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2019/02/28

「オン・ザ・ロード1972」<84>08/30 ドッキング at れおんずハウス(東京)

<83>からつづく

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「オン・ザ・ロード1972」80日間日本一周ヒッチハイクの旅
「時空間」創刊号 1972/11/20 時空間編集局 ガリ版ミニコミ 102p 目次  全日程
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<84>1972/08/30 ドッキング at れおんずハウス(東京)

 れおんは、私たち仙台の雀の森の中心仲間4人のうちの重要な一人であったが、すでに春から東京で一人で暮らしており、後には雑誌「時空間」の編集時期になると、仙台にもどってきて一緒に編集作業を繰り返すというスタイルと取っていた。

 この時の彼の身分は大学浪人だったが、すでに大学進学からはドロップアウトしていたようだった。世田谷の一角に四畳半のアパートを借り、自炊生活をしていた。彼のアルバイトは主に成田飛行場の機内清掃であった。たしかオリエンタル航空とかいうものではなかっただろうか。

 彼のアルバイトの大きな貢献は、その機内食の余った食材を、アパートでゴロゴロしている我々に持ち帰って来てくれることだった。ジャム、マーガリン、コーヒー、お茶。時にはサンドイッチなどがあったように思う。

 東京の出身の流峰は東京に土地勘があったし、実家が池袋にあったので、それほど依存度はなかっただろうし、東京に友人の多かった悪次郎も、あちこち訪ね歩いていただろう。だが、私は、このれおんハウスには大変お世話になった。この旅の後にも、たびたび利用させてもらった。れおん、ありがとうございました。

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 この写真は、世田谷のそのれおんハウスのすぐ裏にあった神社の境内でのスナップである。撮影は誰だったのだろう。私はすでにヒッピー風になっていて、沖縄で求めた木綿のインド服を着ており、首には貝でできたネックレスを下げている。

 そして足は草履履きで、坐る時には、いつもこのような結跏趺坐を組んでいた。若くて、体もまだまだ柔らかかったな。後のことを考えると、こうして坐っている姿のスナップは、私にとっては、これが最古となる。

<85>につづく

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