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2019/02/06

「オン・ザ・ロード1972」 <25>07/02 サバイバルゼミ於山形(2)

<24>からつづく

Jkk1
「オン・ザ・ロード1972」 80日間日本一周ヒッチハイクの旅
「時空間」創刊号 1972/11/20 時空間編集局 ガリ版ミニコミ 102p 目次  全日程 
★★★★★

<25>1972/07/02 サバイバルゼミ於山形(2)

 わが青春の愛読書は「朝日ジャーナル」の他に、「黒の手帖」「ジ・アザー・マガジンYOU」などがあった。その他、いわゆる若者文化と言われた当時のカウンターカルチャー関連の雑誌には、末永蒼生の名前が若々しく踊っていた。

 彼はすでに30才ほどで、私たちより一世代上の方だったが、当時は「アサリ式色彩心理診断法」などについて、盛んに雑誌等に書いていた。自ら児童画研究会を主宰し、子供たちの絵の塾なども展開していた。

 私にとって、菅原秀氏と末永蒼生氏は、別々なルートでファンだったのだが、なんと、菅原氏が主宰したサバイバル・ゼミに、ほとんど主賓として末永氏が参加していたのである。これには実に驚いた。

 この他、「超科学研究会」の高木謹介氏や、ロックバンド「頭脳警察」のブックちゃん、ゴトーちゃん、なども参加していた。ミニコミ書店を経営していた人や、当時すでに無農薬農業に挑戦されていた若い世代の人達も参加していた。

 ベースとしては山形大学の学生たちの運動であったが、私たちのように近隣からさらに全国に散らばるいわゆるカウンターカルチャーの若者文化予備軍が沢山参加していた。

 このサバイバル・ゼミで得た情報やネットワークは貴重なものが多く、また菅原氏や末永氏、高木氏などとは、これ以降も親交が続いた。

<26>につづく

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