「スペクテイター」〈44号〉 ヒッピーの教科書
「スペクテイター」〈44号〉 ヒッピーの教科書
エディトリアル・デパートメント (著) 2019/07 単行本: 199ページ
No.4341★★★★★
探していたのは別の本だったが、探してくれた男性店員さんがあまりに素敵だったので、待っている間にちょっと目に入ったこの本も追加で購入してしまった。いや、いずれ購入しただろうから、その時期が早まった、というだけかも。
先日、「ウッドストック」のドキュメンタリー番組が放送されたりして、ヒッピーという単語があちこち複数聞くチャンスがあった。また、私のある時代のことを「ヒッピー」時代と表現した友人がいた。それはそうかな、と思いつつ、彼にそう言われると、ちょっと違うかも、と考え直したりした。
ある時、若い営業マンに断りの挨拶をしなければならない時、「私は元・ヒッピーだからね」と言ったことがある。そしたら、その若い営業マンはきょとんとして、「ヒッピー、ってなんでしたっけ? 乞食?」と言いやがった。いずれ、商談は決裂した。
ポンこと山田塊也に「アイ・アム・ヒッピー」という一冊があって、それなりの人気があったと見えて、出版社を変えて、新版が再販された。自称するのは構わないが、私は異和感を感じている。私こそヒッピーと代表格のような顔をされたりすると、それは違うだろう、と言わざるを得ない。
はてさて、このようにヒッピーという単語に異常反応するところを見ると、私は私なりに、この単語にこだわっていきてきた感じがする。私はヒッピーではなかったけれど、私のある時代を表現するのには、ヒッピーみたいな生き方をしたことがあるよ、というところだろうか。
この本をめくってみると、なかなか興味深い記事で満載だ。読み始めると、頁をめくる手が止まらない。それはそうだよね、ちょっと違うね、う~ん、そうだったか、と、いずれの頁に引っかかりを感じる。これはこれで面白い。ただ、はっきり言って、このプロセスの中でOSHOへと発展していかないところが一番の不満である。
もちろん、この本の今号の特集は「ヒッピー」なのだから、OSHOまで行くのはちょっと行き過ぎではある。確かにそうなのだが、このステップがなければ、私はOSHOにたどり着かなかったわけだから、なんだか物足りない。何はともあれ、1975年のカウンターカルチャーの動きと、「存在の詩」の登場を見落としてはなるまい。
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