「オン・ザ・ロード1972」<41>07/18 桜島(テント)
「オン・ザ・ロード1972」 80日間日本一周ヒッチハイクの旅
「時空間」創刊号 1972/11/20 時空間編集局 ガリ版ミニコミ 102p 目次 全日程
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<41>1972/07/18 桜島(テント)
この日の桜島(テント)の意味がどうも分からない。そもそもこの旅で、私は2回桜島に渡ったことになっており、しかもテントとなっている。確かにテントのイメージはあるのだが、自分でテントを購入した記憶がない。誰かのテントに同宿させてもらった、という意味なのではないだろうか。
ひょっとすると、旅仲間のれおんのテントを借りたのかな、と思って、当時の記録を見てみるが、当時れおんの原付バイクは、仙台から東京に向かい、そこから富士山のふもとを走っている状況だった。
桜島を眺めていた記憶はあるが、桜島での記憶がない。桜島は渡ってみれば大きい町があったりして、島という感じがしなかったからではないだろうか。象徴としての桜島、少なくともオレは桜島に行ってきた、という達成感はあったのかもしれない。
比して、宮崎の鬼の洗濯岩と青島のイメージは残っている。この旅で行ったものか、あるいはその後の記憶なのか定かではないが、今回のレポートでは他に書いておくところがないので、ここにメモしておく。
走行していたクルマの助手席からは、鬼の洗濯岩がなんとも奇岩として印象に焼き付いた。そしてその岩伝いに歩いていくと、青島という小さな島があり、そこには小屋があった。そこはかつて画家が住んでいた、という。
私はこの島に泊まったことを覚えている。すでに私より前にたどり着いた女性がいて、ろうそくとか最小限の日常品で暮らしていた。あとから知ったことだが、以前ここに住んでいた画家は自殺したとのことだった。当時、私はそのことはあまり怖くなかった。むしろ、エピソードや伝説のようで、その小屋に深みがでたように思う。
少なくとも私はこの小屋を二回訪問したことがあり、一緒の友だちのことも覚えている。ただし、それはこの72年の旅ではなく、74年か75年目が二回目であったはずだ。
とにかくこの頃は、停まるところなど心配していなかった。夏だし、九州だし、シュラフもあるし、安全もそこそこ守られている時代だった。
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