「オン・ザ・ロード1972」 <31>07/08 頭脳戦線恍惚合宿 於 山岸会(1)
「オン・ザ・ロード1972」 80日間日本一周ヒッチハイクの旅
「時空間」創刊号 1972/11/20 時空間編集局 ガリ版ミニコミ 102p 全日程
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<31>1972/07/08 脳戦線恍惚合宿 於 山岸会(1)
三重県春日山の山岸会、いわゆるヤマギシにおける三日間の合宿である。主宰したのは、名古屋のアートグループ、「頭脳戦線」。たしか、ゴミもまたアートであり、このゴミを美術館に展示するのだ、と持ち込んだことで、裁判沙汰を起こして、ニュースになったりしていたのではないだろうか。
形としては、山形で参加したサバイバル・ゼミに続くようなものであるが、大きく違うのは、山形では大学や大学生が中心だったのに比べ、こちらは、共同体としての山岸会が会場となっていたこと。
山岸会は養鶏法を中心とした自給自足のライフスタイルを標榜するいわゆる共同体のはしりであり、いわゆるサンプルでもあったが、言葉ばかり走る学生運動あがりの若者たちにとっては、実体があるだけに、極めてせっとくりょくがあり、魅力的だったのだ。
集まってきたのは、山形と同じく学生や学生運動あがりの若者たち、あるいはロックなどのミュージッシャンを志す若きアーティストたち。農業を始めているひと、あるいは私たちみたいな旅人たちだった。おそらく全部で50人ほどはいたはずである。
三日間の参加費はキチンと払ったはずだが、決して高いものではなかった。せいぜい一日数千円の単位であっただろう。大きな広間があって、雨露がしのげて、ご飯にもあり付けて、旅を始めて数週間経過している私たちには、ほっとした三日間であった。
使用させてもらった大広間は、畳敷きで平屋の木造、決して立派とか豪華といえるものではなかったが、リュックひとつの旅人でしかない自分にしてもれば、ずいぶんとしっかりした団体に見えた。
山岸会は、いわゆる特講、特別研鑽講習会とかいう、ビギナー用のシステムを採用していて、これが行き過ぎると洗脳とか揶揄されたようだ。この会場はそのために使われることが多かったようだが、この三日間に関して言えば、決してヤマギシズムの影響を受けたものではなかった。
おそらく名古屋のグループの一部が、前駆的に山岸会の特講に参加し、共鳴したうえで、会場をこの春日山に設定して、自らの合宿を企画したものだったろう。
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