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2019/02/15

「オン・ザ・ロード1972」<51>07/28 桜島観光旅行 沖縄汽船中

<50>からつづく

Jkk1
「オン・ザ・ロード1972」 80日間日本一周ヒッチハイクの旅
「時空間」創刊号 1972/11/20 時空間編集局 ガリ版ミニコミ 102p 目次  全日程
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<51>1972/07/28 桜島観光旅行 沖縄汽船中

 この日は、二回目の桜島観光をしたことになる。私はそれほどでもなかったが、ようやく鹿児島にたどり着いたれおんの希望が通ったものと見える。

 それにしても、と思う。この時ふたりはどのようにして連絡をとり、再会を果たしたのだろう。当時、今のようなケータイとかスマホなどがあるわけではない。いったん旅にでてしまえば、テレビもラジオも新聞ニュースもうとくなり、あとはお互いの約束通りの場所に行ってみるだけなのだ。何かあれば、再会できない。

 あらかじめ土地の喫茶店や友人宅なら住所と電話番号くらいは控えておく。そして遅れそうなら電話を入れる。早めにつけば、逆に後からやってくる友人が迷子になった時のために、地域の地理を頭に入れておく。

 そうして再開した二人は、この日、おそらく沖縄行きのフェリーは午後出発の予定だったため、午前中は、桜島に渡ったのだ。そして土産物屋などを覗いたあと、再び鹿児島港に戻り。フェリーに乗り込んだ。

 さて、この時、本当にフェリーだっただろうか。これまでは例えば本州と北海道を結ぶ青函連絡船などは、ヒッチハイクしたトラックの助手として、無料で渡ることができた。関西から四国へ渡る時や、四国から九州に渡る時も、おそらくそれに似たような手段をとっただろう。

 ちなみにこの旅の2年前、1970年に、高校二年生の私は、仙台近郊から北陸佐渡に向かって自転車旅行をしたことがある。この時は、佐渡島まで自転車を持ち込んで、自転車で佐渡を旅した。あの時、たしか人間の乗船賃は2~300円だったが、小荷物としての自転車は500円取られた気がする。その金額に驚いたて、今でも記憶している。

 この時の沖縄への旅の船賃は、それこそ数千円したと思われるが、ここは仕方なく自前で出したはずである。多少赤字になっても、あとからやってきたれおんから借りればなんとかなるかな、という、それこそ大きな船に乗ったような安堵感が、すこしはあったはずだ。

<52>につづく

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