« 「オン・ザ・ロード1972」<79>08/25 舎弟宅(東京)(2) | トップページ | 「オン・ザ・ロード1972」<81>08/27 東京あちこち(2) »

2019/02/28

「オン・ザ・ロード1972」<80>08/26 東京あちこち(1)

<79>からつづく

 

Jkk1
「オン・ザ・ロード1972」80日間日本一周ヒッチハイクの旅
「時空間」創刊号 1972/11/20 時空間編集局 ガリ版ミニコミ 102p 目次  全日程
★★★★★

<80>1972/08/26 東京あちこち(1)

 この時、東京あちこちのタイトルで4日間滞在したことになっている。すでに47年前のことでもあり、詳しいメモや記録が残っていないのなら、当然ながら正確な記述をすることはできない。

 しかし、あの時、あの頃、こんなことがあったなぁ、という思いではある。この旅のこのタイミングだったのかどうか、定かではないところがあるが、思いつくところ、いくつかのエピソードをメモしておく。

 まず思い出すのは、小さい時、近くの野原などでよく遊んだシゲヒロさんのことである。3学年上の兄貴と同学年だが、私は、兄よりも彼のほうが好きだった。優しかったし、アイディアマンで、いろいろ楽しい遊び方を創り出した。

 バイパスの工事現場をホックり返して遊んでいたら、一升瓶に蛇が巣くっていて、瓶一杯の蛇の子どもが絡み合っていたりした。それをみんなに囃すと、他のみんなが遊びに来なくなるから、秘密にしておこうね、と約束した。

 夏休みのお化け屋敷大会もなかなか面白かったな。中学生くらいからは、独学で油絵を描き始めて、なかなか芸術的な面も見せていた。

 1970年の三島由紀夫の自決事件の時は、自分は右翼だと自称し、実は盾の会に入ろうと思っているんだ、と言って私をビックリさせた。

 この旅の当時、彼は東京の大学に通っており、住まいは、新聞販売店の二階の三畳間だった。旅の途中でも狭い住まいがなくもなかったが、とにかく彼の住まいは狭く窓もなかった。彼は朝は新聞配達をしながら、大学に通っていた。

 私はある意味、そういうライフスタイルをとても尊敬していた。私も新聞配達をしながら、東京暮らしをしたいな、と話すと、いや、いろんな奴らがいるからね、勧めないよ、と止められた。

 ずっとあとから知ったことだが、結局は彼は大学のほうは横に卒業してしまい、その後はその新聞配達店に仕事を見つけたらしい。その後、どのような縁があったのか、2000年頃には福島で新聞配達店で働いていたが、どうやら病気で亡くなったったらしい。とても親しみを感じていた先輩だったので、かなりショックだった。 ご冥福を祈ります。合掌

<81>につづく

| |

« 「オン・ザ・ロード1972」<79>08/25 舎弟宅(東京)(2) | トップページ | 「オン・ザ・ロード1972」<81>08/27 東京あちこち(2) »

10)返の巻」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「オン・ザ・ロード1972」<80>08/26 東京あちこち(1):

« 「オン・ザ・ロード1972」<79>08/25 舎弟宅(東京)(2) | トップページ | 「オン・ザ・ロード1972」<81>08/27 東京あちこち(2) »