『ゴッセーノセイ!!東北』~震災と表現 石川裕人が駆け抜けた19ヶ月~リーディング公演 演劇ユニット石川組
『ゴッセーノセイ!!東北』~震災と表現 石川裕人が駆け抜けた19ヶ月~
リーディング公演。
2011/10/11(仙台文学館) 122019/10/(3.11メモリアル交流館)
演劇ユニット石川組 構成・演出 高橋菜穂子
No.4343★★★★★
8年7か月。この日々は長いのか短いのか。ちなみに私は、あの第二次世界大戦の8年7か月後に生まれた。戦争を知らない世代として、生きてきた。思えば3・11からすでに8年と7か月が経過した。すでに老齢に達した私にとっては、8年7か月など、あっと言うまの日々で、まるでごくごく最近の出来事だったようにさえ思う。
震災の日々を体験し、それと演劇人として全うに取り組んだ石川裕人は、それから間もなく私たちの目の前から姿を消してしまった。あれから、ちょうど7年。ああ、数字にしてみれば、もうそんなに月日が経過してしまっているのか。
3・11メモリアル交流館での講演に足を向けるかどうか、悩んだ。超大型台風が近づいていたからだ。日本には上陸したらしいが、まだ私たちの町にはやってきていない。他のスケジュールはキャンセルしても、とにかく、この公演だけには参加したいな、と思った。
当時の石川の活動や日記、客観的なニュースなどにコラージュされる日々。それは、決して8年7か月前の状況ではなかった。あの日と、この日は、つながっている。あの日々を生きた石川は、私たちと一緒にまだ生きており、日々格闘しているのだった。
いよいよ近づいてくる大型台風が、その臨場感を盛り上げる。石川は演劇人として生きようとしていた。そして、今も生きている。おそらく、石川を先達と認める仲間や演劇人たちは、残された石川の言葉にさらなるリアリティを見つけ続ける。
あの日々。私は私なりに予兆を得ていた。予兆を得ていたからこそ、ああ、この日々なのだ、と府に落ちるものがあった。そして、予兆があったとしても、体験する日々はまた、それはそれで、別ものであった。日々が新たなものだった。
演劇人達は演劇人として、あの日々をとらえ直し、今日を生きる。通りすがりの一観客でしかない私もまた、また、今日を生きている。嵐が近づいている中、私は、私の感性は、最大限に開放されて、私を走らせた。
| 固定リンク | 0
「23)逝の巻」カテゴリの記事
- Newsweek (ニューズウィーク日本版) 2019年11/5号[山本太郎現象](2019.11.14)
- 「GQ JAPAN (ジーキュージャパン)」 2019年12月号(2019.11.14)
- 十一面観世音菩薩(2019.10.26)
- 素晴楽堂(2019.10.26)
- 薬師如来立像<2>(2019.10.26)
コメント