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2019/08/04

極私的ジャーナリズム雑論

極私的ジャーナリズム雑論

 小学6年生の山本太郎が校長先生との会食会で「総理大臣になりたい」と言ったとするならば、小学6年生の私は「新聞記者になりたい」と卒業文集に書いた。私は小学三年生から高校生まで、ずっと新聞部だった。最初は、模造紙にマジック・インクで書いた壁新聞だった。五年生からは、ロウ原紙を切って、ガリ版印刷になった。学級新聞も、学校新聞も関わってきた。

 当時の標語は、「ペンは剣より強し」だった。この言葉は「来るべき種族」のエドワード・ブルワー=リットンの演劇の中の言葉だ、ということは後で知った。少なくとも、新聞を作るということは、真理を探究することだ、と直感していた。

 中学生になって、ビートルズが初来日したころ、クラスメイトと一緒に、100ページを超える肉筆誌(コミケみたいなもの)を作り始めた。学校新聞部の部長にもなって、全校アンケートなどをして、校内の問題点を洗い出したりした。将来の目標は、「ジャーナリスト」、というカタカナ書きに変化していた。 

 高校生になって、バスケと新聞部を掛け持ちしたが、二年生からは新聞部に集中した。生徒会会長選挙にも立候補した(のち、わが校は代議員会性になって、会長職はなくなった)。新聞部。私は期待したが、先輩たちは特殊な宗教団体が仕切っていて、あとは遊びクラブになっていた。私はどうも納得できなかったので、ガリ版で、個人ミニコミ誌を作り始めた。時は1970年6月。

 この時、校内で起きた「事件」が私の人生を大きく変えた。安保条約に反対した生徒の勢力が、校内で職員室のバリケード封鎖を実行してしまった。私は、ニュートラルな立場だったが、学校新聞の「記者」として、学校内の取材に取り組んだ。しかし、校内にやってきた、制服、私服の刑事たちに、私は,拘束されてしまった(これは明らかに違法行為)。

 我が校内の「事件」は、地方マスコミのトップニュースになった。新聞、テレビ、ラジオ、雑誌のニュースになった。そして私はマスコミを調査した。結果は驚くべきものだった。そこに「真実」はなかった。捏造、誤解、不理解、そしていいかげんさ。私は、こんなものに、自分の一生を賭けたいとは思わなくなった。

 私の幼き正義感、ジャーナリズム志向は、16歳のこの時点で、大きく挫折。マスメディア、ジャーナリズムそのものに絶望した。高校を卒業した後は、すぐに仲間と共同生活を始め、80日間ヒッチハイクで日本一周した。その体験をスタート地点として、新たなるミニコミ雑誌を作り始めた。参照「オン・ザ・ロード1972」http://bhaveh.cocolog-nifty.com/blog/2018/10/9-488d.html

 それから四年間続いた、仲間との共同生活と、全国のカウンターカルチャーに向けたライフスタイルは、後から思えば、まさに私の青春時代、大学生活そのものだった。たくさんのことを学んだ。たくさんの体験をした。たくさんの仲間ができた。そして、わずかではあるが、かすかに前方に光を感じるようになった。(参照「雀の森の物語」)http://terran108.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/19748-e63d.html 

 私はその私自身の「大学」体験の中で、OSHOと出会った。そこからのストーリーは、今回の雑論からは多少はずれていくので、以下の文章を参照。「湧き出ずるロータス・スートラ 私の見た日本とOSHOの出会い」http://terran108.cocolog-nifty.com/blog/2014/04/post-3b4b.html

 私の「将来の夢」は、新聞記者からジャーナリストに変化し続けていたが、次第に明瞭になってきたのは、ジャーナリスト⇒物書き⇒宗教家、という生涯のプランに変貌しつつあったことだった。OSHOと付き合い始めて、当然「宗教家」という単語は消えた。ただ本質は、外部の真理から、内面の真理探究へと方向転換したことは確かだった。

 2006年になって、自分のブログを書き始めた。何を書いたらいいか見当つかないばかりか、半年もタイトルさえ決めることができなかった。でも結局、新聞記者になろう、ジャーナリストになろう、雑誌編集者になろう、という漠然とした、昔の夢の燃えカスの一部は、そのタイトルに浮かび上がってきた。経緯については、以下が参照になるかもしれない。「地球人スピリット・ジャーナル・ダイジェスト版」http://terran108.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/2-585e.html 「ジャーナル」のタイトルに、未練がやや残っているか・・・?

 さて、ここまで書いてきて、私が言いたかったことは、マスメディアやジャーナリズムは限界があるということ。「100歳のジャーナリスト」のむのたけじ氏などに、人間として、先輩として尊敬する念はあるものの、100歳まで、他にもっとなにか人生で大事なことに出会わなかったのかな、ということ。

 他のすべてと同じように、ジャーナリズムも活用次第で有効にもなるし、役にも立つ。だけど過信は禁物。活用するなら、情報の入り口を複数以上、多種を心掛けること。最低ステレオ効果は絶対に必要だ。だけど、もし自分で体験的に情報収集できるなら、そちらを優先させるべき。他人の伝聞を間に受けない。

 そして、外側の「真理探究」の限界に早めに気づいて、「内面」の真理探究も、ぜひ、ということぐらいかな。

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