出会い
これは君にあてて書いている。君はこの文章を見つけることがあるだろうか。見つけても、それが君にあてて書かれたものである、と気づくだろうか。いや、粘着の君ゆえ、きっと見つけるに違いない。ならば最初から君宛に書けばいいのだが、今の私は、どうもそうはしたくない。
そうしたくないゆえに、もうだいぶ逃げてきている。もっともっと前に書くべきだった。だけど、君の顔、君の心境を連想すると、どうも私の中の表現しようとする意欲が、失せ続けてきた。
なに、云おうとしていることは、大したことではない。基本中の基本のことである。君はすでに分かっていることであろうし、そんなことは知っていると、一蹴するだろう。どうもそういう予感がするので、敢えて私は書かなければならないのか、と、口ごもってしまう。
どうも、私は、君から反論を受けたくない。すでに反論は、君の書き込みやページによって、受けている。その延長をしたくない。つまり私はネット上の炎上だけでなく、日常的な不毛な議論は、好きなほうではないのだ。独白、独り言が好きなのだ。
出会いというものは、微妙なタイミングだ。恋愛にたとえて言えば、例えば世界一の美女にであう、ということはどういうことであろうか。世界でもっともフェアなコンテストが存在しないかぎり、世界一の美女なんていやしない。価値観もそれぞれなのだ。
だれにとって、世界一の美女なのか。それは、その存在と出会い、心打たれた者、その者にとってなのだ。誰も客観的に美を表わすることなどできない。そのタイミング、その事実の中で、世界一が決まるのだ。
だから、君がどのような価値観の上に成り立って、君の世界一のモノを提示しようと、それを受け取る側にとっては、もっと自由が与えられていてしかるべきなのだ。押し付けてはならない。
私にとっての究極は、私の究極なのであって、客観的には決定しようがない。それを表現しようがしまいが、それは主観的には決定してしまっている。
君の努力は賞賛に値する。それは報われるべきだ。私の多少のオベンチャラが、その役割を、ひょっとすると担うかもしれない。だが、しかし、物事はもっと絶妙だ。私はあなたの増上慢をさらに助長はしたくない。つまり鼻をへし折りたい。へし折っても、私にとってはあまり利益はない。だから、ずっと放置してきているのだ。
鼻をへし折られるほどの価値が、君にはある。誰かがその役を担ってくれるかもしれない。だがしかし、私の見るところ、残念ながら、そのような存在は、まだ登場していないようだ。私は敢えて、その役を買いたくない。だれかと、君は出会うべきなのだ。私にそれを求めるべきではない。
きょうは、ここまで書いておく。いずれ、もっとわかりやすく書くかもしれないし、書かないかもしれない。君もまた、これを読むかもしれないし、読まないかもしれない。それはそれでいいのだ。それが出会いなのだ。この書き込みをずっと残しておくかもしれないし、君に届いたかもしれないな、というタイミングで削除するかもしれない。しないかもしれない。
これは一人ごとだ。君に届くことを目的にしていない。もし届いたら、それもよし。届かなかったら、それもよし。
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