「オン・ザ・ロード1972」<83>08/29 東京あちこち(4)
「オン・ザ・ロード1972」80日間日本一周ヒッチハイクの旅
「時空間」創刊号 1972/11/20 時空間編集局 ガリ版ミニコミ 102p 目次 全日程
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<83>1972/08/29 東京あちこち(4)
ここで書いておくべきことはいろいろあるが、ひとつの記憶をまず書いておこう。鳥取のサクランボユートピアで偶然目にした「名まえのないしんぶん」、その発行元のあぱっちを訪ねたのだ。どうも私の記憶は冬の風景なので、この夏の記憶ではないかもしれない。
だけど、とても印象的な風景だったので、どこかに書いたが、また書いてておく。
私は彼のアパートを訪ねた。しかし当時の彼のガーフレンドがいるだけで、彼はアルバイトに行っているという。どこで?と聞くと、それは吉祥寺駅の前だという。プラカードを持って、サンドイッチマンのアルバイトをしているのだった。
夕方だった。駅前の雑踏に彼は立っていた。背中から腰、お尻までかかるような、超ロングヘアーだった。大き目の黒縁眼鏡をかけた、うりざね顔の実に美青年。まるで少年剣士のような方であった。
私は歩いていて彼に近づき、初めてなので、躊躇しながら、なんて挨拶しようかな、と考えていた。と、その時、どこからともなく、同じような長髪のややごついカラダの青年が近づいてきて、ひとことふたこと話しあっているようだった。
あぱっちは、あまり表情豊かではない。あまり表情を変えない。まるで能面のような動きのない顔である。しかし、それはとても美しく、角度を変えてみれば、いろいろな意味を読み取れるような顔をしていた。
何かの連絡を取るかのように近づいてきた別の青年は静かに離れ、夕闇の人並みにまぎれて行った。と、また別の仲間らしき青年が近づいてきた。ほとんど表情を変えないあぱっちは、なにか手短に指示を与えているようだった。あくまで手にはプラカードを持ち、静かに立っていた。
その後、私は彼の住まいを何度か尋ねることができた。自作の本棚が素敵だった。帰宅したあとは、私もそれをまねて作った。彼は当時「DEAD」という雑誌を制作していた。私がこの旅を終えて、雑誌を作ろうとした時、まず思ったのは、この「DEAD」だった。
この数年後、あぱっちは、熊本のZEN(のちのプラブッダ)や、やがて友人となるキコリなどと76年には、ほびっと村やプラサード書店、プラサード出版などとして合流していくのだから、とにかく、私はこの旅で、ひとつの日本の若者文化、カウンタカルチャーの源流を見ていたことになる。
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