生涯現役
75歳で同業現役を続けていた先輩が亡くなった、という報を聞いた。30年前に私がこの仕事を始めた時には、すでに遠く彼方にいた先達であったが、はるか後ろから後塵を拝しながら、私も同業をずっと続けてきたことになる。
もっとも、彼はこのところずっと体調不良で、透析を続けながらの業務だったとかで、周囲の支えがあればこその業務であっただろう。退職の意も表しながらの業務で、ご自身としては、ほぼ死期を覚悟しての一生の終わり方だったのではないだろうか。
私は生涯現役を理想とする。稼ぐときに一気に稼いで、あとはのんびり老後を送る、というイメージがどうもできない。そもそもが、ゼニを稼ぐというスタイルが身についていないからだろう。自分に何ができるか、何がやりたいのか、それが表にでていて、それがゼニにつながってくれればいい、という考えなので、仕事をやめてから好きなことをやろう、という発想にならない。
それでは、自分の今の仕事が、やりたくてやりたくて仕方ないほど好きなのか、と聞かれれば、そうです、とはなかなか言えない。正直、仕方なくやっている、と言っても決して外れてはいない。仕方なく、という部分は、微妙な調整が必要だが。
ある方向性があり、その方向性が自分で舵をとっている方向であることは間違いないのだが、それを具現化するには、それを支える何かも必要になるということだ。例えば、船が好きで、漁にでる漁師がいるとする。船を動かしていれば、とっても幸せなのだが、その日が不漁で、持ち帰る漁獲がなかったとすれば、次の日から、燃料不足で船をだせなくなるかもしれない。ある一定の漁獲量がなければ、船は出せない。
これは何にでもいえるだろう。ゴルフが好きで毎日やりたいけれど、プロゴルファーにでもならなければ、毎日ゴルフ三昧とはいかないだろう。そこでレッスンプロとかになって、ゴルフに携わりながら生活を成立させる。だいたい、みんなそんな生活を送っているんじゃないかな。
私の生活もそれに類するものと考えれば、わかりやすい。本当はもっと別な形でのやり方もあったのだろうが、それを関連づけながら、自らの生活も維持していく。そのスタイルが、たまたま年齢的に限界ある分野でもなければ、急激に漁獲高が減るような分野でもなかったので、ゆるやかな形で、現在の業務が続いている、ということになる。
さて、私は自分自身の75歳での現役の姿を想像できるだろうか。今のところ、なんとかギリギリやれそうな気はする。あと10年。10年なんてあっと言う間だ。また、あと10年やらないことには返せないローンも抱えている。膨大なものではないが、逆に言えば、生涯現役のモチベーションを維持するための材料である、とも言える。
で、それ以降も体力が維持できるのであれば、ぜひ業務を続けていきたいのだが、平均的に見て、おそらく体力も、そして知力も、気力も、現在よりももっと落ちるに違いない。その程度に合わせて目標を右肩下がりに設定したとしても、はて、どれだけ続けられるものだろうか。
自らの寿命を75歳、と設定することは私にはできない。せめて平均寿命、できれば90歳。さらには、人生100年というではないか。限りなく元気な老年でありたい。それにはどうするか。おそらくそれには、やはり二つの要素が重要になることだろう。ひとつには、社会とのつながり。家庭であったり、友人たちであったり、あるいは業界であったり、ゆるくゆったりとした外部へのネットワークの目は、常に張り続ける必要があるのだと思う。
そしてもう一つは、自分自身を見つめる目だ。ある意味、こちらが本当の目標だ。山上の孤高な古老。そのイメージはもう数十年前から常に目の前にぶら下がっていたイメージだ。死んではならない。若くして死んではならない。長生きするのだ。そう思ってきた。そう思い始めたのは、若い自分から、何度か死に遭遇してきたからだと思う。
死んでもいいと思うコトもあった。ここで死ぬのも運命か、というコトも何度か体験していると、諦めてもつくのだが、はてさて、そこを通り過ぎてしまうと、ひょっとすると、あの難局を通り過ぎたということは、まだまだこの生でやり残したことがあるのではないか、と思い出す。やり残したとは言わないまでも、残っている命を大事にして、やれることがきっと一つ二つはあるはずだ、と思い直す。
余命半年と宣言されてから、すでに私は40年も生き延びてきている。過去世においては、私は何度も何度も、若い生を早々と繰り上げて、転生を繰り返してきたのではないか、と思われる節がある。今回は、長生きに挑戦なのである。長く生き延びてやろうと思う。潔く切り上げるなんてことは、どうも今回の仕舞い方ではなさそうだ。
75歳で現役は目標だが、それは最終目標ではない。体調が衰えたとしても、業務が変わっても、命あることに感謝して、社会の中に生きていたいと思う。引きこもりは、若い時分に、それなりに体験した。もちろん活動範囲は狭くなるだろうが、周囲とつながり、そして更にまた、自らの世界、自らの高みへと上昇しつづけたいものだ。
75歳で先輩が生涯現役でなくなった。それはある意味、訃報でもあるし、ある意味、私にとっては朗報でもある。すくなくともあの先輩は、この年齢まで頑張っておられた。体調を崩されていたとしても、決して業務を捨てなかった。業務を捨てて、何か好きなことをしよう、としていたわけではない。その好きなことが、この業務だったのだ、と思うと、私は救われる。その人生の在り方に感謝したい。
なにはともあれ、家族葬であり、静かな最期を締めくくられた先輩に対し、弔辞を捧げる機会もなかったので、ここで、心より哀悼の意を表します。合掌
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