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2019/02/02

「オン・ザ・ロード1972」<16>6/23 利尻島

<15>からつづく 

Jkk1
「オン・ザ・ロード1972」80日間ヒッチハイク日本一周
「時空間」創刊号 1972/11/20 時空間編集局 ガリ版ミニコミ 102p 目次  全日程
★★★★★

<16>1972/06/23 利尻島

 利尻・礼文島についてはほとんど何の知識もなかった。旅の途中で、一緒になった学生が利尻富士に登るというので、旅は道連れ、と合流したのだ。学生は多少の登山の知識があり、何合目かには山小屋があるから、そこを目指すという。

 利尻・礼文と言えば、礼文のほうが平らかで穏やかで、花に囲まれていて観光に向いているようだった。両島渡れればよかったのだろうが、日程的には利尻だけが滞在可能だった。

 その登山途中は朦朧としているが、山小屋のある筈の何号目かに登る頃にはかなり日が陰り始めていた。そして風向きもあやしくなり、小雨も降り始めていた。なに、この程度の天候ならば、山小屋にたどり着けば、なんでもないだろう、そう思って二人で登り急いだ。

 ところが、到着してみれば、すでに山小屋は、風の影響か、雪の重みでか、ペッシャンコにつぶれてしまっていた。あっけにとられた私たちではあったが、幸い連れの学生は、小さなビバーク用のテントを持っていた。まだ寒き初春の北海道の離れ島の山中で、私たちは嵐に遭遇してしまったのだ。

 私は、陸路のヒッチハイカーだから、登山用具など何一つ持ってはいない。寝袋は持ってはいたが、着替えだって充分には持っていなかった。この時、一人であの山小屋をめざしていたのならば、あの山で私は遭難して、短き人生で終わっていたかもしれない。そう思うと、後年、我ながら、何度もゾッとしたことがある。

 今でもあるのかもしれないが本島と利尻は連絡船でつながっていた。大きなフェリーだった。港を離れる時は、テープのセレモニーがあり、幾組も分かれの家族や友人たちがいて、センチメンタルな気分になったものだった。

 あの時の学生は、それこそ一期一会で、住所さえ交換しなかった。名前どころか、なんという大学の学生だったのか、どこの住まいだったのかさえ、分からない。あの時のことを、彼が今でも覚えているかどうかさえ分からない。きっと、どこかで今でも生きているんだろうな、と思うと不思議な気分になる。

<17>につづく

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