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2019/02/19

「オン・ザ・ロード1972」<61>08/07 福岡駅 宮島

<60>からつづく

Jkk1
「オン・ザ・ロード1972」 80日間日本一周ヒッチハイクの旅
「時空間」創刊号 1972/11/20 時空間編集局 ガリ版ミニコミ 102p 目次  全日程
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<61>1972/08/07 福岡駅 宮島

 福岡から本州に戻った。この時、フェリーどかではなくて、確か海底トンネルだったはず。思ったよりも短かった。この時もヒッチハイクだったはず。久しぶりの本州は、長距離トラックも走っており、一気に広島まで行った。

 原爆ドームも見学し、たしかあの公園の中にテントを張ってはず。前後して、宮島に渡った。この宮島でのことは克明に覚えている。まぁ、宮島も素晴らしかったが、実は、そこで出会った女性がまた超素晴らしかった。

 もともと内向的(と自分ではおもっていたがw)だった自分だが、この旅でだいぶ図太くなっていた。旅の恥はかき捨てともいう。ちょっとチャンスがあると、誰彼かまわず声をかけることができるようになっていた。

 宮島で、彼女は一人旅だった。あ~、とこの前まで名前を憶えていたはずだが、もう忘れてしまった。かわいい名前だったな。どこかにメモでも残ってるかな、もう残ってないな。仮に小百合ちゃん、としておこう。

 彼女は、東京の音楽大学に通う女子大生だった。当時日本はアンノン族ブームで女の子の一人旅なんて珍しくなかった。もちろん彼女はヒッチハイクの旅ではない。当時国鉄と言われた列車の旅だった。

 何を思ったか、私はいきなり今夜僕のテントに来ないか、と誘った。彼女は大笑いしたが、それほどイヤそうでもなかった。もう一押し、と僕は僕で頑張ったが、無理だった(大笑い)。彼女は、民宿を予約してあるから、もったない、とその一点張り。(だろうなぁ爆笑)

 私は結局決して嫌われた訳ではないと判断していた。なぜなら、彼女は自分の名前とアパートの連絡先を教えてくれたのである。これは、この旅の中での、私にとっては大きな収穫であった。(ああ、馬鹿者~www)

 後日談だが、この後、東京にたどり着いてから、私は彼女のアパートを訪ねることとなったのである。いや行くことは行ったが会えなかった。当然であろう。電話で自由に使える時代でもなかったし、手紙だって、旅先ゆえまともに出すこともできなかった。

 そして、もう一つ、彼女の兄は、中央線沿線で、ロック喫茶を経営していたのである。このロック喫茶の名前は憶えている。「ジェファーソン」と言うのだ。この兄妹は確か山梨県出身だった。ここから辿っていけば、ひょっとすると、あの憧れの(仮称)小百合ちゃんに会えるかもしれない。(いや、僕のことなんかすっかり忘れているだろうなぁ←当然じゃ)

 僕は、ひょっとすると、お兄さんのロック喫茶に行けば、ひょっとすると彼女に会えるかもしれないと、ジェファーソンを訪ねることにした。そこは、ちょっとした裏通りではあるが、ドアからすぐに半地下みたいなところにつながるお店だった。

 私はその店のドアを開けて、度肝を抜かれた。つまり当時流行してたハードロック系のおお店で、なんとドアを入ろうとした瞬間に、メタルをガチャガチャつけたお兄さんが、こちらをギラりと睨んできた。

 あ~、私はこれでギブアップした。怖い。気弱な私はここで撤退した。いや、最初からロックを楽しみにいくのなら、それはそれで良いお店だったと思う。兄貴もギターをやって、バンドもやっているという。その演奏も聞けたかもしれない。それはそれで、私の人生を大きく変えるチャンスになったかもしれないのだ。

 しかし、ちゃらちゃらと、優しい(仮称)小百合ちゃんのイメージばかり追っかけていた私は、泥水をかけられた野良犬のような心境になってしまった。キャイーン、と呻いて、逃げ帰ってきたのだった。(爆笑)

 そして、そのあと、結局手紙を書いて、彼女とは一・二度文通をした記憶があるが、会えるチャンスはなかった。彼女はその後、ピアニストにでもなったんだろうか。それとも音楽の先生になているかな。あるいは、すっかり家庭のイイ奥様かな。だとしても、私よりも若干年上だったから、もう70近いおばあちゃんだな。あはは。兄貴は今でもハードメタル・ロックやってるだろうか。もしやっていたら、それはそれで、すごいことだなぁ。

 で、18歳の私は、宮島の何たるか、なんて何も知らなかった。へ~海の中に神社が、ね~、程度のことで、いろいろあるなぁ、と感じた程度だった。後年になって、宮島には、実は弁財天が祀られており、日本三大弁財天の一つであることを知った。

 そして、あの時の宮島でのエピソードを思い出す度、ひょっとすると、私の目の前に現れた(仮称)小百合ちゃんは、弁財天の化身だったのではないか、と思うようになった。いや、きっとそうだ。そうであるに違いない。淡い恋心で終わってしまっただけに、(仮称)小百合ちゃん弁財天説にまで伝説化しないと、なかなかあの日の思い出は収まらないのである。

 そう、思い込もうとするのは、実は別な体験があるからである。あの奈良県の天河神社に初めて行った時、何のいわれも知らかった。1985年のことであるが、あの時、シャンタンやヨシローと泊まった民宿も不思議な旅館だった。

 布団の脇にずっと女将さんみたいな人が、坐って一晩見舞ってくれているのである。その民宿は、宮司さんのお姉さんが経営しているということなので、彼女が見守ってくれているものだと思って、すっかり寝込んでいた。

 しかし、ふと気づいてみれば、そんなことはあるはずがない。そんな女将さんが布団の横で座って一晩見張りをしてくれるなんて、おいおいいつの時代の、どこの国での話だ。ああ、そうだよねぇ、バカだな、オレは。

 朝早く目が覚めてしまって、散歩することにした。夏の天河神社の早朝はすがすがしく、まだ人影もなかった。ふらふらと境内を散歩していて、私は、夜中にたどり着いたこの神社に祀られているのは、実は弁財天であることを知った。

 まぁ、ここからが私のトリップであるが、これで納得した。ああ、そうなのか、あの、一晩私をしっかりと見ていてくれたのは、この弁財天だったのだ、と納得した。

 まぁ、そんなこんなで、18才の時に宮島に一回しか行ったことがないが、宮島は弁財天なのである、と揺るがない事実に納得するのである。そして、(仮称)小百合ちゃんの面影が、ふーっと湧いてくるのであった。終わり。

<62>につづく

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