 人新世、という単語、放送大学の資料で初めて知った。どうやら地質学的な時代分類からでてきた名前のようで、もちろん現代を表しているが、さてどこから始まっているか、というと明確ではないが、ごく「最近」のことであるらしい。こまかい分類や定義づけは当ブログの不得意とするところであり、あまり必要な部分でもない。

 それでも気になるキーワードなので、近くの図書館を検索してみると、三冊の関連書がヒットした。まずは、面倒くさそうな歴史ものが一冊。さらに面倒そうな「現代思想」誌の特集号が一冊。そして極めつけがサイエンス雑誌である。特集号や別冊など取り交ぜていろいろありそう。

 人新世とは「ひとじんせい」と読むらしいが、そもそもは英語Anthropocene(アントロポセン)の翻訳語であろう。Anthroとは、獣としての人間、という意味に近いようだ。人類学はAnthropologie(アンソロポロジー)の翻訳語である。

 そしてポセンと聞くと、なんだか語感からポセイドン・アドベンチャーを思い出すが、スペルがPoseidonだし、ギリシャ神話の海の神様らしいから、ちょっと的外れか。pocene で検索すると、 ほとんどAnthropocene がっ引っかかってくるから、このことば独特の接尾語であるかもしれない。

 古代ギリシャ語においてアントロポス(Anthoropos)は「人間存在」を意味し、カイノス(kainos)は「最新の、新たな」を意味することから(このkainosというギリシャ語が、地質年代を表す際に用いられる現代フランス語の-cene(あるいは英語の-cene)という接尾後の語源である)、アントロポセーン(Anthropocene)、すなわち人新世は人間の新たな時代、人類の時代を意味する。

 人新世は、「地球環境における人間の痕跡が今や広範で激しくなったことで地球システムの機能に衝撃を与え、自然の他の巨大な力に匹敵するようになった」という事実に特徴づけられる時代である。「人新世」p18第一部「その名は人新世とする」

 このような捉え方は、21世紀も5分の1が過ぎてしまった現代の「地球人」たちにおいては、すでに共通の認識になっているだろう。「<地球と人類の時代>の思想史」「人新世」、「地質年代が示す人類と地球の未来」「現代思想」、「新しい地質粘弾」「日経サイエンス」などのサブタイトルを見ていると、内容やその取り組みの違いはともかくとして、ごくごく当然の認識であるように思える。

 地球人スピリット・ジャーナルや、人と地球のカウンセラーを標榜する当ブログとしては、とても気になるキーワードなので、今後はこの単語が散発的に登場してくることも多くなろう。これらの書誌が発表されたのは、このごく数年に限られているところから見ると、日本社会ではまだ新しい語彙のようではあるが、おそらく数年来には、はっきりした概念も決定しないまま、社会に流布することになるのかもしれない。

 さてその始まりをどこに置くかといえば、縄文人の登場の一万五千年前後にとる方法もあるだろうし、250年前の産業革命におくこともできるだろう。あるいは、20世紀からスタートした、交通と情報の爆発であるごくごく最近のことと見ることも可能だろう。多少の学術的な論争の後は、やや不納得のままなにか象徴的ななにかに集約されていくことになるのだろう。

 思えば、すでに完全に陳腐化した新人類なんて語彙もあった。もうすこし様子を見ていたい流れではありますね。

| | | コメント (0)

2019/12/22

2019年下半期に当ブログが読んだ新刊本ベスト10

2019年上半期よりつづく

2019年下半期に当ブログが読んだ
新刊本ベスト10
 

(本のタイトルをクリックすると、当ブログが書いたそれぞれの作品のメモに飛びます)

第1位

9784881782804
「心理学を超えて」OSHO ウルグアイ講話録 
OSHO (著), スワミ・ボーディ・デヴァヤナ(宮川義弘) (翻訳) 2019/07 市民出版社 単行本: 457ページ 
 

第2位

81um04pul

 

「僕にもできた! 国会議員」

雨宮 処凛 山本 太郎 (著) 2019/04 筑摩書房  単行本: 189ページ

第3位

51vf5yw4jl
「瞑想録: 静寂の言葉」
OSHO (著), 中原 邦彦 (翻訳), 庄司 純 (翻訳) 2019/11 出版社: 季節社 単行本: 188ページ
★★★★★

第4位

8112qw8jdql

「私が総理大臣ならこうする」 日本と世界の新世紀ビジョン
大西つねき (著) 2018/12 出版社: 白順社 単行本: 256ページ
 

第5位

91ifqocgqhl
「あなたの魂を照らす60の物語」

OSHO (著), Amy Okudaira (翻訳) 2019/11 大和書房 単行本(ソフトカバー): 272ページ
★★★★★

第6位

81zkkminodl 
「小さなおうちの12カ月」
虹乃美稀子 (著)  2019/08 出版社: 河北新報社 単行本: 172ページ
★ 

第7位

51ebugtgcrl
「生の変容」Oshoとの愛と覚醒の軌跡
マ・クリシュナ・ショバナ (著), トーシャン (監修)  2019/09 出版社: Lotus Books  オンデマンド (ペーパーバック): 260ページ
★★★★★

第8位

81bmdotlkjl
「MMT(現代貨幣理論)の教科書」 
真壁 昭夫 (著) 2019/08 ビジネス教育出版社 単行本(ソフトカバー): 208ページ
★★★★★

第9位

7199abzjyxl
「アカムパの世界放浪日記 」118カ国を旅した放蕩息子の旅日記
鈴木 善博 (著) 2019/11 文芸社 単行本(ソフトカバー): 292ページ
★★★★☆

第10位

81qnkeobql
「コスモスとアンチコスモス」 東洋哲学のために
井筒 俊彦 (著) 2019/05 岩波書店 文庫 505ページ
★★★★★

次点

61acpcmpml

「スペクテイター」〈44号〉 ヒッピーの教科書
エディトリアル・デパートメント (著) 2019/07 単行本: 199ページ
★★★★★

2020年上半期につづく

 

| | | コメント (0)

2019/12/21

放送大学<3>三つの力

<2>からつづく

 これはこれでいいんじゃないかな、と思う。プログラマー、ジャーナリスト、カウンセラーを人新世の人間像の三要素としてきた当ブログ。これはこれでいいと思う。

3t

 専門のSEや技術者はともかく、プログラミングというセンスは絶対必要だろう。科学的に、数理的に、物事を理解する力は絶対に必要だ。

 ジャーナリズムとはコミュニケーション力。なんであれ、人新生においては英語が基本会話の中心となる。英語の学び直しは絶対に必要だ。

 カウンセリング力とはいうものの、公認心理士になれる存在はそれほど多くない。されど、彼らが情報を社会に流布しリードする必要がある。

 この三つでいいと思う。

<4>につづく

| | | コメント (0)

放送大学<2>四年間

<1>からつづく

1)2006年春以来、足掛け14年、4000冊以上の本に目を通し、ブログを書き続けて来て、その間にいくつかの決定的な体験を通り過ぎてきた。図書館のオープン化。情報の多様化。その火をくぐりながら、今思う。

2)図書館の本もだいぶ読んだ。大体この辺かな、というところまで読む進めた。もちろん、もっと深堀りすべきところは多々ある。されど、こちらのモチベーションがなぁ~。

3)テレビも見た。特にNHKBSや民放の歴史ものなどもかなり面白く、録画して何回も見直した。面白かった。だけどなぁ~、一巡してしまった。もう飽きたなぁ。

4)そこで、普段はとても見る気もない、端っこのほうにあるBSチャンネルを見た。そこにあったのが、放送大学の番組だった。ふ~ん、いまだにやっているのか。まぁなぁ・・・・。

5)そんな私の目に飛び込んできたのは、公認心理師の資格のことについて。放送大学からのプロセスでこの資格に到る道もあるらしい。新しい資格商売か。いろいろやるなぁ。

6)まずはそこが始まりである。しかし調べていくうちに、私はハマった。これって、なんなの? 心理職における日本初の国家資格であるという。国家資格というなら、私はとりあえず労働省認定の産業カウンセラー資格を30年近く前に取得している。取ったからどうだ、というものでもないが、カウンセラーと自称するには、なにかが必要だろうし、あって、邪魔になるものでもない。

7)カウンセラーというなら、そもそも私の本業はOSHOカウンセラーであるし、こちらはこちらで30年前にインドで研修済みだ。他のなんの追認が必要だというのか。

8)確かに私は、いのちの電話の研修を受けて、電話も取っていたし、慶応大学で心理学を学んだし、出村カウンセリング研究所(DICT)で、いくつかのコースを受講した。産業カウンセラーとして自衛隊駐屯地のカウンセラーとして5年程通った。OSHOカウンセラーとしても数々のケースを扱い、継続カウンセリングが10年を経過したケースもいくつか経験した。

9)中学校の心の相談室の相談員の選定に関わったこともあるし、現在のボランティア活動においては、現役で数校のスクールカウンセーを担当している友人もいる。なにをいまさら・・・・。

10)そう思わないでもない。しかしである。水もよどめば濁ってしまう。流れ続ける水こそ清々しい。私には、新国家資格、認定心理師という文字が、初々しく目につき始めた。

11)されど、そこに到る道は、決して容易ではない。容易ではないからこそ、登ろうとするのが、美しき山であるのかもしれない。あの道は、私にとっての、麗しき道となるやいなや・・・?

12)四年。これがキーワードである。四年で放送大学を卒業する。そして認定心理士を、まずは目指す。四年で卒業するには、一日平均3時間の学習時間を必要とする。そして、さらには、その向こうにも、努力を重ねるべき道は続く。その道は、続いているのか、いないのか。妄想なのか。希望なのか。

13)四年前、私は何をしていただろう。大きく考えれば、市民農園を始めた時期である。初めての収穫を味わっていた。今考えれば愚かしい失敗を繰り返しながら、それでもまぁ、4年半も経過すると、それなりに形になってくるものである。この農業へのアプローチも、私の人生の中では、何とかしておきたかったコースである。これはこれで、道筋はついている。継続可能な道として、私の前に広がりつつある。

14)されど心理の専門家として、私にやり残してきたことはないか? ないとは言えない。あると言えば、はっきりと言える。まずはOSHOカウンセラーとしてさらに充実する道を再興すべき時期にきているのである。人生100年時代の上で、私は、私の末期を、このスタイルで終えたいのである。

15)それにはそれなりの研修が必要だ。研鑽、修行が必要になるのである。正確な表現ではないにせよ、坐禅会に参加し続けているのも、その一つか。思えば、秀麓齋に活き始めてからすでに2年半が経過していたのだ。早いものだ。日々、光陰矢のごとし。輪王寺での成道会接心坐禅の一週間も、すばらしい日々だった。

16)現在の私は、すでにこの放送大学に入学することを決めている。格安な学費とはいうものの、前期高齢者の私には、決して負担が軽いものではない。されど、近々終了するローン返済分を振り返れば、支払不可能な金額ではない。可能は可能なのである。

17)あとはモチベーションである。大体において4年という日時は、決して短くはない。ともすれば、それプラス何年となる可能性は大きいのだ。途中挫折しないのか?親亀こけたらみなこけた、という残念な結果にならないのか? そのためには、先の目的に目をやるばかりではなく、個々の学習を楽しく、日々過ごすことが大切になるであろう。

18)コースは教育と心理コース。一年目科目は放送7科目+面接授業3科目。これが四年で卒業する最低目標である。また、これができれば、まずは認定心理士までたどり着くだろう。されど、そこからの道は続いているか? 続けるほどのモチベーションはあるか?

19)人生百年時代という。すでにリタイアしたシルバー感覚で引退するこも、可能は可能である。だが、私はそれをしたくない。生涯現役でいたいのである。ことし98才でなくなったわが母親に倣って、せめて95才まで、あと30年は生き続けようと思う。それには、なにか、自分なりに、意義ある人生を作ろうとする意志が必要であろう。

20)あと30年。仮にとりあえずこの学びの道に10年費やしたとして、残り20年が続いている。ざっと考えて、95才の公認心理師が活動していても、悪くはないのではないか。臨床心理士は5年ごとに資格更新を迫られるという。それに比すれば、公認心理師は一度取ってしまえば、生涯の資格である。資格があるからと言って職業として成り立つものではないが、せめて内なる自負として、それくらいあってもいいのではないか。

21)ましてや私の目指すものは生涯のOSHOカウンセラーである。心理学を超えていくところのOSHO道である。長生きするぞ。人生を全うするぞ。そのような鼻息の上で、まぁ、今回の放送大学が切り開く道を、大検討中である。

<3>につづく

| | | コメント (0)

2019/12/19

玄関

 玄関は、それぞれに住まう人に合わせて作ればいいと思う。小さくてもいいし、大きくてもいいし、大きなドアも、縮こまって頭を下げて入らなければならないほどの小さなくぐり戸でもいいと思う。

 私の場合は、家の中心は主人の寝室か、床の間だと思うので、それに対応した形の玄関が必要になると思う。寝室と床の間が一緒の場合もあるし、別途別々の志向性を持っていてもいいと思う。

 玄関と床の間と言えば、おそらく鎌倉時代や室町時代からの仏教の影響を受けて作られ続けてきていると思うが、別段に床の間もいらなければ、畳の部屋もいらない、とあれば、それもまた現代のライフスタイルだな、と思う。

 私の場合は、畳の部屋が最低一つは欲しいと思う。それは日本的美意識の底流につながっていると感じるし、そこになにがしかの歴史的な付加価値を付け加えたいと願うからであろう。

 最近のマンション住宅などを訪問すると、確かに共同のメインのエントランスは立派に造られているが、それぞれの各室の玄関は、割と小ぶりで、とにかく靴さえ脱げればいいや、という程度のところが圧倒的に多い。各室で入り口付近をでかでかと作っているところはない。

 しかし、それでは狭苦しいので、メインのリビングまでの廊下を長くして、入り口からの距離を与えて、あえて重厚感を演出しているところが圧倒的に多い。

 さて、一戸建ての場合、道路から敷地に入り、そこからさらに玄関に靴を脱いで入室するわけだから、玄関と言われる部分に到達するまでの場所で、なにかの演出をすることも可能であろう。敷石をステップストーンにして小道風にするか、脇に豪華な車を置いてリッチ感を演出するか。

 庭木やガーデニングの類で、さまざまな工夫や遊びが可能であろう。街灯とか郵便ポストとかも、有力なデザインアイテムになる。そこは、住宅を建ててから、ゆっくり時間をかけて、楽しんでいける部分であり、また、それぞれの人柄もでてくるに違いない。

 要は、一軒家を設計する場合、玄関のドア一枚の内側だけではなく、外側のことも十分に考慮しながら、玄関そのものを考えて行けば、きっとよいバランスが得られて、なるほどとうなづけるような建築物ができるであろう。

| | | コメント (0)

2019/12/16

「禅の知恵に学ぶ」山川 宗玄 <8>

<7>からつづく

81fjgfrekwl
「禅の知恵に学ぶ」 NHKこころの時代~宗教・人生~ <8>
山川 宗玄  (NHKシリーズ) ムック C 2019/03 出版社: NHK出版 ムック: 160ページ 
★★★★★

1)この書に関係する当ブログの書き込みの人気は高い。それは、禅はもちろんだが、この山川宗玄老師の清廉なる人柄を慕う読者が多いことに所以するだろう。私もテレビ番組を見るまで、この方々には何も知らなかったが、見れば見るほど、どんどん魅了されてしまったことだった。

2)何も知らない最初は、今となっては厚顔無恥な破廉恥な意見を書いておいたが、いやいやどうしてどうして、心洗われるようなエネルギーがどんどん流れてきたのだった。現代の禅とは、まさにこのような形で生き残っていたのだろう、とさえ思った。

3)最近、放送大学の資料を入手する機会があり、オープンキャンパスにも参加した。現在では、入学(教育と心理コース)→学習(テレビ、ネット、対面、含む)→卒業(認定心理士)→大学院(臨床心理士)→公認心理師(最近できた国家資格)、などというコースが存在することも発見した。

4)4年間卒業まで70数万という学費は、年に直せば20万弱、月に直せば2万弱であるから、なんとか負担に耐えることができる範囲ではあるが、さて、4年間で124単位の取得は可能であるのか。10年間の猶予があるとはいうものの、その間にモチベーションを維持することはできるのか。問題は山積みだ。

5)何をいまさら心理学なのか。いまさら臨床心理などに対する関心を掻き立てることがふたたびできるものか。大体において、もっと直接的に禅に突入する道を模索すべきなのではないか。いろいろ逡巡する。前期高齢者とは言え、このままフェードアウトしていく我が人生には、もうひとつ納得がいかない。

6)そんなことを考えてウェブサーフィンしていたら、「禅・人間学科」という文字が飛び込んできた。おお、これはなんだ? 正眼短期大学とかいうところのホームページだった。おお、なんだなんだ、私はとっくの前にこのページをマークしていたのだった。よくよく読んでも見なかったが、なるほど、この大学の学長が、この山川宗玄老師であったのである。はぁ、そうだったのか。

7)この大学のHPを見ていて、実に関心深い教育機関であることが分かった。何事もすべてがスケルトンで書いてあるように思えた。収支決算書などをHPで公開している大学なんてあるのか。ましてや宗教関係とか、ちょっと裏表のある世界なんではないのか、という思いを吹っ飛ばしてくれるのである。

8)退職してから第二の人生として僧侶の道を選ぶ人もいるらしく、近隣の高齢の方も、実は近年この大学を卒業して僧侶になっているということまで分かった。おお、こういう道があるのか。誘惑に弱い私なんぞは、すぐその気になって、そのコースのシュミレーションをしてみた。

9)されど、実際は、かなり現実性の薄いコースであることが分かった。そもそもが2年も愛知の地で全寮制で出家の人生など送れるわけではない。学費だって、決して私にとっては安くはない。さらには、その激しい修行の日々など、できるわけではない。最近では、半跏趺坐どころか、膝が痛んで正座すらできない。こんな身じゃ、とてもとても、禅僧など気取ることなど、三日坊主にさえなることできない。

10)それと、手の届かないブドウは渋い、のセオリー通り、この大学は、禅は禅でも臨済宗である。最近の私はどうも曹洞禅がお好みで、臨済禅には少し距離を感じている。思えば、生来、道元のほうが身近で縁がありそうなのである。できれば、永平寺にでも行ってみたい、と思っている程度だが、だがしかし、出家だとか、修行だとか、などという世界は、1時間のテレビ番組を見て感動しているのが関の山である。

11)そしてまた、さらに思う。やはり私には、もっと身近なOSHOがある。仏教や禅やお寺じゃなければ、人間としての道が途絶えるわけではないはずである。みんなそれぞれに道がある。それぞれに意味がある。私には私のゾルバ・ザ・ブッダがあり、スバガットがあるではないか。いろいろよそ見しているよりも、まずは自分の足元を磨こうと思うのである。

12)しかしそれでもまた、ここまで来てもまだ解決しないことがある。では素晴楽堂における放送大学との関係はどうなるのか。まったく無縁なのか、無理なのか、不要なのか。迷いなのか。そんなことを考えるようになった。

<9>につづく

| | | コメント (0)

2019/12/11

「人間の贅沢、ひとつ」「と・も・た・ち」放送大学<1>

 


人間の贅沢、ひとつ

作詩・作曲:小椋佳

訪れては 去る月日に 人それぞれ
心尽くし 力尽くし
何事かを 刻み付けて 自分史書く
顧みれば その殆ど 不十分か 未完成か
けれど人間 知り得たものの 積み重なりに
悦び知る

思えば 学びは 人間が 味わえる
それ自体 贅沢のひとつ
望めば 学びは 誰でもが 手に出来る
最高の 贅沢のひとつ

どんな神の 依怙贔屓か
人間にだけ 与えられた 知ろうとする
探究心 学ぶことの 充実感
闇に光り 見る快感 向上という 満足感
人の歴史に その密やかな 一歩一歩が
煌いてる

押し付けられ 義務付けられ
学びをただ 疎んだ日々
今にすれば 懐かしさに
笑みを浮かべ 思い返す
今は言える
楽しいから 嬉しいから 好きだからと
学び続けて 昇る坂道 実りの明日が
垣間見える

思えば 学びは 人間が 味わえる
それ自体 贅沢のひとつ
望めば 学びは 誰でもが 手に出来る
最高の 贅沢のひとつ

いつか言おう
精一杯 善い命を 生きてきたと
いつの時も 瑞々しい
青春気分 抱いていたと
真実へと 飽くことなく
可能性を 追いかけたと
学び重ねて 書き終わらない
その自分史に 悔いは無いと



と・も・た・ち

作詩・作曲:小椋佳

生きてきて 心に尋ね
これが宝と 言えるもの
富でなく 名誉でもなく それは「ともたち」
長い旅路の 道連れだった
同じ時代の 戦の仲間
或いは時に 競い合い 挑み合い
今 打ち解けて 和み合う
微笑み 浮かべる 互いの 瞳に
自分の歴史を ふと垣間見る

在るだけで 只居るだけで
嬉しい価値と 言えるもの
紛れ無く 躊躇いも無く それが「ともたち」
糞真面目とは 言わないけれど
一所懸命 生きてきたこと
言葉無用で 映し合い 感じ合い
今 目を細め 響き合う
命の 深みに 居座る 孤独も
恋人のような ぬくもり抱く

嘆きやくどい愚痴も 頷いて
撒き散らしてくれた
面と向かって 言うことも 無いだろうけど
友でいてくれて ありがとう

数々の その振舞いは
助け救いと 言えるもの
報い無く 見返りも無く それは「ともたち」
褒められる程 立派じゃないが
それぞれの眼に 恥じないことに
心を尽くし 努め合い 励み合い
今足らなさを 支え合う
互いの 眼差し 迎える 明日を
上り坂として 背中を突(つつ)く

密やかな悦びも 共に居て
膨らましてくれた
不器用だから 口に出す こともないけど
友でいてくれて ありがとう

小椋 佳 氏(作詩・作曲・歌唱)

<2>につづく

| | | コメント (0)

2019/12/10

「秘密」朗読・ 藤沢周平

 「秘密」朗読・ 藤沢周平
No.4354 ★★★★★

 昨日は私のサニヤス・バースディだった。42年目の記念すべき日である。何かひとつ、気の効いた俳句でもひねってみようと思っていた。だが、まったくでなかった。

 12月1日から7日までの成道会接心の坐禅会に、夜だけとは言え、久しぶりに北山輪王寺の坐禅会に参加できたのは実に幸運だった。だが、9日今日の朝のナタラジ瞑想でも、夕方のツマミ買いのドライブの時も、何にも出なかった。

 輪王寺。若い時分、私はこのお寺を含む北山五山と呼ばれる一連の寺院の連なる地域の、資福寺、覚範寺の裏手の坂道で仲間たちと共同生活を営んでいた。19、20の頃、私はここから輪王寺の土曜坐禅会に参加していた。いろいろ教えてもらった。他はどこで坐禅会をやっているのかすら知らなかった。

 あれからいろいろあって、結局、私はインドに旅立ち、OSHOのサニヤシンとなった。一年後に日本に帰ったが、すぐには日本に足がつかなかった。うろうろしているうちに、私は、農業を学び、坐禅クラブなどに参加した。そして瞑想会も始めた。

 あの頃、私は実は、この輪王寺に戻ったのだった。境内を散歩した。だが、私はこのお寺で坐禅をしようとは思わなかった。なぜか。血の匂いがしたからである。OSHOの瞑想はもっと軽やかで、花のようにふわふわしたものだった。だが輪王寺の坐禅は、サムライの臭いがした。べっとりした血の匂いが、私を邪魔した。

 今から二年ほど前に、妻と輪王寺の庭を散歩した。あの時、昔感じた血の匂いを嗅ごうとしたが、それははっきりしたものではなかった。いや、しなかった。だいぶ時代が経過したのだろう。私も変わったが、輪王寺も変わったのであろうか。

 今年、坐禅会に参加して、本堂の入り口付近に書籍類と並べて、小さな袋に小分けした銀杏の実が並べてあった。自由にお持ちくださいとある。いくつかをいただきポケットに忍ばせて、自宅に戻った。妻は面白そうに興味を示し、銀杏を美味そうに食べた。私も試食したが、まぁ、決して私の好みというほどでもなかった。

 しかし、今や、輪王寺は、血の匂いから、銀杏の香に、変わっていたのかもしれない。私も変わったが、輪王寺の重職も代替わりしている。坐禅会の参加者もぐるっと一巡していた。もっとも、70年も参禅しているという95才のおじいさんもいたから、何もカニも変わった、というほどでもないのかもしれない。

 なんの一句もでないまま、寝床についたが、寝付けなかった。枕元のタブレットをいじっていたら、藤沢周平の動画がでてきた。何でもよかったが、こんな夜は、藤沢周平が似合っているだろう。この「秘密」も初めて聞いた作品だったが、やっぱりここにも藤沢周平ワールドが展開されていた。こんな世界が私は好きである。

 藤沢周平には「一茶」がある。「一茶」は何回も聞いた。一茶には「月花や四十九年のむだ歩き 」の一句がある。そんなことを思い出していた。故郷に帰った時、一茶は49才だったが、私が輪王寺で坐禅を教わってから、ようやく輪王寺の成道会に参加できるようになるまで42年かかった。

 

 銀杏や四十二年の無駄歩き 把不住

| | | コメント (0)

2019/12/08

「瞑想録: 静寂の言葉」OSHO <1>

51vf5yw4jl
「瞑想録: 静寂の言葉」<1>
OSHO (著), 中原 邦彦 (翻訳), 庄司 純 (翻訳) 2019/11 出版社: 季節社 単行本: 188ページ
No.4353 ★★★★★

 ちょうど42年前、私はインドに行って、OSHOのサニヤシンになった。それは1977年の12月9日の夜だった。12月の8日は、仏陀の成道会だということは知っていた。日本の禅寺で参禅していたから、基本的な仏教のあらすじは分かっていた。12月11日は、OSHOの誕生日だった。彼はその時46才になった。私はその時23才、OSHOの半分しか生きていなかった。

 翌年にスリランカに飛んで、藤井日達上人のもとで一か月、南無妙法蓮華経の御太鼓をたたいた。その時上人92才だった。OSHOの倍、生きていた。今私は65才。58才で肉体を離れたOSHOより、はるかに長生きしてしまった。私はこれからどれだけ生きるだろう。

 一応95才を目標にスケジュールを立てているが、そんなこと、誰にも分からない。3年後に死ぬかもしれないし、いや3か月後、3日後、3時間? 3秒後? そんなことは分からない。95で逝くかもしれないが、それよりもっと長生きになるかもしれない。そんなことは分からない。103才? 110才?

 でもとりあえず95を想定している。それはこれから30年後のことだ。これから30年たつと、シンギュラリティが起きて、世界がまったく変わっているかも、なんて考えると楽しい。誰が生き残っているだろう。友人の誰が、その時まで友人でいてくれるだろう。妻は、子供は、近隣の人々は・・・?

 今日、12月8日は、パールハーバーの日でもあるし、ジョン・レノンの命日でもある。レノンの訃報を、私は、入院していたがんセンターの待合室のテレビで知った。あの時、レノン40才。私26才。あの時、私は余命半年を宣言され、死のベッドにいた。ルービック・キューブとポケット・コンピュータで遊んでいた。

 生と死がないまぜとなり、この季節にはいつも、さまざまな思考や感情の波が押し寄せる。12月1日から一週間の仏陀の成道を記念する接心がある。今年は運よく禅寺で参禅することができた。7日間の夜だけだったが、その他の時間も、できる限り瞑想的に過ごした。朝は、毎朝自宅でナタラジを舞った。このところ、ずっと朝は、素晴楽堂と名づけた自宅の瞑想ルームで、ナタラジを踊る。そして、20分は座る。

 緑内障も白内障にもなっておらず、多少飛蚊症は飛び始めたが、幸いかつて視力2.0を誇った我が両眼は、まだ達者である。ただし、老眼の域に突入してもはや何年もなる。廉価な汎用の老眼鏡で済ましてはいるが、日々視力が衰え続けていることは自分でもはっきりわかる。

 しかし、もっとしっかりわかることは、本を読もうとする意欲が依然よりかはかなり減退していることだ。この読書ブログで4300冊を超える本を読み書きしてきたので、そろそろ次のことをしたがっているということもあるが、文字からだけ何かを得ようとするには、もう限界を通り過ぎている。

 この「瞑想録: 静寂の言葉」は面白い。これまで聞いたことのない翻訳者による、これまで聞いたことのない出版社からの出版だ。新しい人々にOSHOが渡り、新しくOSHOが引き継がれていくことに快感を感じる。書かれている内容については、言葉としてなら、私にそれほど新鮮味はない。だいたい読み終えた本の中に、類似の表現を見つけることができる。

 されど、本はガイドブックに過ぎない。観光ガイドで旅に出る人がいるとすれば本望だ。観光ガイドを読んでそのまま自宅で昼寝する人もいるのかもしれない。しかし、それもまた、よからん、と最近の私は思う。私がOSHOの招待状を受けた時は、「存在の詩」しかなかった。しかも、よく読みもしなかった。

 だが、一節だけ、ある一節が私を揺さぶった。それは読書効果というよりも、放火されたようなものだった。私は乾いていた。ちょっとした火だけで、すぐに燃え上がったのだ。周囲の消そうとする消防効果など、まったく意味を持たなかった。それは強引なモノだった。拉致されたようなものだった。

 「瞑想録」などというクリシュナムルティの本の類似のタイトルなので、ちょっと厚い本をイメージしたが、かなり薄い本である。本文も一章一章が短い。ほとんどが1ページの読みきりだ。講話録スタイルに慣れてきた身になれば、これもまた新鮮だ。元本はWords from a Man of No Words 2015

619udbhbjcl

 草むしり枯葉を掃いて年が暮れ      把不住

<2>につづく

| | | コメント (0)

2019/12/06

「あなたの魂を照らす60の物語」OSHO

91ifqocgqhl
「あなたの魂を照らす60の物語」

OSHO (著), Amy Okudaira (翻訳)2019/11 出版社: 大和書房 単行本(ソフトカバー): 272ページ
No.4352 ★★★★★

 翻訳者は1977年生まれということだから、だいぶお若い方だなぁ、と思ったが、いえいえもはやだいぶ年配と言っていい方だろう。思えば私はこの年にインドでOSHOのサニヤシンになって42年。実に早いものだ。

 この方は、山川紘矢・亜希子夫妻翻訳の「JOY」で初めてOSHOを知ったというが、もうそれでも6年が経過するのか。光陰矢のごとしである。

 出版社の大和書房からOSHO本が出るのは初めてだろうが、私はそれこそ高校生時代にこの出版社から継続してでていた「人生論」ものをだいぶ読んだ記憶がある。あれから50年だ。

 本書はOsho自身が手書きで書いた稀な物でであり、また物語形式になっていることから、違った形でOshoの魅力をお届けできることを嬉しく思います。p268「訳者あとがき」

 元本はEarthen Lamps:60 Parables and Anecdotes to Light Up Your Heart .

71m6o2ycnwl

 OSHOの本は、その時々で、格別な味わいがあるが、おそらく、それこそ私が大和書房の人生論を読んでいた高校生時代の1960年代後半の時期に書かれた本であろう。当時の私が読んでもわかりやすいような平易な文体で、実にコンパクトに、書かれている。

 この本を持ってOSHO全体を理解することは不可能ではなかろうが、読者はこの本を良き入り口として、幅広いOSHO本に触れていくに違いない。また多くのOSHO本に触れてきた人にとっては、これまた新鮮なクリーンヒットを浴びたような気分になる一冊になるに違いない。

 時間と共に、人びとの成長と共に、理解されるべき精神世界もまた、流動、進化、昇華されていくのだろう。今後もこのような本が続いて出版されることを願う。

| | | コメント (0)

2019/12/05

「禅の友」2019年12月号 特集 成道会

Zen-no-tomo

「禅の友」2019年12月号 特集 成道会
曹洞宗 2019/12 小冊子 p32
No.4351 ★★★★★ 

龍にでも喰われてしまへ成道会
人として地球に生きる成道会
今はここ鬼など笑へ成道会
雄島とや導かれ來し成道会
神仏のご加護いただき成道会
神伝へ大地に生きよ成道会
厭わずに願わず生きる成道会
糞袋敗れてしまへ成道会
愛されて生かされており成道会
三十年更に参ぜよ成道会
声高く九十五翁の成道会
一つ終え一つ始まる成道会   把不住

| | | コメント (0)

« 2019年11月 | トップページ | 2020年1月 »