「オン・ザ・ロード1972」 <34>07/11とのさま宅(てんのう寺)
「オン・ザ・ロード1972」 80日間日本一周ヒッチハイクの旅
「時空間」創刊号 1972/11/20 時空間編集局 ガリ版ミニコミ 102p 全日程
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<34>1972/07/11 とのさま宅(てんのう寺)
とのさま、という名前で、そういえばそういう人がいたなぁ、という強烈な思い出が湧いてくる。されど、明確には思い出せない。当時の私たちは、ニックネームや通り名で通すことが多かった。だから正確な本名など覚えていることは少ない。ちなみに私の当時の名前は、せいこう、あるいはファック(笑)である。
とのさまはたしか、大阪からガリ版ミニコミを出版している人であった。私よりは年上、おそらく当時で23才くらいの人であったろう。大学には関わっていただろうが、すでに当時はドロップアウトしていて、何か肉体労働とか、街頭のバッチ売りをしていたように思う。
この方とどのようにして知り合ったかは定かではない。あの朝日ジャーナルの「ミニコミ特集」で知って連絡を取っていたものか、あるいは、流峰経由で紹介されたのか。あるいは、山形のゼミや、山岸会の合宿で知り合ったのかもしれない。
高校二年生の時に、修学旅行を万博の大阪か、北海道の大自然か、と悩んだ時に、私の選んだのは北海道だった。だから、この先、この18才の時のヒッチハイクの旅は、私にとっての初めての大阪、西日本だった。
細かいメモは残っていないので、宿泊や食事はどうしていたのだろう、と不思議なのだが、当時としてはインスタント・ラーメンなどは結構高価で、上等な食事だった。ソーメンをゆでたり、野草を食べたりした記憶さえある。
ミニコミを制作して、全国に名を馳せていたとしても、彼の住まいは、四畳半もない、三畳間ほどだったのではないだろうか。風呂は銭湯で、トイレどころか台所も共同の、木造二階建てのアパートだったと思う。間違っていたら、ごめんなさい。
とにかく、夏の大阪は暑かった記憶が強い。風が吹かない。景色が圧迫してくる。上半身裸になっても、Gパンを脱いでパンツ一丁になっても、それでも暑かった。
一般的な若者の当時はこんなものだった。何ができるのか、何がしたいのか、夢や闘志だけは満タンではあったが、その矛先をどこに向けたらよいのか、よくわからない青春時代であった。
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