編集雑記 拡張版
今年もあと残すこと40日余り。当ブログにとっては恒例の、「2019年下半期に当ブログが読んだ新刊本ベスト10」のまとまりにかかる時期となった。この5か月余り、読んだ新刊本(雑誌含む)は25冊程度。例年とそれほど増減はない。
しかしその内容たるや、大きな変化があった。その半分以上は、山本太郎とれいわ新選組に関する書だったのである。ある意味予想はしていたものの、ここまで偏っていたか、とあらためて認識したところである。
5月中旬まで、私の生活は、98歳の母親の介護にエネルギーを割かれる時間帯が多かった。ほとんど彼らの動きには気づいていなかった。母の逝去と葬儀を終えて、ホッとしたタイミングで、跳び込んできたのが彼らについての動向だった。
選挙を挟んで、大きな話題となり、私も多いに「楽しんだ」。そして、今後の未来に向けての話題についていけるほどの「体力」はつけたつもりである。
さて、はて?とも思う。当ブログ本来の意識やスピリチュアリティについての本も読んでいなかったわけじゃないし、これからも熟読したい本は続々登場している。本来、そちらにエネルギーを注いてしかるべきではないのか。
山本太郎とれいわ新選組の大きな落とし穴は、山本太郎コケタら、みなコケた、となってしまいそうなところである。彼は力を貸してくれと絶叫する。されど、貸すほどの力などなにほどのこともない。ひとり山本太郎が何らかの理由によってコケたら、おそらくすべてがコケるのだ。
MMTもいい。消費廃止税もいい。いや、本来そうあるべきなのかもしれない。されど、その分野は、当ブログとどう折り合いをつけるのか。その割れ目に気づいてから、当ブログは一か月ほど、ほとんど休止状態になった。二股に分かれてしまったのである。
政治は政治、精神世界は精神世界である。本来峻別すべき世界なのだが、もしこの世が、愛と瞑想の二つの翼を必要としているなら、山本太郎を政治という分野で見るのではなく、「愛」という分野で見てみることも可能なのではないだろうか。
彼は意味じくも、クリスチャンであるという。決して禅や無や東洋思想との距離はそれほど近くはなさそうだ。年齢的にも、決して枯れる美学の世代ではない。そしてまた、彼を見る当ブログの目は、それは、政治を見る目ではなく、エネルギーを見る目、この世の現実を見る目、この地を愛する目であるべきなのであろう。
そのような意味において、今期のベスト新刊本10は、山本太郎とれいわ新選組に絞ってリストアップしてみるのも面白いと思う。あと一か月あるが、最後はどのような結果となるか。楽しみである。
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