« 選挙公報 | トップページ | 「進次郎メソッド 」情熱を感染させる小泉流“魅せる”対話術 向谷 匡史 »

2019/08/20

「京都人の密かな愉しみ」源孝志 他 <6>

<5>からつづく 

81fgkpghsil
「京都人の密かな愉しみ」 <6>
NHK「京都人の密かな愉しみ」制作班+源孝志 (監修) 2018/03 宝島社 単行本: 186ページ

 この夏、どうしたことかNHKの再放送枠で「Blue 修行編」がまた(?)されている。ひょっとすると新作も交じっているかもしれない。気にはなるので、録画に取ってはあるが、どうも以前ほど熱意がない。本編よりBlue編がいまいちなのかもしれないが、作品そのものよりも、視聴する側のこちらが、大きく変わってしまっている可能性がある。

 その理由として思いつくのは二つ。一つは母の介護の終わりと一連の葬儀の生活。二つには、山本太郎とれいわ新選組の登場であろう。この二つとも、今後の私の生活に大きな影響を与えてくる可能性が大である。

 母の死は、逆転すれば、私自身の老いの表れでもあり、母の死は、そのまますぐ私自身の死へとスライドしてくるのであり、本来私の主なるテーマへと、いよいよ追い詰められた、という意味でもある。何かを先送りしていたものが、どんどん身近となり、いよいよ第三コーナーから最終局面へと追い詰められた、という感がある。

 山本太郎としんせん組は、ある意味、一つ目の現実を直視するのを避けるために、一時の気まぐれのような気がしないでもない。自らのいずれやってくる死と、日々の政治の世界のどちらが現実なのか、という話題になれば、異論があってしかるべきだが、当然のように私の中では、はてさて、どちらを優先すべきか、という惑いとなる。

 さて、そんな流れの中で、この「京都人の密かな愉しみ」を見ていると、何かがやっぱり剥がれてしまったのだ、という思いが強くなる。その虚構成、その地域性、その偏向性、その趣味性・・・・。どうも、もう戻れない地点へと、すこしづつ流されてしまっている自分に、いまさらながらに気づくのである。

 されど、やっぱりあの「桜散る」を見た時の最初の感動は忘れることはないし、何度も見たし、今後も何度も見るに違いない。本編は面白いけど、Blueは今いち感情移入できないのかもしれない、世代的に。されど、いつぞやは、「植物男子ベランダー」にほれ込みながら、一気に覚めてしまったように、一過性の個人的なブームに過ぎなかったのかもしれない。

 死、というテーマは永遠のテーマであり、当ブログの中心のテーマである。最後の最後はこのテーマで決まりなのである。それに比すところの政治は、決して当ブログの得意とするところではないが、伏線として「<帝国>VSマルチチュード」があり、現実と哲学、あるいは永遠を繋ぐリンクを、どこかで求めようとする指向性が残っているのかもしれない。

 いずれにせよ、いま録画して貯めているBlue編を、まとめて視聴した段階で、何事か、次なる結論がでそうなものである。

<7>につづく

 

| |

« 選挙公報 | トップページ | 「進次郎メソッド 」情熱を感染させる小泉流“魅せる”対話術 向谷 匡史 »

12)逝の巻」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 選挙公報 | トップページ | 「進次郎メソッド 」情熱を感染させる小泉流“魅せる”対話術 向谷 匡史 »