« 「オン・ザ・ロード1972」 <38>07/15 三谷氏宅(松山) | トップページ | 「オン・ザ・ロード1972」 <40>07/17 大分鹿児島間 車中泊 »

2019/02/12

「オン・ザ・ロード1972」 <39>07/16 ドッキング at 羽倉旅館(愛媛県波方町)

<38>からつづく

Jkk1
「オン・ザ・ロード1972」 80日間日本一周ヒッチハイクの旅
「時空間」創刊号 1972/11/20 時空間編集局 ガリ版ミニコミ 102p 目次  全日程
★★★★★

<39>1972/07/16 ドッキング at 羽倉旅館(愛媛県波方町)

 この時のドッキングは、仙台における「うんどう」の先輩筋にあたる羽倉正人氏のご実家である。私からすれば7歳上の仰ぐべきヒーローである。私たちが旅に出る時、自分の実家に寄ってみたらいいよ、と勧めてくれた。

 彼の実家はかつては船を所有していた大きな旅館であったらしい。親御さんやご兄弟が経営を引きついていて、何の手がかりもない私たちは、安易にその申し出に甘えたのである。迎えていただいたのは、お母さん。おいしい食事やラムネをごちそうになりました。

 この後、宇和島の清家新一氏を訪問した。彼は「超相対性理論」で有名な物理学者だった。1936年生まれの氏、当時36才だった。彼は、東大で物理学を学んだ超秀才だったが、アカデミズムをドロップアウトして、実家の宇和島で、UFO制作などを始めていた。

 彼の研究室を訪ね、アルミの洗面器を裏返したような「試作品」を拝見し、わかるはずもないその理論を聞いたりした。友好関係にあるイギリスの団体の写真を記念に購入した。

 最近になって、私は「廃物アート」でUFOを作ったりしているのは、あの時、清家氏に見せていただいた試作品が、今でもありありと目に焼き付いているからだろう。

 小柄なお母さんが、物陰から、そっと、心配そうに覗いている姿も、今でも忘れることができない。

 今回あらためて検索して、どうやら彼の理論は完成せず、2009年(平成21年)12月30日に亡くなられていることを知った。 当時はありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。 合掌

<40>につづく

| |

« 「オン・ザ・ロード1972」 <38>07/15 三谷氏宅(松山) | トップページ | 「オン・ザ・ロード1972」 <40>07/17 大分鹿児島間 車中泊 »

25)退の巻」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「オン・ザ・ロード1972」 <39>07/16 ドッキング at 羽倉旅館(愛媛県波方町):

« 「オン・ザ・ロード1972」 <38>07/15 三谷氏宅(松山) | トップページ | 「オン・ザ・ロード1972」 <40>07/17 大分鹿児島間 車中泊 »