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2019/02/28

「オン・ザ・ロード1972」<82>08/28 東京あちこち(3)

<81>からつづく

Jkk1
「オン・ザ・ロード1972」80日間日本一周ヒッチハイクの旅
「時空間」創刊号 1972/11/20 時空間編集局 ガリ版ミニコミ 102p 目次  全日程
★★★★★

<82>1972/08/28 東京あちこち(3)

 私には、この旅で、どうしても行ってみたい東京のあるポイントがあった。山谷のドヤ階である。岡林信康の「山谷ブルース」はとてもハートを打つフォークソングだった。18才の少年であったが、山谷に行って、ルンペンプロレタリアートを気取りたかったのだろう。

 しかし東京の地理もよく分からない私は結局、高田馬場にも同じような日雇いシステムがあるよ、と教えてもらい、そちらに早朝訪れてみた。

 朝早くではあるが、すでにそれらしい労働者たちが沢山集まっており、何の肉かは分からないような、大鍋の肉汁などが朝食として売られていた。手配師は割と若い感じがした。おそらく30前後の若者が、次から次と、希望者を募ってワゴン車などに労務者を乗せ、工事現場などに向かった。

 私も体験的に工事現場に向かった。至って簡単な建材の移動や、猫車での生コンの運搬などであった。一人だけではなく、他にも学生なども多くいたから、見よう見まねであれば、ほとんど誰にもできるような作業だった。

 旅の途中の私には、結構なアルバイト収入になった。実際、あの当時日本は高度成長期に向かう時であり、全国どこでもあのような仕事があったように思う。だから、カネなんぞはなんとかなる、という思いが、どこかにでてきたことは事実である。

<83>につづく

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