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2019/02/20

「オン・ザ・ロード1972」<66>08/12 サクランボユートピア(鳥取)(4)

<65>からつづく

Jkk1
「オン・ザ・ロード1972」 80日間日本一周ヒッチハイクの旅
「時空間」創刊号 1972/11/20 時空間編集局 ガリ版ミニコミ 102p 目次  全日程
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<66>1972/08/12 サクランボユートピア(鳥取)(4)

 こうして当時の記録をみると、私はこの共同体に4日間お世話になっていたのである。よほど気に入ったのだろう。タケシとの久しぶりの再会もうれしかった。たしか共同の衣類のボックスがあって、その中からヒョウ柄のジャンパーがでてきて、私はそれをいただいて、長く着ていたことも、今になって思い出した。

 考えてみると、この翌日に訪れた、同じ鳥取県内の共同体「私都村」には一晩しか止まっていない。これからの付き合いを考えると、この私都村の若者たちと、仙台の若者たちの付き合いは、長く、広く続いた。ここで人生の連れ合いを見つけたカップルも何組もある。

 それに比すれば、当時の納得度から考えると、このサクランボユートピアとの付き合いはそれほど続かなかった。

 東京に帰ったあとは、たしか東京キッドの活動は下火となり、そこから派生したスリムカンパニーのスタッフとして、タケシは移籍していった。私もその公演につきあい、打ち上げなどにも参加させてもらったりして、のちのち有名となる役者たちとも、ずいぶん親しくさせてもらった。

 青森の天井桟敷といい、この東京キッドといい、縁と才能があれば、私は演劇畑の人になったのかもしれないが、この人生ではそうはならなかった。石川裕人は自ら劇団を率いる劇作家として、タケシは有名無名劇団を歴任する舞台監督して、一生涯を送ったことを考えれば、なんということだったのか、と、今でも不思議に思う。

 石川裕人は先年、100本の演劇シナリオを書いて、公演して、亡くなってしまった。タケシとは、あれからだいぶ連絡が疎遠となってしまい、40歳だかの同級会以来、会うこともなくなった。機会があれば、彼とはぜひ再会してみたいと、今でも思う。

<67>につづく

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