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2019/04/17

「伝統を受け継ぐ」名取熊野新宮社<2>

<1>からつづく

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「伝統を受け継ぐ」熊野新宮社 <2>
名取市自作教材グループ 1995年 DVD 13分 名取市図書館所蔵
★★★★★

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 この動画が作られてからすでに四半世紀が経過しようとしている。時は平成7年、まだ21世紀にもなっていなかった。あの時から始まった平成の御代はいま終焉しようとしており、まもなく令和という時代がやってくる。

 個人的には、このような神社仏閣を訪ねる時、その建築物の様式などが重視され、ともすれば、その精神性、スピリチュアリティに触れられるが少なく、また触れたとしても、恐る恐る、という場面が多いように思う。

 それはまた、不用意にいわゆる宗教性に踏み込んでいくと、神仏分離ならぬ、政教分離として、一般の公としては、あまり触れてはならないことになっているからである。だから、建物がいつできたかとか、何々様式で、珍しいとか、そのような、いわゆる「客観的」なデータで、それこそお茶を濁していることが多いように思う。

 そのような苦情を呈したくなるのは、何を隠そう、自分自身が、そのようなデータを暗記するのが、特に苦手であるからである。むかしむかし、ある人が、なにかの拍子でそうなった、程度の説明なら得意だが、何年の何の月に、何の誰べいが、どうした、とかの記録が、どこそこのあれこれに記してある、などという説明は、もう無理である。

 まずはこまかいデータは、印刷物なり、キチンとした資料を見ていただくとして、ふるさとガイドの会の一員としては、皆さまようこそいらっしゃいました。これって、面白いですよね、興味深いですよね、私も実は大好きなんです。詳しいことはわかりませんが、このような物事があり、このような出会いがあったこと、お互いによろこぶべきですね、お祝すべきですね、程度の自己表現ができればいいかと・・・・。

 そしてまた、このような映像が残されていくことに、大変ありがたく、感謝の念に堪えません。あっと言う間に光陰は過ぎ去ります。その時その時、関わった人々、時には熊野参詣をした人々だっただろうし、名取老女だっただろうし、平泉の恩恵だっただろうし、山形の慈恩寺のおかげだっただろうし、伊達藩の庇護だっただろうし、宮大工だっただろうし、そしてずっと守ってきた地域の人々、そのような人々の恩恵に、今私たちは浴しているのだ、ということを確認することになる。

 あらためてこのようなDVDを残していただいていたことを感謝いたします。

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