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2019/02/12

「オン・ザ・ロード1972」 <33>07/10 頭脳戦線恍惚合宿 於 山岸会(3)

<32>からつづく

Jkk1
「オン・ザ・ロード1972」 80日間日本一周ヒッチハイクの旅
「時空間」創刊号 1972/11/20 時空間編集局 ガリ版ミニコミ 102p 全日程
★★★★★

<33>1972/07/10 脳戦線恍惚合宿 於 山岸会(3)

 山岸会は当時結構話題になっていた。どこぞの大学の教授が鳴り物入りで山岸会入りして、幸福学園なるものを打ち立てようとしていた。山岸会内部のイベントとしてではなく、この運動は全国的に広がり、仙台に帰った私たちは、この運動のイベントに参加したこともあった。

 この幸福学園運動は、数年間の盛り上がりで消え去ったように思うが、山岸会の名前を全国に、特に私たちのような若者文化のネットワークの中に、燦然たる存在として横たわり始めていた。

 当然、どの組織体も運動体も、完全完璧なものなどなく、どこここに矛盾や不整合性があるものだが、この当時私たちが見ていた山岸会とは別な形で、社会との接触の中で、誹謗中傷を受けていくことになった。

 私たちの世代の一部、その中にはスティーブ・ジョブズなどもいると思うが、脳裏のどこかに共同体やコミューンという理想形態が刷り込まれている。それはいつどのようにして刷り込まれたのかは定かではないが、理想郷、ユートピア幻想として、コミューン、共同体、という言葉は、今でも甘く囁いて^くる。

 この春日山での三日間の間、いろいろな体験をしたはずなのだが、私の中では、一番記憶に残っているのは、自分のリュックを整理している時のことである。これまで旅してきて、それなりにいただいたり購入したりした雑誌やパンフレット類もだいぶ多くなっていた。

 その中に、「ユリイカ」とか「現代詩手帖」などが入っており、それらが重くてだいぶ整理に困ったことだった。今なら、すぐ宅急便ででも送っておけばよかったのだろうが、当時はそれほど荷物を送付することは簡単ではなかった。それに、自分たちのアパートは留守宅である。送っても受け取る人もいないのだ。

 そこで、実家に送ったはずだった。集まってしまった雑誌や資料を、前掛けに包んでいる自分の姿が思い出されてきた。

<34>につづく

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