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2019/02/13

「オン・ザ・ロード1972」<46>07/2307/23 伝習館救援会(柳川)(1)

<45>からつづく

Jkk1
「オン・ザ・ロード1972」 80日間日本一周ヒッチハイクの旅
「時空間」創刊号 1972/11/20 時空間編集局 ガリ版ミニコミ 102p 目次  全日程
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<46>1972/07/23 伝習館救援会(柳川)(1)

 当時の私たちは、まだ10代から20代に突入していたとは言え、結構当時に政治状況に敏感だった。そもそも、学生うんどう、と言われた動きにコミットメントしており、さらにはそこから新しい時代を模索しようと考えていた。

 この時の旅ではないが、一年後の青森から仙台に下ってくるあたりで、太宰治の記念館、「斜陽館」を見学しようとしたことがある。その時、ヒッチハイクしていたのが、竿竹売り屋のトラックだった。

 例によって荷台には何十本のスチール竿竹と、物干台が載っていた。運転していたのは、20代後半の猛者。彼は日大闘争に明け暮れて、結局、今のショウバイをしているという。よくよく考えてみれば、竿竹売り屋だって、地域密着型の業務のはずだが、彼は、その東京で使っている業務用のトラックで、東北旅行へとしゃれこんでいたのだ。

 彼には挫折感がありありと見えていて、まぁ、太宰治の「斜陽館」はお似合いだった。一緒に見学したものである。

 似たようなことで、この九州地方をヒッチハイクしている時に停まったのは、やはりマトモそうな営業用トラックだった。もともとは東京の大学に通っていたのだが、ドロップアウトして、福岡の兄の会社の手伝いをしているという。

 彼は自分の大学を紹介する時に、どうしようもない学部だよ、と自嘲した。よくよく聞いてみれば、早稲田の商学部であったという。まったく「しょうがない学部」だよ。彼は何度も繰り返した。

 さて、今回私たちがドッキングポイントとして選んでいたのは、福岡県最南部にある、柳川市、そこの柳川高校の中のうんどう体だった。うんどう体と言っても、学生や生徒ではない。教師や職員たちが「造反」してしまい、そこで処分を受けたうんどう員たちを救援しようとしていたのだ。

 そして、彼らは、むしろ既存の学校法人よりも進んだ教育機関を自分たちで創立しよう、とさえしてたはずである。

 このポイントを選んだのは、私の旅仲間の他のメンバーだったので、私の若い問題意識からはすこし離れていた。しかし、まったく興味がない話ではなく、これを私個人はひとつの共同体うんどうの一つに見立てていた。

 ドッキング日は数日後だったが、自分の日程の関係上、早めに到着してしまった。そして興味が湧くようなことがたくさんあったので、ここで数日お世話になることになったのだった。

<47>につづく

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