「オン・ザ・ロード1972」<87>09/02 れおんずハウス
「オン・ザ・ロード1972」80日間日本一周ヒッチハイクの旅
「時空間」創刊号 1972/11/20 時空間編集局 ガリ版ミニコミ 102p 目次 全日程
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<87>1972/09/02 れおんずハウス
さて、9月になってしまった。6月18日に仙台を出発してから、私たちの日本全国ウルトラトリップ、私にとっては80日間日本一周ヒッチハイクの旅も、そろそろ終焉に近づいてきた。街の風景も、これまでの夏休み気分から、少しづつお仕事モードに戻りつつある。
ヒッチハイクの最中はずっとリュックサックを背負っての旅だったが、東京においてはヒッチハイクはそもそも無理だった。電車や流峰のバイクの後ろに乗せてもらっての移動だった。この10日間、すっかり東京気分に浸っていた。
そろそろ帰宅の準備を始めなければならない。いやいや、それにしてもれおんずハウスにはお世話になった。感謝。
れおんはその後、鳥取の私都村での出会いから関西に住むようになり、隔たれば日々に疎しで、次第に連絡が薄くなっていった。それでも1991年の国際環境心理学シンポジウム「スピリット・オブ・プレイス仙台」では、スタッフともども仙台に戻ってきてくれて、同時通訳の役を担ってくれた。
そしてごくごく最近、昨年2018年には、仙台でまたゆっくりお茶しながら、話することができたのでとてもうれしかった。
流峰は、福島や関東圏を根城にしていたが、中部地方の山岳地帯の山小屋活動に長年参加しており、その活躍もまた、彼らしいものであると、ずっと眺めてきた。1990年前後には、OSHOマルチバーシティのM作戦の場面で登場し、プーナまで足を運んだりした。
最近では、なにやら仮想通貨とかに夢中とか聞いたが、その後、どうしているだろうか。
悪次郎は、この旅でも多少すれ違いがあったが、私たちの共同生活体の名づけ親でもあったし、またユニークな存在でもあった。連絡は途絶えてしまって久しいが、どうやら同じ仙台に住んでいるらしい、とは聞き及んでいる。
今回、こうしてあらためて47年前を振り返り、実に懐かしく、また、私の人生の原点でもあるなぁ、と痛感しているところである。同じ「時空間」仲間であるニュートンやほかのメンバーもひとりづつこの世を卒業して行きつつある。
もし何かの起爆剤があれば、私はあのミニコミ雑誌を何らかの形で復刊させたいものだ、と考える時がある。流峰やれおん、その他、名前こそ出さなかったが、多くの仲間たちに支えられてきたこの人生である。何事か感じてくれた友人知人、そして新たな出会いがあるとすれば、何等かの連絡をくれたら、うれしい。
私は「時空間」復刊にスタンバイしている。連絡を乞う。
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