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2019/08/03

極試的ホームレス雑論

極試的ホームレス雑論

これは実話なので、ぼかして書きます。ずっとずっと昔の話なのですが、ある友人が、打ち明けてくれた話。
彼(あるいは彼女)の生家は古い旅館で、天皇がその地方に巡幸(って言うんだっけ)にやってくると、宿泊するような格式であったそうな。
しかし、父親がボンで、結局潰してしまったらしい。父は姿を消し、暖かい地方のいわゆる家なしのような人々のエリアに身を潜めたと。
母は寒い地方の大きな町の繁華街に出て、その私の友人たち兄妹を育ててくれたそうな。友人たちもようやく成人する頃、母はすでにそれなりのお店を何軒か持つような経営者になったと。
ここまではありそうなことだと思って聞いていたが、その続きがずっと私の心に残っていて、何十年も経った今でも、たまに思い出す時がある。
結局、子育てが一段落した後、その母は、年老いても未だ遠く離れた裏町に沈み込んでいた父を探し出して、連れ帰り、一緒にすみはじめたと。
実際その後、お二人がどうなったかは、私は知らない。
私は、若い時、家なしのような、いわゆる放浪の旅を、何度か、何年か、繰り返してきた。
10代の頃、誰も拾ってくれなくて、バックパッキングのヒッチハイカーとして、トボトボと街道を歩いていた。
すると、私の前を、一人の男性が、やはりトボトボと歩いていた。私はちょっとした親近感を持って、一定の距離を保ちながら、一緒に歩いていた。
でも姿格好から、私と同じヒッチハイカーではないことが、だんだんわかってきた。彼はどうやらプロの(?)路上者だった。
私は、今、あの人と同じ境遇なんだなぁ、と、思った。
でも、それは違うことが、やがてわかった。しばらくついて歩いていると、いきなり彼は、街道を左に降り、田んぼ道に入って行った。田んぼが畑に変わる境目あたりに、実は彼の家はあったのだ。
確かにそれは畳で言えば二枚程度の広さしかなく、高さも腰を曲げないと入れないほどだったし、窓はなく、壁と呼ぶかどうか、それはムシロやワラや、板の切れ端でできていた。ブルーシートなどいう存在も名前もない時代のことである。
ああ、 あの人にさえ、家がある。その時の私には、戻って横たわるような家はなかった。
現在私が住んでいるエリアは都会でもないし、冬は相当に寒いので、いわゆるホームレスと呼ばれる人々を日常的に見かけることはない。
されどふと思った。この単語は簡単に使うべきではないんだな。それぞれの具体性のないまま、リアリティもともなわないまま、少なくとも、嘲笑的に使ってはならないんだと。

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