「小泉進次郎と福田達夫」田﨑 史郎
「小泉進次郎と福田達夫」
田﨑 史郎 (著) 2017/11 出版社: 文藝春秋 新書: 287ページ
No.4316★☆☆☆☆
彼を知り我を知れば百選危うからず。最近、とかく話題の新興勢力に対して、よくわからず批判するのはおかしいというSNS上の書き込みがあった。私は別段にその物体を批判しまくるつもりもないので、情報収集もそこそこしかしないつもり。時間の無駄だ。
こちらも、まぁ似たようなものだ。特段に恨みはないが、この三世、四世たちが、どう成長していくのかなんて、正直まったく興味がない。少なくとも、彼らが現在の政権を真っ向からぶった切ることはない。ただ、真向からデッドボールを当てて来る山本太郎には、ライバルとして矢面に立たされる人物たちであろう。
最近、仙台伊達藩19世の方の講演というか巻頭の挨拶を聞いていた。彼がいうには、仙台市の教育委員会はなっていない、と。なぜなら、伊達政宗、って呼び捨ては何ですか? 熊本に行ってごらんなさい。子供たちだって、町全体だって、加藤清正公、と公づけで呼んでいるのです。
私だって、親が45歳で亡くなって、23才で19代になった時、後に昭和天皇の大喪の礼を仕切ったような大叔父でさえ、私のことを「御当主」と呼んできたのです。それが何ですか、講演会か何かの時に廊下ですれ違ったりすると、あの人が、XX宗さんよ、と呼び捨てですよ。教育委員会はなってない、とおっしゃっておった。
やや内部的な集まりではあったにしても、そして私も60歳を迎えて還暦したから、これからは云いたいこと言います、という前振りはあったにしても、それはなぁ、ちょっと、私にはついて行けないな、と思った。
こちとら戦後生まれの科学と民主主義の子である。時代錯誤の封建噺を持ち出されても、すぐには反応できない。すくなくとも、同じ国民としての同列なれば、この方を「公」呼ばわりすることはできない。
さてさて、私(たち)は、この世は、民主主義の徹底した平等な世界であると認識したいのであるが、そうではないと主張する向きもあり、よくよくみてみれば、なるほど全然平等じゃないじゃない、とがっかりすることも、かなりある。
この本に登場するお二方は、幸か不幸か、やや封建的な風潮のある世界に生れ落ち、その風潮の中で成長し、人生を送らなければならないような立場のお人たちとお見受けする。それはそれで、大変な苦労もおありなのだろうな、とお察しする。まったくの皮肉ばかりではない。まずはご苦労様、と申し上げておく。
彼らを真っ向から批判する気など無いものだから、私なんぞは、この本も実にぞんざいに扱っており、パラパラを一回しただけで終わり。内容もほとんど読んでいない。でも、世の中そんなものかもしれない。この本まだ出版されて2年しか経過していないのに、ネット上では50円の値段で流通している。なんとかOFFなどに行ったら、それこそ10円コーナーなどに山積みされてしまう一冊なのだろう。
この本で確認しておくことは、この4世議員と、政治ジャーナリストを名乗るスシローなる人物は、こうしたずぶずぶな関係なんだな、ということ。テレビでよくお見掛けする顔だが、最近いよいよ鼻について来て、おっしゃることの何分の一も耳に聞こえてこない。そろそろこの顔が見えたら、すぐにチャンネルを変えるべきだな、ってこと。
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