« 「オン・ザ・ロード1972」 <37>07/14 高知 | トップページ | 「オン・ザ・ロード1972」 <39>07/16 ドッキング at 羽倉旅館(愛媛県波方町) »

2019/02/12

「オン・ザ・ロード1972」 <38>07/15 三谷氏宅(松山)

<37>からつづく

Jkk1
「オン・ザ・ロード1972」 80日間日本一周ヒッチハイクの旅
「時空間」創刊号 1972/11/20 時空間編集局 ガリ版ミニコミ 102p 全日程
★★★★★

<38>1972/07/15 三谷氏宅(松山)

 さてさて、ふたたび、みたび、三谷氏、とは一体誰であろうか。仙台を旅立つ前に連絡をつけていたと思える。ミニコミ関係ではなく、むしろ深夜放送の関連ではなかっただろうか。あるいは流峰の友人であったか。

 松山というと、どこかのオシャレな若者向け喫茶店で、数人の人々と歓談した記憶がある。その中には、当時の地元のラジオ放送局でディスクジョッキーをしていたアナウンサーがいた。ひょっとすると、この方が三谷氏だったかもしれない。

 私は高校生時代もあまり積極的な深夜放送ファンではなかった。むしろ同じ旅仲間の流峰は、その深夜放送で名を馳せた男だったので、その繋がりであったように思う。あるいは彼が懇意にしていた桝井論平氏の紹介であったか。松山城のイメージもある。

 もともとメモ魔でもなかったので、旅の間はほとんどメモも日記も書いていなかった。仙台に帰った後に、日程だけでなく、レポートやエッセイのようなものにしたらいいのにね、という読者からのたくさんの声をもらった。確かにそうだったが、その頃、それだけの力は、私たちにはなかった。少なくとも私には、この旅の意義がよくわからないでいた。

 今だって、実はそうだ。今更そんなことを思い出してどうするのか、と言われればその通りだが、今ここで思い出さなければ、もう永遠に思い出さないであろう。忘却の彼方に消え去るのである。消え去るのもまたよし。されど、一度記憶にアップしておくことも、決して悪いことではない。少なくとも我が脳機能の訓練にはなるだろう。

 そう、当時のミニコミと並立していた若者文化の拠点は、深夜放送であった。四国の、この若者たちとの接触が、やがてどこかに花咲いたのかどうだったのか。これは、私だけの判断ではなんとも言えない。他の仲間たちの意見を待ちたい。

<39>につづく

| |

« 「オン・ザ・ロード1972」 <37>07/14 高知 | トップページ | 「オン・ザ・ロード1972」 <39>07/16 ドッキング at 羽倉旅館(愛媛県波方町) »

11)退の巻」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「オン・ザ・ロード1972」 <38>07/15 三谷氏宅(松山):

« 「オン・ザ・ロード1972」 <37>07/14 高知 | トップページ | 「オン・ザ・ロード1972」 <39>07/16 ドッキング at 羽倉旅館(愛媛県波方町) »