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2019/02/13

「オン・ザ・ロード1972」<43>07/20鹿児島大学寮(2)

<42>からつづく

Jkk1
「オン・ザ・ロード1972」 80日間日本一周ヒッチハイクの旅
「時空間」創刊号 1972/11/20 時空間編集局 ガリ版ミニコミ 102p 目次  全日程
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<43>1972/07/20 鹿児島大学寮(2)

 この大学はだいぶ居やすかったと見えて、続けて宿泊した。この当時、大学寮というものは、フリーな空間で、逆に言えば無法地帯だった。未成年でも酒たばこは当たり前で、ひょっとすると、政治的な非合法活動の準備や、火炎瓶の制作の夢を持った学生などもいたに違いない。

 私はこの大学で印象的に覚えている一人の学生がいる。まぁ、言ってみれば、プチブルの息子だ。長旅でそうとうにくたびれてヒッピースタイルになっていたわが身に比べれば、小ざっぱりしたいいとこの坊ちゃん風だった。

 彼はやたらと親切にしてくれた。町にも連れ出してくれた。その時、彼の移動手段は、自転車でもバスでもなかった。もちろん徒歩なんかじゃない。すべてタクシーだ。彼は移動する時には、気軽に手を挙げてタクシーを停めた。

 そして言ったもんだ。タクシーに乗るときは、私は個人タクシーしか乗らないんです。やっぱり個人タクシーは丁寧だし、安心ですよね。おいおい、こらこら、何を言っておるんじゃぁ、と私はたしなめたかったが、おごられている手前、そんなことは言えなかった。

 こいつ、私より1~2学年上としても、せいぜい20前後の若者ではないか。こいつ何を言っているんじゃろう、と今でも思う。親は建設会社を経営していると言っていた。

 高度成長期からオイルショックの手前の時期。そういえば、この時期、田中角栄が、三角大福の大混乱を乗り切って、首相になったばかりだった。新聞なんかほとんど見る事ができない旅の途中ではあったが、ヒッチハイクのカーラジオで、途切れ途切れの政局ニュースも聞くことはできていた。

 この角栄人気の中で、私たちのヒッチハイクの旅は、誰にとがめられることもなく着々と進行していた。

<44>につづく

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