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2019/02/27

「オン・ザ・ロード1972」<77>08/23 篠原女史宅(東京)

<76>からつづく

Jkk1
「オン・ザ・ロード1972」80日間日本一周ヒッチハイクの旅
「時空間」創刊号 1972/11/20 時空間編集局 ガリ版ミニコミ 102p 目次  全日程
★★★★★

<77>1972/08/23 篠原女史宅(東京)

 80日間の日本一周ではあったが、そのうちの12日を、花の都・東京で過ごすことになる。それだけ多くのコネクションがあったことは確かだし、もうあとは仙台に帰るだけだという安心感もあったのだろう。

 昨日は、近くの公園に一泊し、午前中にすぐ目と鼻の先にあった篠原さんという女性の住まいを訪ねた。彼女は当時はやりのウーマンリブの闘志であった。そして彼女はその目的の雑誌を編集していた。

 仙台を出発する前に、お互いの雑誌を交換し、おおよその訪問日を伝えておいた。だから、突然訪ねても、大いに歓迎していただいた。とにかく、公園で一泊した、ということを最大評価してもらったようで、なるほど、いくらリブの女性でも、それは真似できなかっただろうな。

 情報交換をしたり、なにか食事を提供していただいたりして、結局はその日は彼女の部屋に泊めていただくことになった。当時の単身者の住まいなどは、ほとんど台所とリビングだけ、というものであった。風呂などは近くの銭湯、というのが通り相場だった。

 夜は、布団を二つ、ちょっと離して、寝る事になった。彼女は私より6~7歳ほど年上だった。体もちょっと大柄だったし、顔つきも、いわゆる闘士型である。私に不埒なことなどできるわけはなかった。リブの女性に不届きな思いなど考える訳などない。

 私はぐっすりよく眠らせていただいた。とにかく久しぶりの屋根の下のふかふか布団である。感謝感謝。でも彼女は、私はよく眠れなかったわ、とおっしゃった。う~ん、どういう意味だったのかなぁ。据え膳食わぬは男の恥とも言うし、武士は食わねど高楊枝、とも言う。

 何はともあれ、当時18才の私は、リブの女性群には、一目も二目も置いていて、心から尊敬していたのである。私は当時からフェミニストだった(と自称しているのだが・・・・・)。

<78>につづく

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