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2019/02/06

「オン・ザ・ロード1972」 <24>07/01サバイバルゼミ於山形(1)

<23>からつづく

Jkk1
「オン・ザ・ロード1972」 80日間日本一周ヒッチハイクの旅
「時空間」創刊号 1972/11/20 時空間編集局 ガリ版ミニコミ 102p 目次  全日程
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<24>1972/07/01 サバイバルゼミ於山形(1)

 わが青春には、いくつかの大きな出会いがあった。まずは「朝日ジャーナル」特集:ミニコミ’71---奔流する地下水(1971/03/26号)を挙げておかなければならない。数千のミニコミリストが掲載されたこの雑誌に、私が作っていたミニコミ「すくりぶる」も住所とともに掲載された。このリストを通じて、高校生の私のネットワークは一気に広がった。

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 その中でも、特に宮城県出身で、当時隣県の山形大学の学生だった菅原秀さんの活動は大いに私たちを刺激した。彼はすでに23才であったが、山形市内を中心に、盛んにカウンターカルチャーをリードしていた。

 当時彼が発行していたミニコミ「ニューヴァーブ」は、自家製の和文タイプ謄写印刷ではあったが、すでに全国的な影響力を持っていた。そしてミニコミ発行に限らず、ロックコンサートや、児童画塾、合宿形式のセミナーなども積極的に行っていた。

 彼の専門は音楽で、ジャズ・ピアノなどが彼の得意技だったが、そこから関連する分野に研究テーマを広げ、関わる人々も多彩な面々だった。この日は「サバイバル・ゼミ」というものが山形市内の大学や旅館の大広間などを利用して開催された。

 私たちの旅がスタートする二週間ほど前に、このゼミの案内が届いていたので、最初から参加する意志を伝えており、二回目のドッキングのポイントにもなっていた。

 菅原氏については、当ブログにおいて別途別項目で盛んに記しておいたので(一部削除)、詳しくはそちらに譲るが、なかなかユニークな活動を展開された方で、現在でも、ジャーナリストとして、国際的に活躍されている方である。

<25>につづく

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