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2019/11/26

「心理学を超えて」OSHO(2) ウルグアイ講話録

<1>からつづく

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「心理学を超えて」OSHO(2) ウルグアイ講話録 
OSHO (著), スワミ・ボーディ・デヴァヤナ(宮川義弘) (翻訳) 2019/07 市民出版社 単行本: 457ページ 
 

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 ごく最近気づいたこと。それは、わが家のテレビ環境でも、放送大学の講義内容が視聴できる、ということである。そんなこと当たり前だろう、と言われるのかもしれないが、私にとっては驚きだった。

 最近はどうも読書意欲も減退し始め、頼りとする視力も、ますます老眼が進み、文字を追いかけることが億劫になってきた。反動で、ラジオで音楽を聞いたり、テレビ番組の面白そうなところだけ録画して、再生したりしてみたりするのだが、どうもそれもマンネリになりつつあるのだ。

 そんな時、放送大学の専用チャンネルがある、ということに初めて気づいたのだ。おお、と思った。いつからこういう環境があったのだろうか。おそらく年々進化してきたのであろう。

 通信教育や生涯教育、資格研修などには、それなりに関心もあり、若い時分から、結構いろいろ参加してきたつもりだ。現在続いているものもいくつかある。だが、それはもう、ある意味、知り得たことであり、新しい時代に向けた内容となっていないことが多い。

 パソコン学習というのもすでに当たり前のことになっているが、これもいい加減飽きているのである。それに比して、この放送大学とやらは、テレビ、ラジオ、パソコン、インターネットなど、さらには紙のテキスト、専用図書館、面接授業、集合学習など、複合的なチャンスを与えてくれるようである。

 さて、そこで私は、一体何を学ぶことができるだろうか。ざっとその番組票やシラバスを見てみたところ、私の関心は、三つに絞られていった。一つはプログラミングであり、一つは外国語、とくに英語であり、一つは心理学であった。この三つの分野なら、もう一度学び直してもいいな、と思った。

 プログラミングについては、インターネットが普及する前だが、BASIC言語で、小さなプログラムを作ることができた。その当時の取得可能な技能検定も合格した。だが、専門でないだけに、そのまま停滞しており、現在の、小学生ですら必修であるというプログラミングとは、如何なる状態になっているものか、関心がある。

 英語についても、同じようなもので、実際には中学英語程度で、英会話は可能であるし、一時は、せっせと英会話教室にも通っていたし、実際に海外で英語を通じて、互いの理解を深めることもあった。大したものではないが、それなりの資格もあり、まったく自信がないわけでもない。

 されど、世界共通語としてなら、もっと英語に熟達してもいいのではないか、という反省がある。寄る年波で、いまさら脳細胞が活発化することは期待できないが、それでもやっぱり、生活の中にもっとグローバルなインターナショナルな感覚を身に付けたいものである。

 三つ目の心理学については、私の最も関心を持っていた分野でもあり、こちらもまた、それなりに臨床心理の分野においての研究もし、資格取得もし、実践の体験の場も重ねてきた。しかし、そうであればあるほど、もうちょっと深みのある学習をしてみたいものだ、という思いがないわけではない。

 今回、放送大学の番組表を見て、心理学に関わる分野がたくさんあることに驚いた。たくさんある、というより私自身が関心あるので、多く目についたのかもしれない。そして、そこの中に公認心理師という単語が見つかった。そもそも、数年前から書店などで、この単語を見かけてきたが、もう心惹かれることは少なくなっていた。

 今回調べてみて、この公認心理師はごく最近始まった公的資格であることがわかった。これまでの様々な混乱があったわけだが、私も私なりの取り組みがあったわけで、もうそれ以上葛藤は必要ないかな、と感じている。

 されどもし放送大学という手段で、何事かの目的を持つとするなら、この心理学分野の単位を取得しながら、この公認心理師を目指す、というコースがないわけではないな、と思った。目の前にあれば、登りたくなるような山のようなものかもしれない。

 さらに調べてみると、そのコースにはそれなりのリスクが伴う。まず期間。4年+2年+アルファの年月が必要となる。もちろん経費も必要だ。全期間を通じてみれば数百万はかかるだろう。そして、他の作業を注視して、このコースにエネルギーを集中しなくてはならなくなるだろう。

 もちろん、年齢的に、この山をのぼり終える前に、わが命が尽きてしまう可能性もゼロではない。また、中途挫折した場合、その挫折感に打ちのめされてしまうのではないか。そんな心配も付きまとう。

 そんな思いに逡巡していると、ふと、OSHOのことを思い出した。彼は多くの心理学分野についてコメントを残したが、象徴的には、ブッタ達の心理学、や、心理学を超えて、という世界観がある。ここはまさに当ブログが追っかけてきた世界であり、まさにこここそ、と納得すべき点である。

 この「心理学を超えて」は世界ツアー中のOSHOが1986年当時、滞在していたウルグアイにおいて、周囲のごく少数のサニヤシンたちに与えた講話の翻訳①である。そもそもの原著の半分が翻訳されていて、残り②も出版される予定だと思う。楽しみである。

 そもそも、世界ツアーの途上にあって、OSHOはなぜにまたこのタイトルを選択したのだろう。それはまたOSHOにとっては当然の世界観ではあるが、あえてこの時期にこのタイトルを選んだ、その理由を、ひとつひとつ読み進めていくうちに分かってくるかもしれない。

<3>につづく

 

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