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2019/02/15

「オン・ザ・ロード1972」<52>07/29 伊礼優氏宅(沖縄)(1)

<51>からつづく

Jkk1
「オン・ザ・ロード1972」 80日間日本一周ヒッチハイクの旅
「時空間」創刊号 1972/11/20 時空間編集局 ガリ版ミニコミ 102p 目次  全日程
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<52>1972/07/29 伊礼優氏宅(沖縄)(1)

 この時の沖縄への旅には、18歳の私にとって大きな目的があった。それは沖縄タイムスに「殴り込み」をかけることである。殴り込みとは穏やかではないが、多少は抗議めいた義憤があった。なぜか。

 それは、私は高校生時代から作っていた個人ミニコミに関係がある。このミニコミがあの「朝日ジャーナル」のミニコミ特集のリストに載って(募集に会わせて私が投稿したのだが)、その反応があまりに大きかったのだ。

 全国から有名無名のリクエストが相次いだ。いわゆる「サンプル送れ」や「見本をください」の電話や手紙が相次いだのだ。いや実に驚いた。次から次と舞い込むリクエストに、高校生の私は呆れかえってしまった。

 なんせわがミニコミ「すくりぶる」は発行部数わずかに50部なのだ。無料で配っていたとは言え、こちらから切手代を負担して、全国に発送するなんて、とてもできない。ほとんど無視していたか、わずかにハガキでお断りの連絡を取った。

 あるいは、同じ「地域闘争」的な同志的仲間内感覚で、たくさんのミニコミが送られてきた。それらもほとんどは無料であるか贈呈であった。時には、無所属で立候補する政治家の広報や、ロックコンサートなどのチラシも送られてくるようになった。

 この時のあのあのリストに載った他のリストの人達にもあれほどの反応があったのだろうか。おそらく、私のところなどよりも、さらに大きな反響があったのかもしれない。この時、地元の新聞社やテレビ局からなども問い合わせがあった。

 そしてついに、この旅に出る前に、私はなんと、NHKテレビの30分番組に出演することになったのである。ミニコミを作っている東北各地の代表的な人々5人ほどで対談形式的なものであった。私の書いた四コマ漫画が、ひとこまづつ放送されたりしたのだ。

 私はそもそも、小学生時代から新聞記者やジャーナリスト志望ではあったが、自分たちの高校で起きた学生運動についてのマスコミ報道が納得できなくて個人ミニコミを発行し始めたのである。マスVSミニ、という構図を掲げていたのだ。

 そして問合せのあったそれぞれのマスコミには、斜に構えながらも、てらうことなく対応していたのは間違いない。だから、私の知らないところで雑誌や単行本に取り上げられていて、あとから知ったこともある。マスコミとは良くも悪くも怖いものだと、知った。

 そして、ある時、私は、沖縄のひとりの高校生の伊礼優という人から手書きの郵便一通を受け取ったのである。

<53>につづく

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