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2019/02/25

「オン・ザ・ロード1972」<69>08/15 奈良駅

<68>からつづく

Jkk1
「オン・ザ・ロード1972」 80日間日本一周ヒッチハイクの旅
「時空間」創刊号 1972/11/20 時空間編集局 ガリ版ミニコミ 102p 目次  全日程
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<69>1972/08/15 奈良駅 

 この日は奈良市内見物と洒落込んだ。と言っても、時間帯は午後からだっただろうし、ヒッチハイクが主な移動手段ゆえ、思ったようなコースを取れるわけではない。その時その時で、思いついた時、あるいはヒッチの運転者の好意に甘えて移動するだけである。

 奈良で覚えているのは、奈良公園。鹿がたくさんいて、かなり長時間、鹿たちとエサをやりながら、戯れていた。ここの公園だったかどうか忘れたが、フーテンの小汚い恰好で公演に長時間いると、親切なオジサンが声をかけて来たりする。

 親切そうで、やさしそうなのであるが、何か仕事を紹介しようか、なんて近づいて来るが、安易にその人について行ってはいけないことが、旅も二か月ほど過ぎると分かってくる。大体が、まともな話ではない。

 人の話によれば、当時、日本は高度成長時代に突入していて、労働力不足が騒がれていた。都市部もそうだっただろうが、地方や、辺境地域でも、同じ状況だったらしい。私に警告してくれた人が言うには、そういう話に乗ると、最初はうまい話しだが、どこかの炭鉱の「たこ部屋」などに監禁され、長期間にわたって、過重労働をさせられるとのことである。クワバラ、クワバラ。

 この後、ヒッチハイクの運ちゃんに誘われて、天理市のあの大きな建物の前を通った。大学だったのか、病院だったのか、判然としないところがあるが、あの特徴的な一種異様な建物の印象は今でも脳裏に焼き付いている。

 後年、ラジニーシ郷として、日本のOSHOコミューンの模索が始まった時、リーダーのひとりナルタンが、日本における宗教都市の先例として、この天理市のことを上げていたことがある。私はあそこを通ったことで、即座にそのイメージが湧いたが、逆にそのことが、逆効果を生んでいたかもしれない。

 いずれにせよ、当時18才の私は、神社仏閣を回るのは老年になってからでいいだろう、という読みで、この時、あまり奈良文化圏を積極的に回ったりはしなかった。いずれ、この生涯で、そういう機会もやがてやってくるに違いない。

<70>につづく

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