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2019/02/13

「オン・ザ・ロード1972」<45>07/22 熊本(農家)

<44>からつづく

Jkk1
「オン・ザ・ロード1972」 80日間日本一周ヒッチハイクの旅
「時空間」創刊号 1972/11/20 時空間編集局 ガリ版ミニコミ 102p 目次  全日程
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<45>1972/07/22 熊本(農家)

 この日は、「熊本(農家)」のメモが残っている。しかし残念ながら、その記憶はもうない。せかっく鹿児島までたどり着いて、しかもこれから沖縄に渡ろうとしているのに、なぜに熊本に引き返したかと言えば、数日後には福岡の柳川市で、旅仲間とのドッキングが待ち構えていたからである。

 それに九州の東側、そう大分とか宮崎とかは理解できたが、西側、熊本はどうなっているのだろう、という関心も確かにあった。そして、もっとも強く思っていたのは、水俣を訪ねてみたい、ということだった。

 当時は公害という問題も持ち上がってきており、その象徴的な事件としての水俣病が、全国的に、いや世界的に関心を集めていた。私はそれを体で実感したかったのである。

 体で実感と言っても、病気になられている人々のようにはいかない。せめてその地を訪れてみたい、そして自分の目で確かめたい、という気持ちが強かったのだ。

 公害といえば、私たちの東北地方でも、次第に大地はむしばまれ始まっていた。赤い水がドブ川に流れだし、毒素の入った肥料で、小川のフナやドジョウが、腹を見せて浮き上がっていた。異常天候が常に報道され、工場の煙突からは、煙や異臭が、無制限に流されていた。

 そのイメージがあったものだから、私は、水俣は、どんなにオドロオドロしく穢れて、めちゃくちゃになっているのだろう、そういうことに関心があったのである。

 しかし、その地を訪れた私は、拍子抜けになった。水俣地方は実に綺麗な風景に富んだ地だった。この旅で訪れた地の中でも、指折りの風光明媚な地であったと言っても過言ではない。

 ちょうど、真夏の九州である。ヒッチハイクの助手席から、光を浴びた大海原が、さんさんと続いていた。波も小さく静かだった。私のこころはだいぶ和んだ。

 この地をもっと味わいたくて、私はころあいを見てクルマを降り、近くの農家を訪ねてみたのだろう。その時、その庭に野宿させてもらったのか、家に招き入れられ室内に泊めてもらったのか、定かではない。それでも、今でも私の中の水俣は、美しいままだ。

 おそらく、あの美しい海から獲れるサカナは、おいしく、無害であると、誰もが信じるに違いない。その対比が、この公害の象徴として、水俣が取り上げられた理由のひとつであったかもしれない。

<46>につづく

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