「オン・ザ・ロード1972」 <35>07/12 GYA宅(西宮)
「オン・ザ・ロード1972」 80日間日本一周ヒッチハイクの旅
「時空間」創刊号 1972/11/20 時空間編集局 ガリ版ミニコミ 102p 全日程
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<35>1972/07/12 GYA宅(西宮)
GYAと書いて、ギャー。例のニックネームである。ギャー氏は当時、関西大学のおそらく3年生だった。20才。当時、彼は「週刊月光仮面」というミニコミを作っていた。このユニークな名前で全国にその名を馳せていた。
私もおそらく「朝日ジャーナル」や「ジアザーマガジンYOU」などのメディアで彼をことを知って、この旅でぜひとも彼に会いたいと思う、事前に連絡していたものであろう。当時私はまだ18歳。何をどう質問したかは忘れたが、彼の誠実そうな理知的な面持ちが今でも記憶に残っている。
彼の住まいは、たしか公営住宅のような集合住宅のおそらく2階か3階のようなところで、三畳間ほどの勉強部屋に机や二段ベットが置いてあったような気がする。彼を訪問して、一番記憶に残っているのは、彼のことよりも、彼のお父さんの言葉である。
彼のお父さんは、あとで村上三郎という人だとわかったが、なにやら前衛芸術家である、とのことだった。ギャー氏の本名は村上知彦といい、のちに新聞社に勤務し、何冊かの漫画カルチャーの本を出版し、中年以降はたしか大学の先生などもした人だった。
そのお父さんの三郎氏のアートは、のちに「具体」というアートだとわかったが、なにやら桟のない障子のような紙を貼った衝立を何枚かおいておいて、それを疾走しながら破っていく、というようなものであるらしかった。
そのアートはさておき、私は初めて関西に足を踏み入れて、歩道橋などのあちこち「部落差別をやめよう」というような横断幕がたくさんあることに気がついた。そもそも部落差別や部落問題というものの存在を知らなかった。
私たちの学校や地域では「部落」は普通に使われており、例えば学校の地区対抗リレーなどは、普通に「部落対抗リレー」と呼ばれていた。だから、部落問題、部落差別というものはどういうものか、シカとは理解できなかった。
そのことを、当時、顔を出してくれた三郎氏、当時おそらく40代であっただろう彼に質問した。そしたら、ひとこと、私が仙台から旅してきたことを知って、「東北は全部部落みたいなものだからね」とおっしゃった。
世が世ならば、場所が場所ならば、聞き捨てならない台詞ではあったが、彼の言葉には、それほど悪意は含まれていなかった。ただ事実だけを述べたに過ぎなかったであろう。しかし、私にはいまだにこの謎めいた言葉がつよい印象として残っている。
あとで登場する、「名前のないしんぶん」のあぱっちや、「存在の詩」のプラブッダなど、この旅で知り合った(あるいは遭遇した)情報元は、今日まで脈々とつながりを持っているが、このギャー氏とは、この時以来、プツンと切れた。もっとつながっていても良かったのだろうが。
今になって考えるに、ギャー氏は決してドロップアウト組ではなかったし、カウンターカルチャー派でもなかった。漫画文化などに深い造指を見せた彼ではあったが、どこか安全なサブカルチャー意識にとどめたように感じられる。
関西の前衛アートと、東北のまつろわぬ魂。どこか根底で、すれ違う何かがあったに違いない。
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追記 2021/01/20
本日、とあるテレビ番組録画を見ていたら、村上三郎氏にふれる場面があったので、偶然とは言え、驚いた。今後なにかのきっかけになるかもしれないので、参考までにメモしておく。
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