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2019/02/12

「オン・ザ・ロード1972」 <37>07/14 高知

<36>からつづく

Jkk1
「オン・ザ・ロード1972」 80日間日本一周ヒッチハイクの旅
「時空間」創刊号 1972/11/20 時空間編集局 ガリ版ミニコミ 102p 全日程
★★★★★

<37>1972/07/14 高知

さて、高知。四国について書けることなど多くないが、特に高知の一言のお題では、ほとんど何も書くことができない。四国、と言えば、自然に出て来るイメージは、とにかく長い海岸線と、山並みと、広い海原である。

 あそこに、どんな若者文化、カウンターカルチャーの痕跡を見つければよかったのだろう。

 いや、いくつかあった。手がかりが何もなかったわけではない。それはこれから行くいくつかのポイントにあるはずだった。そしてそこには次回の私たちの旅のジョイントポイントもあった。だから私は旅を急いだのであろう。

 それにしても海岸線の旅は長かった。それほど道幅も広くなく、まして長距離トラックなど多くない。ひたすら、地元のバンや短距離移動の乗用車を乗り継いでいくのである。長かった、というイメージがとても強い。

 東北とは言え、私の生まれ住んだ仙台近辺は、平野も広く、長距離トラックなど日常茶飯事でビュンビュン飛ばしている。それに比して、四国は島国だ。そして平野が狭い。街並みも、どこか漁村が次々と連続してつながってできているようなイメージだった。

 今なら、もっともっと味わうべき観光ポイントも分かっているし、会うべき人もいる。だけど、18歳の私は、ここ四国に足を踏み入れ、四国の四つの県を通過しつつあるのだ、というだけで、満足していたようである。

<38>につづく

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