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2019/02/13

「オン・ザ・ロード1972」<44>07/21鹿児島

<43>からつづく

Jkk1
「オン・ザ・ロード1972」 80日間日本一周ヒッチハイクの旅
「時空間」創刊号 1972/11/20 時空間編集局 ガリ版ミニコミ 102p 目次  全日程
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<44>1972/07/21鹿児島

 あのプチブル建築会社社長の息子学生に連れられて、あちこち案内されたはずだし、食事もラーメンとか、なんどかごちそうになったはずである。いくらか恐縮しつつも、いいか、相手はプチブルだし、こんなこと、遠慮している場合じゃないし、と簡単に割り切った。

 それに、彼は彼なりに私に関心を示しているのだ。遠い東北から、ヒッチハイクで旅してきた若者だ。自分より若いのに、よくやるなぁ、という興味津々の心理が良く読み取れた。

 町を案内してくれたはずなのに、私はこの鹿児島について、ひとつの別なイメージを持っている。この地を歩いていて、私はふとあの青森の時のことを思い出していた。あの、大地の果ての、押し詰まった地勢。そこに住む人々の極限環境、どこか似ているのだ。

 プチブルの息子学生はまだNHK言語を使ってコミュニケーションができたが、一般の人々、特に町から外れると、言葉はまったくと言っていいほど通じないのだ。その割には人々は明るい。

 私の使っているNHK言語は簡単に、しかも正確に理解している。しかし、彼らの使っている現地語がまったく分からないのだ。何語だとかナニ弁だとかいう前に、もはや、それ自体が美的で、理解しようとさえしない自分がいた。

 うんうん、と勝手に理解したようなふりをするのである。そして、自分は自分で、相手が欲しがっているだろう情報と、私が、これだけは言わなくては、という情報を織り交ぜて、落ち着いてNHK言語で話すのだ。ことはそれで足りた。

 北海道は割と、方言と言われるほどの強いアクはなかった。だが、青森と鹿児島は、実に印象的に、極北、極南のイメージを醸し出していた。日本は広いな、とつくづく思った。

<45>につづく

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